街道をゆく 9 信州佐久平みち、潟のみちほか (朝日文庫) (朝日文庫 し 1-65)
- 朝日新聞出版 (2008年10月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022644541
作品紹介・あらすじ
死にもの狂いの努力で湛水地を美田に変えてきた地が、政治絡みの投機対象になっている皮肉を目撃することになった「潟のみち」。そして「信州佐久平みち」では旅のさなか、日本を土建国家に染め上げた前首相逮捕さるの報に接する。ほかに、古さびた湊に平家の昔の殷賑をしのぶ「播州揖保川・室津みち」、山上の一大宗教都市を訪ねる「高野山みち」を収める。
感想・レビュー・書評
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全43巻からなる『街道をゆく』シリーズのなかでも、この9巻収録の「潟のみち」こそが、(35巻の「オランダ紀行」と並んで)個人的には一番好きな章。
かつては海、または沼沢地のような場所であったと思われる越後平野の、現在では新潟市や新発田市と言われる地域がこの章の舞台。
元々は稲作なんて出来るような場所ではなかった越後平野が日本最大の穀倉地帯となった背景には、何世代にも渡る人々の血のにじむような苦労と努力があったという。
しばらく読み進めると、本章が表と裏、二つのテーマを持ったエッセイであることが明らかになる。
表のテーマはこの地域を一大穀倉地帯にした古代から続く人々の努力と執念への敬意であり、裏のテーマは当時の日本社会の異様な様子に対する筆者の反感のようなもの。
長年の苦労の結晶体のような水田地帯が、筆者が取材のために訪れた頃(1975年)には、土地投機対象として不動産屋に切り売りされる事態に陥っていたという。
いかにも昭和らしく、生々しい話だ。
土地投機ブームに関する筆者の言をそのまま引用すると、
"文明国と称せられる国の中で、地面を物のように売ったり買ったり、あるいは地価操作をしたり、ころがして利鞘をかせいだり、要するに投機の対象にするような国は日本しかない"
という。
裏のテーマについてもう少し述べるなら、明治期に西洋から日本に持ち込まれ、戦後の高度経済成長期の後に花開いた筈の資本主義社会について、
"地価過熱によって諸式が高騰して国民経済が破壊寸前の滑稽な姿になっているような社会は、資本主義とさえ呼べない"、と述べている。
郊外の空地にゴミが散乱する様や、新潟市域の大切な湖である筈の鳥屋野潟付近に並び立つラブホテルに閉口する記述もあり、"土地に関する私権が無制限に近い社会だから致し方ないが、はるばるとこの潟を目指してきただけに気が滅入った"、"異常な国土"と嘆いている。
資本主義が西洋ではほぼ自然発生的に誕生したものであるのに対して、日本の場合、資本主義は明治政府上層部のトップダウンによって急ピッチで輸入されたものだ。
導入されて150年程度の間には大戦期の中断もあり、いま現在それが熟成されたものになっているかはわからない。
筆者が当時嘆いたような光景は、資本主義社会の土台としての国民性を培うよりも先に産業革命してしまった国ならではの、特異な姿なのかもしれない。
何であるにしろ、この人が大戦関連以外でここまで感情的な文章を書くことはとても珍しく、当時の列島改造や土地投機ブームに対して余程思うところがあったのだろう。
そういう部分も含めて、この章はとても内容の濃いものに仕上がっている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
高野山、上田などを訪れるご縁があったので、購読。
1971年から1996年まで長期連載された、司馬遼太郎さんの紀行エッセイ。その第9巻。
司馬さんだから、歴史のオハナシが当然多いです。
そうなんですが、今回読んでみて、思ったことは、2重の意味で歴史のオハナシである、ということ。
というのは、例えばこの巻で言うと、発表が1976年1月なんですね。
執筆は1975年でしょう。
2015年から考えると、40年前のことです。
だから、歴史の話題が多い紀行エッセイなんだけど、同時に、「1970年代の日本の地方についての、貴重な見聞録」でもある訳です。
内容は、
①新潟県に、水田稲作の姿を見て、農業中心の共同体を訪問。
②兵庫県の揖保川沿い。龍野など。
③高野山を訪問。
④長野県佐久平、上田など
という旅です。
当然、エッセイですから、基本は「とりとめもないオハナシ」なんですが、当然、司馬さんの感じ方が好きなヒトなら、それなりに面白いです。
ある種の文明批評であり、思想であるところ。
備忘録に何点かだけ記します。
①新潟の農村の、60年代を経た風景から、「日本の、土地の価格への執着、土地の利益使用への公的な制限の無さというのは、世界的に見て非常に珍しいこと」という話。
それが1975年時点での観察であるところも面白い。
対比的に、中国のことなどがちょっと出てきます。
すごいなあ、と思うのは。
1975年であれば、ある種の非自民党的な知識人の中では「共産党中国はスバラシイ」というのが、ある種常識、モードだったはずなんですね。
紐解けば、「2015年現在で考えると、非常に恥ずかしいというかミットモナイ」と思われるような、共産党中国礼賛の文章を、「え!この人が?!」という人が書いていたりします。
(まあ、情報が今に比べるとあまりに少なかったということと、公害やベトナムをはじめ、60年代のアメリカ資本主義的なぶん回しの横暴さが、21世紀の常識を超えていた、ということを踏まえて考える必要がありますが)
ところが、中国に造詣が深いはずの司馬さんの文章は、そこンとこ、やっぱり理性的だなあ、と思いました。
②日本の風景が変わったのは、応仁の乱前後(農業技術の改革)と、高度成長期だ、という話を思い出しました。
③ところが後年になると、変化を嘆いていた70年代は、まだまだ高度成長以前の風景が地方に行くと潤沢に残っていた。実は暮らし方考え方含めて、大変化が起こったのは80年代だ、という話もありますね。
④歴史話で、徳川家康が若い頃に三河の一向一揆で大いに苦労した、と言う話は実はあまり知らなかった。へーっと、思いました。やっぱり苦労してるんだなあ、家康さん。
⑤平安時代までの律令制度を「地方の農作物を京都の貴族が搾取するシステム」と。なるほど。バッサリ。
⑥兵庫県、播州龍野。童謡「赤とんぼ」。詩人、三木露風。なんだか童謡の風景が浮かぶような素敵な文章でした。男はつらいよシリーズでも、恐らく筆頭の名作「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」も、播州龍野が舞台だったなあ、と。2015年現在、どういう風景なんだろうなあ、と思いました。
⑦浄土宗と浄土真宗、法然のオハナシ。
⑧九度山は高野山の避寒地だった。
⑨高野聖という、スピンオフ的な庶民向けの宗教家。念仏聖へと変化。そもそも真言宗自体が仏教なのか?というオハナシ。
⑩性交を崇める、「立川流」という流派。後醍醐天皇などが熱中。一時大流行。
⑪長野で真田家話。「みんな源氏か平氏に系図を書き換え」という話が面白かった。渡来系がいなくなる。
⑫商業主義は良いのだけど、モラルが必要、と。マーロウみたいな司馬さん(笑)。 -
以下抜粋
・大和政権というのは要するに水稲農業を奨励し普及し、それによって権力と富を得、秩序と安定を得ようとする政権ということがいえるであろう。
極端にいえば、徳に化していることは定着して稲作をしていることであり、徳に化していない(化外)ということは、稲作をせずにけものを追ったり、魚介を獲ったりしているということであったにちがいない。
・この「公民」をきらった者が、逃散して浮浪者になり、関東などに流れて原野をひらき、農場主になった。ただ律令体制ではそういう場合の土地所有の権利が不安だったため、かれらは流人の頼朝を押して立て、京の「公家」に対抗し、ついに鎌倉幕府を頼朝にひらかせることによって、自分たちの土地所有の権利を安定させた。
私はそういう意味で、鎌倉幕府の成立というのは明治以前における最大の革命だったと思うのだが、ただ「公家」を潰さずにその権威や制度、あるいは官名といったものを政治的習俗として残したというところに可笑し味がある。
・周知のように、日本の古い神道信仰にはもともと社殿がなく、山一つを神体としたり、磐を神体としたりして、拝殿さえなかった。神社が社殿をもつのは仏教が荘厳な中国式建築とともに渡来したことの影響が主たるものかと思われる。
・平清盛は、経世家としては、頼朝以上だったであろう。かれは海運をさかんにし、対宋貿易をもって立国しようとしたという点で、日本最初の重商主義の政治家だったといっていい。
・七世紀後半に百済が新羅のためにほろぼされ、その遺臣や遺民が大量に日本にきて、日本の上代文化に重大な影響をあたえた。
日本の外洋船の建造技術にも、大きな影響をあたえた。遣唐使船というのはほぼ百済技術による大船だったわけで、百済式船舶といっていいであろう。 -
潟を干し上げ陸をつくる、人の営為。
漁民から、山民から農民へ。
土地バブルが色濃く陰を落とす時代に新潟の歴史を歩く。 -
今回は、新潟、播州、高野山、佐久。新潟の低湿地は今では水田地帯だけど以前は低湿地帯だったという景色を想像してみるのが面白いです。佐久は行ったことのあるところなので特に面白く。懐古園は奥まで入ってほしかったなぁ。しかし観光地での土産物屋や食堂での音量に対する苦言は、今でも通用しますな(1970年代と比べると、今のほうがましだと思いますが)
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この時期、旅は控えている。此れを読むたび、旅した気分になる。
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やっと9になりました。
新潟の潟について。
信州について。
おもしろかった