英国一家、日本を食べる 下 (角川文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041038895

作品紹介・あらすじ

食のワンダーランド日本に病みつきになった英国一家は、美しくて健康的な和食を追及すべく各地に繰り出してゆく! 築地市場に、相撲部屋、かっぱ橋、鯨肉、ラーメン横丁、味の素、一家の冒険は止まらない!

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    感想は上巻にまとめた。
    https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/404103888X

    ―――――――――――――――
    【まとめ】
    1 日本酒
    日本酒の醸造業は危機にある。何世紀もの間、この国で最も人気のあるアルコール飲料であり、酒税による歳入が大きく、経済のうえでも重要だった日本酒の消費量は、もう何年も下降線をたどっている。今、日本人が飲む清酒の量は、30年前の3分の1を少し上回る程度──1975年の1.7メガリットルに対して、現在は660キロリットルだ。

    フィリップ「酒のグレードは、仕込みの前に材料の米をどの程度精米するかによって決まるんだ。米を大型精米機にかけて、米粒の外側を磨き落とす。酒造りで何よりも大切な工程だ。ここに出品されている酒に使う米は、35パーセントまで磨かれていて、とても洗練されたタイプの酒ができ上がる。磨きの歩合が少なければ少ないほど、酒の洗練の度合いも低くなる」
    酒は、原料の米の精米歩合によって品質が分かれるが、甘口か辛口かという違いも細かく分類されていて、+の数字が大きいほど辛く、−の数字が大きいほど甘い。アルコール度数は、ワインよりも少し強い。

    フィリップは言う。「どのタイプでも、いい酒っていうのはあるんだ。酒通だと鼻にかけるような人はそれほどいないと思うよ。酒は、日本ではかなり過小評価されているから」
    日本人が、フランスワインやスコッチウイスキーに法外な金をかけるのは有名だが、それが酒となると、一本に1万円以上払う人はほとんどいない。そもそも、今回試飲したようなグレードの高い大吟醸でも、値段はせいぜい3万円だそうだ。

    フィリップに、酒にまつわる通説について尋ねた。最も誤解を招いている通説は何か?
    「酒は蒸留酒だと思っている人がいまだにいる(酒は醸造酒で、ビールと共通する部分が多い)。冷やして飲むのは一番上等な酒だけで、それ以外は温めて飲むものだなんていう連中もいる。まったくばかげてるよ。みなそれぞれに適した温度があるっていうのに、日本人でさえ酒のことは何も知らないんだ。それから、酒は寝かしちゃいけないという人もいる。長くとも2年までだって。だけど、ものによっては寝かすことができるし、個人的には、次は寝かした酒のブームが来ると思う。年数を経た酒は、ちょっとシェリーみたいで、すごくうまいよ。低温殺菌しない酒も人気が出てきている──冷蔵庫で保存して早いうちに飲まないといけないけど」

    欧米人は、料理との相性を考えてワインを選ぶことが多いが、日本人はこれまで、あまりそういうことをしてこなかった。ワインの場合、郷土料理に地元のワインが合うということもよくあるし、そもそもワインが食材のひとつになることだっていくらでもあるが、酒の場合も地域による特性があり、さらに、生産地が同じでも原料の米の種類と、いうまでもなく米の精米歩合によって、ひとつひとつ異なる個性が生まれやすい。


    2 鮨
    京都に近い琵琶湖周辺の地域では、地元の人々が、米飯の乳酸発酵が生臭い淡水魚に程よい酸味を与えることを発見した。そうやって作られたのが、なれ鮨で、現在も琵琶湖沿岸の町では「鮒寿司」という名で喜ばれている。
    鮨の進化を語るうえで見逃せないのは、文化人類学者の石毛直道が述べているように、「せっかちであることは、しばしば日本人の特徴のひとつと考えられる」という点だ。
    なれ鮨を楽しむようになってしばらくたった頃、日本人は乳酸発酵が進むまで待ってはいられないと思うようになり、15世紀には発酵の浅い段階から魚を食べるようになった。しかも、そうすれば米飯も一緒に食べることができて──それまでは発酵が進みすぎていて食べられなかった──もっとおいしいと気づいたのだ。
    鮨の進化における次の大きなステップは、17世紀に米酢を取り入れたことだ。米酢を使えば、発酵するまで待たなくても、ツンとくる酸味を米に加えられる。このような鮨は「早鮨」と呼ばれ、箱に敷き詰めた酢飯の上に魚を置き、その上に石で重石をして、できあがった大きな鮨の「ケーキ」を一切れずつ長方形に切り分けて食べる。
    19世紀の東京の労働者は、末裔となる現在の東京の人たちと同じで、時間のゆとりがなかった。たとえば、鮨屋の入り口にかけられたカーテン、すなわちのれんが使われるようになったのはその頃からで、客が手で払いのければ急いでいても楽に出入りできるようになっていた。大急ぎで食べなきゃならない客の要望に応えて、注文を受けたら鮨飯を片手で握って固め、その上に魚をトッピングする方法を考えついたのが、19紀の華屋與兵衛だ。

    にぎりや巻きが世界を席巻する一方で、鯖鮨やその兄弟分ともいえる、杉の器で作る大阪の押し鮨は、郷土料理として残るだけとなり、冷蔵設備の発達で魚の保存に酢を使う必要がなくなったせいもあって、京都や大阪という地元でさえ次第に人気に陰りが出ている。


    3 豆腐
    17世紀頃まで、豆腐は贅沢な料理で、普段は公家や将軍家の人しか口にしなかった。豆腐は、大豆タンパク質が豊富なだけでなく(同じ重量で比較すると、肉よりも高タンパクだ)、鉄分、ビタミンB1、ビタミンE、亜鉛、カリウム、マグネシウム、カルシウムなどもたっぷりと含まれている。血圧を下げ、老化を遅らせ、骨を強くする作用があるそうだ。単糖同士が結合してできるオリゴ糖も含まれているので、腸内の善玉菌を増やし、便秘を予防して血圧を下げる効果が期待できる。

    酒と同じで、豆腐も京都のものは特にすばらしい。それは、おいしい豆腐を作るには質のいい水が何よりも大切で、京都には天然の軟水が山から絶え間なく流れ込んでいるからだ。
    有名な南禅寺のすぐそばに、京都で名の知れた豆腐料理屋のひとつ、「奥丹清水」がある。そこで僕は、この店の名物である湯豆腐と田楽を注文した。湯豆腐は2分ほどで登場した。熱々の鍋にどっぷりと入っているのはキューブ形の豆腐で、甘みがあってクリームキャラメルのような舌触りだ。小さな皿に載っているネギ、生姜と一緒に、醬油をつけて食べる。新鮮で混じりけのない豆腐は、フルーティーでナッツみたいで塩辛い味噌をよく引き立てる。実は、豆腐は味噌に限らず、主張の強い味のものととてもよく合うし、夏場に冷たくした新鮮な豆腐を食べるなら、おろし生姜とネギや鰹節を加えるだけでもすごくおいしい。


    4 味噌
    アントニーの説明によると、味噌には3つのタイプがある──大豆と塩と米を原料とするもの、大豆と塩と大麦を原料とするもの、大豆と塩だけを原料とするものだ。原料によって、できあがる味噌の色は異なり、濃い赤茶色から薄いベージュまでさまざまだ。薄い色の味噌は総じて甘みがあり、濃い色の味噌は濃厚で強い風味がある。
    「赤みが増すほどアミノ酸が多く含まれているので、身体にはいいんです。一日一杯の味噌汁で、がんを予防できるともいわれています。日本では、味噌汁を『飲む』とはいわずに、『食べる』といいます──野菜や豆腐、魚などがたっぷり入っているからですよ」

    日本には2000軒以上の味噌蔵があり、地域によって味も違うので味噌の種類は膨大な数に上る。全体の80パーセントほどが大豆と米でできた米味噌で、九州では大豆と大麦で造る麦味噌が多く、名古屋では大豆だけで造る豆味噌が主流らしい。東京の味噌は昔から赤茶けた濃い色で、甘くて力強いが、宮城県の仙台へ行くと塩辛い味噌が多い。京都の味噌は、想像通り洗練されていて繊細で、薄いクリーム色をしている。アントニーが造る白味噌も、大阪独特の甘みがある。原料、蒸すか茹でるか、熟成にどれだけ時間をかけるか(2~3年かける場合もある)などの違いが、味噌の色や風味の違いとなるのだとアントニーは話した。
    完成した製品は──純然たる茶色でピーナッツバターの色とは違う──とても複雑なものだ。アミノ酸以外に乳酸も含まれていて、そのおかげでグルタミン酸のバランスが取れ、保存が利く。健康上の利点としては、タンパク質やミネラルが豊富なのはもちろんのこと、コレステロールを低下させる物質も含まれていて、醸造の過程でもともと大豆が有する抗酸化能力も高まるようだ。また、長年指摘されているのが、味噌の消費量が多いとがんの抑制率が高いという関係だ──大豆特有の抗酸化物質、イソフラボンの効果だと考えられている。


    5 串カツ
    「だるま」という、今や日本中で名を知られる串カツ屋に入った。お好み焼きと同じく、この串カツ──肉、魚、野菜などを串に刺し、パン粉をまぶして揚げた料理──にしても、いまだに世界で旋風を巻き起こしていないのはなぜなのか、理解に苦しむ。串カツも大阪のすばらしいファストフードで、天ぷらや焼き鳥と同じく、日本を代表する料理として世界中に広める価値がある。
    串カツの衣は独特で、これまた特別な、濃厚で甘みのある黒光りしたソースを、ひと口大の肉、魚、野菜の串にたっぷりつけて食べる。
    串カツの秘密はとにかく衣にあって、だるまの場合、ピューレ状の山芋、小麦粉、卵、水に、11種類のスパイスを特別にブレンドして生地を作る。薄くカリッとした衣に揚がるのが特徴だ──ビーフ、エビ、ウズラ卵、チェリートマト、アスパラガス、チキン、ホタテを食べた。


    6 和牛
    日本では、仏教の普及に伴ってたびたび肉食禁止令が出され、肉食が忌避されてきた。牛肉が日本人の食卓に上るようになったのは、1872年のある朝、目を覚ました明治天皇がその日の夕飯に牛肉を食べることに決め、自ら進んで食したことがきっかけで、日本人はひと晩のうちに肉を食べる習慣を身につけた。でもそれなのに、歴史のうえでは、日本人が肉食に対する純潔に見切りをつけたのは、欧米から来た野蛮な商人たちのせいだということにされている。
    文化人類学者の石毛直道氏は、『The History and Culture of Japanese Food(日本の食事の歴史と文化)』で、こう述べている。「禁止令の主な目的は、牛と馬の肉を食べることを禁じ、家畜を保護することにあった。しかも禁止の期間は、水田稲作が行われる春から秋の間に限られていた」。みだりに殺生をしないという仏教の戒律も、実際は動物や魚を見境なく捕らえることを禁止するものだ。

    面会した畜産関係の研究員は、日本の牛肉の本当の秘密は、肥育法と餌、そしてほとんどが肉質の軟らかい雌だという事実にあるという。「あのようなサシが入るのは、黒毛和牛だけです。最初は草だけを食べさせます」彼は、牛房で気だるげにもぐもぐとやっている、大きな目をした2頭の牛を指して言った。「しばらくたったら稲わらを与えます。稲わらは、サシをつくるためにとても重要です。月齢10ヵ月以降は、稲わらに青わらや草を少し配合した餌だけをやります。そうすると、脂肪細胞ができやすくなりますからね。青わらにはビタミンAがたくさん含まれているので脂肪の生成を妨げます。でも、多少はビタミンAを摂取しないと、脚が腫れたり目が見えなくなったりしますから、青いものも少し食べさせるのです」


    7 醤油
    日本人はさまざまなタイプの醬油を使うが、その総消費量はひとり当たり年間8リットル以上にもなる。醬油には、昔から関東で特に好まれて市場シェアの8割を占める色が濃くて塩分が少なめの濃口、もともと関西で使われてきた色が薄くて塩分がやや多く、甘酒などを加えて造ることもある薄口、濃口の2倍近い濃さを誇る再仕込み醬油、愛知など東海地方で造られる白醬油、色が非常に濃く味も濃厚で、小麦は使用しないか、使用するとしてもごくわずかなたまり醬油など、いろいろとある。

    醬油の主な原料は、大豆と焙煎して砕いた小麦で、キッコーマン社では、アメリカ産、カナダ産の遺伝子組み換えでない小麦を使う(皇室用の醬油は国内産の原料のみを使用)。キッコーマン独自の麴菌で大豆と小麦を発酵させ、そこに塩水を加えて「もろみ」という軟らかい固形物にして、それを半年間熟成させる。すると、糖分とアミノ酸が結びついて深いキャラメル色となり、酵母と乳酸菌がアロマを生む──醬油には300種類もの異なるアロマがあり、その数はワインのアロマにも引けを取らない。

    かめびし屋は日本で唯一、「むしろ麴法」という伝統製法を守って醬油を製造している会社だ。「むしろ麴法」では、竹を編んだ簀の上に敷いたむしろに大豆を広げて発酵させ、もろみを作る。できたもろみは、蔵の樽で2年半かけて熟成させる。
    「小麦は200度に熱した砂の上で焙煎します。弊社では大豆は丸ごと使いますが、キッコーマンさんで使われるのは脱脂加工大豆です。うちでは、竹の簀に敷いたむしろの上で、28度から30度でもろみを発酵させます。その後、杉の桶で最低2年は熟成させるのです。とても人手がかかるうえに、経験が必要です」

    これほどの手間暇をかけるおかげで(最初に二晩かけて発酵させた後、樽の守をする人がもろみをかきまぜ、常に適温を保つ)、スーパーマーケットの醬油よりもまろやかでこくのある醬油ができあがる。値段は2倍ほどになるが、職人技を必要とする製品なのだから、それでも話にならないくらい安いと僕は思う。


    8 沖縄県民が長寿な理由
    欧米人の三大死因は、心臓病、脳卒中、がんだが、沖縄人がその3つにかかる割合はどこよりも低い。心臓病で亡くなる人は、アメリカで10万人中100人を超える割合だが、沖縄ではわずか18人だ。
    沖縄の人の長寿は、とにかく群を抜いている。人口10万人あたりの100歳以上の高齢者数は、沖縄がその他の地域の約2.5倍だ。沖縄の女性の平均寿命は86.88歳。現時点では、沖縄の人口131万人のうち100歳以上は800人以上で、世界最高の比率だ(日本全体では、1億2700万人強の人口で100歳以上が3万人いる)。

    沖縄の人はどれくらい健康なのだろうか? 「コレステロール値が低く、心臓病にかかる人がどこよりも少なく、酒やたばこはほどほどで、ホモシステイン濃度も最低レベルです──ホモシステイン濃度が高いと、少なくとも10パーセント程度、心臓病死のリスクが高まります」ウィルコックス博士は、ゴーヤーチャンプルーをがつがつ頰張りながらそう答えた。
    「また、動脈硬化のリスクが低く、沖縄以外では胃がんにかかる人が多いのに、ここでは胃がんの罹患率も低くなっています。脳卒中は昔から日本人に多い病気ですが、沖縄人は塩分をあまり摂りません。乳がんや前立腺がんなど、ホルモン依存性のがんに罹るリスクもわずかです。彼らは、平均で週に3回は魚を食べます。調理には、オリーブオイルよりもさらに健康に良い菜種油を使う傾向があります。全粒の穀物や、野菜、大豆食品などもたっぷりと摂ります。そして、豆腐や昆布は、世界の誰よりも多く食べています。コレステロール値や血圧を下げると考えられるタウリンを豊富に含む、イカやタコもたくさん食べています」

    沖縄の人の驚くべき長寿の理由は食べ物だけではない。ウィルコックス博士によれば、彼らが口に「入れない」ものも重要らしい。「沖縄では、成人の摂取カロリーも、健康上推奨される通常のレベルと比べて10パーセント少なくなっています。沖縄の人が1日に摂るカロリーの平均は、2761キロカロリーです。


    9 日本一の料理店、壬生
    服部幸應氏が日本一と言っていた「壬生」で一緒に食事をすることとなった。

    そこで出された鮎の、塩が利いて脂ののった身は、冷たい酒との相性がとてもよく、気持ちよく楽しんだ味わいの後に残る内臓の苦みは、自分の味覚に対する楽しいチャレンジだった。辻静雄は、鮎についてこう記している。「日本料理の焼き物のひとかけらの抵抗であり、苦味を楽しむという、日本では数少ない料理のひとつです」

    次に運ばれてきたのは、紫と赤のグラデーションに輝く鰹の刺身、そして手前の細かく砕いた氷の上にはハゼの刺身が盛られていた。これまで食べたなかで、最高の刺身かもしれない。間違いなくそうだ。一度も冷凍されたことがない本物の活鰹で、以前に食べた鰹やマグロは身が着色されている場合も多く、肉質が低下して崩れそうなほど柔らかくなっていることも珍しくなかったが、この鰹は嚙むのに努力が必要だった。歯ごたえと風味が存分にあったのだ。

    「こちらでは、野菜の命を最後までたっぷりと楽しんで大切にしています。それが、私たちの料理の主義なのです。野菜はみんな、1年のうち3ヵ月か4ヵ月しかお目にかかれなくて、その後は姿を消してしまいます。いつでもまた食べられるというわけではありません。ですから、旬が完全に終わるまで愛でていただくのです」

    なすは、柔らかく実がほぐれ、つるつるしてつかみにくかった。でも、僕は、これほど味が凝縮されたなすを食べたのは初めてだった。なすというのはたいてい水っぽくて、調理すると、スポンジのように油分やその他の風味を吸い取ってしまう。ところがこのときのなすは、おそらく軽く蒸してあったのだろうが、ただ風味が残っているという程度にとどまらず、風味がぎっしりと詰まっていたのだ。そしてなすのそばには、ビー玉ぐらいのサイズの小さくて柔らかなヤマノイモが添えてあった。

    次の料理に至ってはもうすべてを超越してしまうほどすごかった。それは、黄色い菊の花びらを散らしただし汁のなかに入った鱧だった。ふわっと湯気の立つだしをひと口すすってみると──葛でとろみがつけてあるが、欧米の料理でとろみづけに使う小麦粉、バター、コーンスターチなどと違って、余計な風味が加わらない──喜びで本当に身体が震えた。僕のその反応を見ていた服部氏は、にっこりして満足げにうなずいた。

    喜びで体が震えてしまったのは自分でも予想外で、最後には身体中の毛という毛が逆立った。まるで、僕自身も知らない味覚受容体が身体のなかにあって、おいしいものを口にすると喜びとして感じ取ることを料理長が知っていたみたいだ。味わいを言葉で表現するのは難しい。言葉で味を連想してもらおうとしても、たいていうまくいかない。でも、このだし汁は深いこくがあり、病みつきになるほどうまい風味を土台としていて、そのうえでかすかな磯の香りがふっと鼻を突く。どこまでが味でどこからが香りかを区別するのは不可能で、僕が思うに、それこそがこのだし汁、というかすべてのうまいだし汁の力強さの源なのだ。このだし汁をもう一度味わえるなら、すべてを差し出してもいい。

    「この10年間、私はここで一度たりとも同じ料理を食べていません。1500品ほどになりますが、全部違うのです」
    壬生は、欧米人が用いる、いわゆるレストランという言葉には当てはまらないといってもいい。凝った内装を楽しみに行くわけでもなく、有名店だから行ってみるとか、有名人に会えるから行くというわけでもない。しいていえば、語らいのために行く、あるいは料理が自然について、味について、食感について、あるいは客自身について教えてくれる声を聴くために行くのだ。壬生の食事は啓示的体験であり、歴史の想起であり、哲学であり、生と創造と死と自然の深い謎に通じる道筋であり、言葉のうえでも、自然という意味においても基本だ。そして僕は、壬生の料理の意味と考え方について、どうみても2割程度しかわかっていない。
    食道楽の僕にとって、すさまじい衝撃だった。絶対に旬の素材しか使わない──それが石田さんが決して曲げない主義だ。素材そのものを反映した混じりけのない味は、ほのかでありながら、ここぞという部分だけが際立っている。ひとつの料理のなかに、異なる風味と異なる強さの味が重なり合って存在しているように感じるが、そのひとつひとつは明確に区別がつく。

    この原稿を書いている今、つい先月のその晩のことを何度も思い返すうちに、壬生で得たものの姿がはっきりと見えてきた。本物の偉大な料理人になるには、つまり専門に秀で、同業者を凌駕し、単なる食事にはとどまらないものを生み出すには、何にもまして謙虚さを身につけるべきではないのか。自分の技術に対して謙虚であれば、常に学ぶ姿勢を忘れず、新しい手法や素材を素直に取り入れられる。また、同業者に対して謙虚であれば、現状に甘んじることもない。そして何よりも大切なのは、料理に対して、素材に対して謙虚になることだろう。なぜなら、農産物がなければ、果実、魚、肉、野菜がなければ、料理人はただの人でしかないからだ。石田氏は、農産物に最大の敬意を払って使い、純粋で素朴な調理によって素材自体の風味に振動を与えている。

  • 私とは縁のない、ミシュランに載らない地下高級料理店やら、
    行ったことのある庶民の沖縄の店やら、短い章でまとめられていて飽きない。
    ちょっと物足りないので、続編も読もうかって気になる。

  • 上下巻でコメントは上に書いたので省く。
    一応各章で内容は独立しているが、上下で日本一周なのでやはり上下で読んだ方が良いと思う。

  • イギリス人トラベルジャーナリスト、フードジャーナリストである筆者が、辻静雄氏の著書Japanese Cooking:A Simple Artとの出会いをきっかけに日本行きを決意、幼い二人の息子と奥さんと共に、日本各地で様々な食材、料理、人々、文化との出会いや触れ合いを綴った体験記の下巻。上巻に続き、日本の食や文化へのリクペクトを持ち、飽くなき探究心と旺盛な好奇心で日本を食べ歩く。各所に散りばめられるユーモアにも思わずニヤリとしてしまう。
    下巻は、京都、大阪、高野山、松坂、志摩、香川、福岡、下関、沖縄、最後は上巻に続き再び東京。

  • やっぱりちょっと不思議なこと書いてるのですが、本気なのかユーモアなのかわかんない部分も。
    元々海外の人に向けて書いてるから?
    腹八分目は沖縄に限らない日本の格言(?)だし、日本の一番有名な赤ラベルと青ラベルの伊豆大島の塩とか???でした。

    そもそも私はほかの人に比べるとあんまり食べ物に興味がないようで(美味しいものは好きだけど)、ものを知らないだけかもですが、塩といえば伯方の塩一択。
    ググって見たけどピンときませんでした。
    関西人なので地理的なものもあるかもですが。

    エピローグに、自分で読み返すと奥さんに子供押し付けて自分だけ美味しいものを食べているように見えるがいつでもそうだった訳ではないと弁解していて、実際そうだったと思いますが、タイトルに"英国一家"と入れているために、家族でワイワイ日本食についてあーだこーだいろいろな意見が楽しめるかもと思う人には物足りないのではないかな。

    カバーイラスト / 杉山 真依子
    カバーデザイン / 鈴木成一デザイン室
    原題 / "Sushi and Beyond : What the Japanese Know about Cooking"(2010)

  • 【投票者イチオシ】大学図書館はお堅い本が多いので本書のようなふらっと立ち寄って読める軽い本も必要だと思います。https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1001133523/?lang=0

  • <目次>
    第22章  流しそうめん~京都4
    第23章  酒の危機~京都5
    第24章  鮨と豆腐~京都6
    第25章  世界最速のファストフード~大阪1
    第26章  奇跡の味噌とはしご酒~大阪2
    第27章  失われた魂の森~高野山
    第28章  牛肉に抱く妄想~松阪
    第29章  海女~志摩
    第30章  世界一の醤油~香川
    第31章  ふたつの調理師学校の話2
    第32章  博多ラーメン~福岡
    第33章  フグに挑戦~下関
    第34章  南国のビーチ~沖縄1
    第35章  不死身でいたい?~沖縄2
    第36章  世界一長寿の村~沖縄3
    第37章  身体にいい塩~沖縄4
    第38章  究極の料理店~東京6
    番外編  裸のつきあい~城崎温泉
    エピローグ1&2

    <内容>
    文庫になる前は『英国一家、日本を食べる』『英国一家、ますます日本を食べる』だったのが、順番を改め、一部その後の雑誌に載せた記事も織り交ぜながら、文庫の上下巻になったもの。下巻では、沖縄でメンタル不調になったり、子供がアレルギーでやばくなったりしているが、食に関するレポートはあい変わらず絶好調だ。食に関する知識は結構すごくて、よく調べてもいる。このあくなき好奇心と探究心が今後の社会で生きていくのに大事なのだな、と感じた。

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著者プロフィール

英国サセックス生まれ。トラベルジャーナリスト、フードジャーナリスト。2010年「ギルド・オブ・フードライター賞」受賞。パリの有名料理学校ル・コルドン・ブルーで一年間修業し、ミシュラン三つ星レストラン、ジョエル・ロブションのラテリエでの経験を綴った"Sacre Cordon Bleu"はBBCとTime Outで週間ベストセラーになった。

「2020年 『三頭の虎はひとつの山に棲めない 日中韓、英国人が旅して考えた』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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