ヤンキー化する日本 (角川oneテーマ21)

著者 :
  • KADOKAWA/角川書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041107416

作品紹介・あらすじ

気合いとノリ、母性に絆、バッドセンス。日本人は急激にヤンキー化している!現代日本に巣くうヤンキー性を村上隆、溝口敦、與那覇潤、デーブ・スペクター、海猫沢めろん、隈研吾と徹底対論!

感想・レビュー・書評

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  • 本書から読んでも十分楽しめるが、『世界が土曜の夜の夢なら』から読んだ方がより楽しめる。
    様々な立場の方との対談を通じて紡ぎ出される知の発露。特に「ヤンキーと国家」「ヤンキーと新歌舞伎座」の教養主義的な遣り取りに知的好奇心をくすぐられた。

    「偽善か偽悪かという違いがあるだけで、僕らはつい偽悪のほうを信頼してしまいがちである」
    「考えない者には、感じることすらできない」
    「日本は「盆栽文化」なんですよ。完成したプロはお呼びじゃない。未熟なアマチュアがだんだん変なふうに育っていくのを愛でるという」

  • 世代論の延長にある文化論に基づく社会論であり、その根拠となるような統計的データや学術的考察、さらには他の学問(特に社会学、経済学)の参照もないまったく独自の「文化論」ないし「日本人論」を臆面も出すことができるのはある意味では貴重ではあるかもしれない。少なくともこの本における「ヤンキー」をめぐる議論を見る限りでは、最初に「ヤンキー化」なる独自の規定が存在し、そこからいろいろなことがつなげて論じられているが、結局のところ独りよがりな概念の弄びでしかないだろう。また「日本人は逃れることができない」「日本人は多かれ少なかれヤンキーの要素がある」式の物言いや、昨今の(筆者が好まない)政治的状況を絡めて劣化言説を弄する様も、完全に不毛な「日本人論」そのものでしかない。

  • ヤンキー的な価値観を美とする、ヤンキー遺伝子が日本人には備わっている。
    そのため底辺は最底辺にならず、ヤンキーの中に吸収されていくことで連帯が生まれ、ヤンキー的な誇りをもって生きることができる。ゆえにこの国の治安は崩れない。日本の治安の良さはヤンキー文化が支えている。
    という理論ですが、スケールがでかすぎて最高ですね。そうかもしれないよ。

  • 『ヤンキー化する日本』
    2023年3月14日読了

    本書は、はじめに著者・斎藤環氏のよくまとまった論説があり、
    アート、建築、日本近代史など様々な専門を持つ人々との対談が中心をなす。

    特に、著者の「なぜ今、ヤンキーを語るのか」という論説が、ヤンキー文化を簡潔にまとめており大変わかりやすい。(斎藤氏には『世界が土曜の夜なら』というヤンキー・テイストを分析した著書がある。わたしは未読のため想像になるのだが、この論説はこの本がもとになっているだろう。)

    本書では「日本社会そのものがヤンキー的な価値観に基づいて、その大半が構築されている」としている。妙に説得力があるのは、きっとわたしにもヤンキー的な価値観が内包されており、身近な経験として思い当たる節があるからだ。

    学生時代には「気合主義」に基づくスローガンを掲げ、体育祭では「(みんなのために)がんばれ」と応援していた。テレビなどのマスメディアでは、論理的で整然としたインテリよりも、地頭がよくてコミュ力の高いヤンキーの方が目立っているだろう。

    著書が書かれた当時の日本社会を分析する上でも、現在を生きる自分自身を知る上でも、納得する部分が多く大変興味深い内容だった。

  • 新書というサイズなので
    仕方がなかったのでしょうが
    もう少し突っ込んだ
    お話を聞きたかったなぁ
    が どうしてもしてしまいます

    個人的には
    最近「建築家走る!」を読んだこともあり、
    隈研吾さんとのお話が秀逸でした。

  • 丸山眞男が古事記に見出した「 つぎつぎになりゆくいきほひ」を、ヤンキー文化の本質としてこう言いかえている。
    「気合とアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ」。
    ヤンキーとは何かを定型化しようとしているが、個々の対談はとても面白い。
    誰もが素晴らしい言語感覚で定型化していく様子が本当に楽しい。
    個人的には隈研吾氏の建築の世界を語る言葉がとても好きだ。

  • 『どうしてみんなEXILEが好きなのか』『どこの町でもよさこいソーラン』『LINE大人気とスクールカースト』『ラーメン屋は作務衣でポエム』『地元LOVE、母性、ファンシー。コミュ力、保守志向、現実的ー。』
    そう、これらは帯紙に書かれている宣伝文句。分かる。非常に分かる。ただ『浜崎あゆみ』が入ってないぞ、まだまだヤンキーが分かってないなあこの筆者。
    筆者曰く、ヤンキーとはバッドセンスな装いや美学と、「気合い」や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とかアマルガム的に融合したひとつの“文化”であると。
    分かる。非常に分かりやすい。ヤンキーは『絆』好きだよなあ、地元のお祭りも大好きだし、ただこの点については『マイルドヤンキー』と言う言葉を生んだ原田曜平氏著『ヤンキー経済学』の方が面白い。こんな感じの軽いヤンキーdisり本を期待してたんですが、何ですかこの筆者様。イデオロギー臭プンプンで、全ては安倍総理が悪いらしいです。本当にありがとうございました。
    私が思うヤンキーとはセンスなんですよ、センス。このセンスをもっと深く探求して欲しかったなあ。手首や首に数珠してるオッサンゴルファーのヤンキー指数の高さ、40過ぎて時間が止まったような茶髪、最高の親友!とか言ってSNSで一緒に呑んでる写真をアップする偏差値低めの奴とか、期待したのはそこなんですよ!安西先生!!自民党批判はどうでもいいです。

    とは言え、基本各著名人とのヤンキーをテーマにした対談で、タイトルとズレは有りながら面白く読めた本ではないでしょうか。
    結構勉強になる事も有りましたし、まあ、そんな本としてはいいんじゃないでしょうか。
    左巻きの人にはお勧めです。

  • 保守派イデオロギーへの憎しみにあふれた文章。安倍晋三や維新の会を批判するが、左派系勢力、例えば共産党や旧民主党系には言及しない。典型的なパヨク本であったのが残念。題材は良いのでイデオロギーを抜きにして書いて欲しかった。

  • 対談は與那覇潤、溝口敦、デーブ・スペクターを読んだ。興味深い分析だが、ヤンキーの定義が感覚的で、しっくりしない感もある。小泉政権が用いた「B層」とどう関係するかも興味ある。

    著者は、ヤンキーをバッドセンスな装いや美学と、気合や絆といった理念の下に家族や仲間を大切にするという倫理観が融合した文化と定義する。コミュニケーションが巧みで、キャラが立っている。

    気合を入れれば限界を超えられるという発想は、戦争では「大和魂があれば資源がなくても勝てる」という根性主義につながった。気合で勝てるなら兵站のことなど考える必要がない。インパール作戦では、10万人の歩兵が武器や食料の補給もないまま敵地へと送り込まれ、7万人の兵士が飢えと病に倒れた。太平洋戦争での戦没者の60%は餓死者だった。家族のため、仲間のため、お国のために入れる気合いは、個人を集団主義に引き寄せる匿名的意志が潜んでいる。

    気合い主義のルーツは陽明学にある。中国の宋朝以来、知性主義である朱子学の思想が科挙によるインテリ支配を支えたが、陽明学はそのアンチとして明朝の末期に台頭した(小島毅「近代日本の陽明学」)。

    ヤンキー文化は、生存戦略に最適化されており、治安や秩序維持のための意義が大きく、政治的には保守に親和性が高い。思春期に芽生えた反社会性はヤンキー文化に吸収され、絆と仲間と伝統を大切にする保守として成熟する。日本では、集団的現象がしばしばヤンキー化して、反知性主義的な行動主義が支配し始める。

    ポエムは、知識や論理とは無関係に依拠すべき肯定的感情をもたらしてくれるため、ヤンキーは好む。

  • 非常に面白かった。
    読みながら撮ったメモ(iPhoneでページを撮影しているので"撮"の字で正しい)でいっぱいになってしまったほどに。

    <div class="amazon Default"><div class="pictBox" align="left" ><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E8%A7%92%E5%B7%9Done%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E21-%E6%96%8E%E8%97%A4-%E7%92%B0-ebook/dp/B00JMAIOGG%3FSubscriptionId%3DAKIAIM37F4M6SCT5W23Q%26tag%3Dlvdrfree-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB00JMAIOGG" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51xwmJQOCXL._SL160_.jpg" alt="ヤンキー化する日本 (角川oneテーマ21)" border="0" hspace="5" align="left" style="margin-right:10px" class="pict" /></a></div><div class="itemTitle"><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E8%A7%92%E5%B7%9Done%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E21-%E6%96%8E%E8%97%A4-%E7%92%B0-ebook/dp/B00JMAIOGG%3FSubscriptionId%3DAKIAIM37F4M6SCT5W23Q%26tag%3Dlvdrfree-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3DB00JMAIOGG" target="_blank" >ヤンキー化する日本 (角川oneテーマ21) [Kindle版]</a></div><div class="itemSubTxt">斎藤 環</div><div class="itemSubTxt">KADOKAWA / 角川書店</div><div class="itemSubTxt">2014-04-21</div></div><br clear="left" style="clear:left" />

    本書の内容を端的に表したのは、あとがきのこの一文だろう。
    <blockquote>ヤンキーを論ずると、どうしても「日本人論」になってしまう。僕にはそれが不本意だった。その内容いかんにかかわらず、あらゆる日本人論は、つまるところ「日本特殊論」というナルシシズムに通じてしまうのだから。
    しかし、本書ではあえて日本人論として読まれることもじさない、という姿勢をとっている。別に心境の変化があったというわけではないが、今回は単純に「わかりやすさ」を重視したということでもある。(p.250)</blockquote>
    たしかにこの本は「わかりやすい」。しかし、その「わかりやすさ」は直ぐに役立つ実利的なモノであるだとか、各章ごとにまとめがあり何が結論か書いてあるといった類のものではない。「ヤンキー化する日本」というテーマについて、特殊論というナルシシズムに陥るかも知れないというおそれをすてて突き進むという「わかりやすさ」だ。

    そもそも「ヤンキーは自らを語らない」(海猫沢めろん)からヤンキーがこの本を手に取ることもないのだろうけれど、非ヤンキー=インテリ(とするあたりが本書のわかりやすさの一端)へのナルシシズムという罠もこの本にはあるかもしれない。

    この本は序論で述べた「日本人のヤンキー気質」について述べたあと、村上隆やデーブ・スペクターといった各分野で一家言ある人と対談をすることによって、様々な面で"ヤンキー的気質がある"ことを検証していくという構成になっている。

    <img src="http://i.ytimg.com/vi/sR3ma4BIafA/maxresdefault.jpg" alt="ヤンキー" width=300 height=300>


    ヤンキーとは
    <blockquote>バッドセンスな装いや美学と、「気合」や「絆」といった理念のもt,家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とがアマルガム的に融合した一つの"文化"(P.9)</blockquote>を指す。
    ヤンキーの美学の特徴は「気合とアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ」(P.18)というところにある。<blockquote>冷静な施策や分析よりも、意気込みや姿勢を重視するスタイル(P.18)</blockquote>
    だから、相田みつを的なポエムと相性が良い。ポエムは知識や論理とは無関係に、依拠すべき公的的感情をもたらしてくれるし、ポエムは強力な共感を生み出す装置だからだ。

    <blockquote>Believe In 鳥肌。鳥肌が立つほどの感動なんて、めったに出会えるもんじゃない。(中略)偉い人の言葉なんかより、自分が心底震えたことのほうが、はるかに本当であり、嘘がないよな。だから大きな選択を迫れれた時、オレは、自分の鳥肌を信じている</blockquote>

    著者である斉藤環も舌を巻くほどに見事にヤンキー的規範が凝縮されたラインだ。
    言葉や論理よりも自分の皮膚感覚を信じる(なおかつ、それを表す言葉が日本語的に間違っている!)。"Don't Think,Feel It."(ブルース・リー)という言葉の都合の良い解釈。
    思想的な一貫性は重視せず、勢いだけの感情論。自分たちの感性を肯定するために、知性を批判する(反知性主義、反教養主義)。スクール・カーストなどでも考えるやつ、理屈を言うやつはキモいとされて、空気が読めるかどうかだけがコミュニケーション能力とされる。そこにはディベート能力やロジカル・シンキングは必要とされていない。


    <blockquote>いまは、承認欲求が非常に肥大化していて、自己実現より上になってしまっているんじゃないかという感じがするんです。(P.60)</blockquote>


    著者は村上隆との対談に於いてこう述べている。

    明治以降の作られた伝統云々というのもあるけれど、元々日本は中国から伝わった文化を自分たちのものとして"伝統"にしてしまう伝統がある。
    そしてヤンキーが重んじているのは本来の意味の伝統ではなく、フェイクの伝統であると指摘する。それは捏造されたものでも良い。ラーメン店の主人が作務衣を来て、毛筆でメニューを書き、薀蓄を述べるのはよく見る風景だが、これなぞはまさにフェイクの伝統である。

    また、キャロル、横浜銀蝿、ダウンタウンブギウギバンドからBOOWYからヴィジュアル系まで面々と続く日本のロックに関してもフェイクの伝統だと言えるだろう。それの最新系が氣志團でありエグザイルなのだろう。

    <img src="http://no4ko4.com/wordpress/wp-content/uploads/2012/01/carolfirst.png" alt="ヤンキー" width=300 height=300>


    <blockquote>音楽の話しついでに、デーブ・スペクターの日本の音楽の聴き方についての発言は興味深く読めた。
    音楽聞いている時、日本の女の子はなんで泣くの? お金払ってなくって、不思議な現象でしょう。(P.117)</blockquote>
    これに限らずデーブの指摘は一面的すぎるし、この例でいうと"お金払って泣く"のはアメリカ人だって、ヨーロッパ人だってそういうこともあると思う(でなければ、欧米の映画に涙をさそうような大作映画は成りたたない)。

    がしかし、日本のヤンキー的気質は音楽の持つメロディやリズム、グルーヴといった音楽そのものより、歌詞の内容であったりだとかミュージシャン、歌い手が持っている物語への"共感"をあまりにも偏って嗜好しているとは言えるだろう。


    <blockquote>
    日本においては集団的現象がしばしばヤンキー化する。
    つまり、半ばは必然的に、反知性主義的な行動主義が現場を支配し始めるのだ。日本に近代的な個人主義や公共意識がなかなか定着しない最大の障壁はここにある。(P.28)</blockquote>

    歴史学者の與那覇潤は"戦後政治史は「官僚派と党人派」という言い方を良くするが、これは「インテリ派とヤンキー派」ではないか"と言う。
    そして"この政治界各区の二十年間は、オタク系知識人が何とかインテリ的な方向へ日本を引っ張ろうとした期間でもあった"と思うと続ける(P.142)。

    そういったヤンキー派の代表格が橋下徹であり安倍晋三だ(ついでいえば小泉純一郎は両方の要素を持ちつつヤンキー派に結局は軸を置いた)。
    真の問題はネオリベ性でなくヤンキー性にある。ネオリベとヤンキーの最大の違いはヤンキー文化には個人主義が完全に欠落しているという点にある。

    ネオリベ性は基本的に(良くも悪くも)父性的である。最後は自分から独立させて切り離すという個人主義が根底にある。これに対してヤンキーは「厳しい母性」であると著者は解く。保護的なのだがスパルタ的でもある。

    <blockquote>母性的だからこそ気合だとかアゲアゲとか、身体性に依拠する。ヤンキーにとって真実を担保してくれるものは常に行動であり、行動を可能にしてくれる「夢見る身体」なんです。(P.148)</blockquote>

    この構ってくるような"厳しい母性"こそが自分の頭で考えたい(インテリ)にとって、一番生きづらいという指摘は目から鱗が落ちるような思いだった。そして、ヤンキー的な人間にはこれがいちばん心優しいのだということも。
    阿部謹也が指摘した「世間」もこういう「厳しい母性」ということだろうし、同調圧力とか空気を読むというのは、「自分に合した人は優しく受け入れる」ということでもあるから、体育教師の生活指導みたいなものを(内容はなんであれ)受け入れられる人には心地よいだろう。

    <blockquote>
    <b>與那覇</b> たとえば江藤淳は『近代以前』という評論で、徳川初期の日本の知識人は天下国家に秩序をもたらす治者の言葉、つまり父性的なものとして儒学を身に着けていったと書く反面で、その日本儒教では和歌の情緒と折衷しやすいこの陽明学系の成分が、中国より濃い目に出たとも指摘している、そこが案外、ヤンキー化するインテリの原点だったのかもしれませんね(笑)。
    <b>斉藤</b> 今回、対談をさせてもらって感じましたが、日本におけるいろいろな問題はヤンキーという人種の歴史意識の無さから生まれている気がしますね。
    <b>與那覇</b>山本七平と丸山真男でもう一つ共有するのが、まさに日本人の思考法における歴史意識の欠如でした。山本風に言うと日本にはキリスト教のような終末論がないし、丸山龍に言えば日本人は世の中の変化を「勢い」としてしか把握しないから、<B><u>自分の行為を遠い将来の視点から振り返って、歴史の中に位置づけるという感性が育たない。</u></B>(P.175,176)</blockquote>

    引用が長くなってしまったが、まさにここだろう。著者は更にオタクとヤンキーを対比して歴史的感性(元ネタや作品相互の関係などなど)がある前者と後者のような分け方をするが、今日日はどちらにも歴史的感性は抜け落ちてしまっていると思う。オタクに引き寄せて言うならば、アーカイヴも新作も全てフラットにYouTubeで見られるし、歴史も語られ過ぎている。オタクというのは"インテリ"の一派ではなく、ヤンキー的感性の顕れであるといえるだろう。
    岡田斗司夫がオタクのキングと呼ぶに相応しい人間かどうかはさておいて、岡田の病的なセックス依存と女性蔑視はヤンキー的感性を拗らせたものだと捉えられる。


    良くも悪くも関心領域が親密圏止まり。だから、安倍晋三にしても好戦的というわけでもなく、安倍晋三には適切な歴史的認識もなければ、まっとうな国際感覚もあるわけではない。だから"好戦的"であるというよりも仲間内でいい顔をしたい、憲法を変えた内閣総理大臣という称号が欲しい程度の矮小さなのだろう。

    また、ヤンキー性は保守にもつながる。
    建築家の隈研吾によるとこの”ヤンキー性”は和風建築などにも息づいているのでだそうだ。なるほど、言われてみれば金屏風などの金ピカ具合はヤンキー趣味だ。つまり、これは日本人のDNAとも呼べるかもな。

    長い不況で"いまがよければいい"という思いと80年代後半のバブルが忘れられないという憧憬がアマルガム的に綯い交ぜになって、こういうヤンキー的風潮が根付いたのかなとふと思う。

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  • ヤンキーをキーワードに、芸術、やくざ、芸能界、政治、建築を考察している本。新たな視点を得られたと思う。

  • ヤンキーの定義に確たるものがないまま、あれはヤンキー的だとかカテゴライズしながら、振り回された感が否めない。例えば、デコトラのようなヤン車に乗りながら、しかしヌイグルミぎっしり、ディズニー大好きが当にヤンキーとしながら、田中角栄や橋下徹はヤンキーだと。なんとなくで分からなくもない、気合いや迫力あり、空気を見ながら調和を敢えて崩す様を、ヤンキー的と表現しているのだろうか。だとすれば、山本太郎は?となるが、これは、ニューエイジヤンキーですよと。更に???
    私の肌感覚からすれば、山本太郎の方が、伝統的なヤンキーのような気がするし、やはり、学術的なアプローチもデータもなく、直感的な本、という印象否めず。

  • ヤンキーの特徴とはバッドセンス、ツヨクてチャラくて、オラオラ。気合いとアゲアゲのノリ。コミュニケーション力(場を読む力)。

  • ヤンキー文化の特徴は、バッドセンス、キャラとコミュニケーション、アゲアゲのノリと気合い、リアリズムとロマンティシズム、角栄的リアリズム、ポエムな美意識と女性性。対談相手は、村上隆、溝口敦、デーブ・スペクター、與那覇潤、海猫沢めろん、隅研吾。

    ヤンキーの定義をそのようにされると、日本の昔からの文化の片鱗に普通に見られること、になってしまう。今、新たなヤンキー現象、ではなく。

  • 「ヤンキー」というキーワードで現代日本社会を論じた一冊。こなれていない部分もあるが、一読の価値はある。
    「ヤンキー」とは、バッドセンスな装いや美学と「気合」 や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とがアマルガム的に融合したひとつの”文化”。
    殆どが対談だが、隈研吾との対談が秀逸。「歌舞伎座のスーパーシンメトリーが銭湯建築のルーツ、桂離宮は書院造と数寄屋造りの合体でテーマパーク的でそれがタウトのような和風の素人に受けた、丹下健三は存在そのものがヤンキー」といった話が次々に飛び出す。

  • ヤンキー文化を定義し、色々な分野にこれを見つける本。面白い。特に建築家の隈健吾さんとの対談が面白かった。
    ただ「あとがき」にも書かれている通りヤンキー文化=日本文化と思えてしまう。それを踏まえて、なぜヤンキー文化がダメか、を論じた部分が欲しかった。著者がヤンキー文化からの脱出を志していることが伝わるだけに。前著を読まないといけないかな?

  • 『ヤンキー経済』とほぼ同時期に読み終わったので比較するけど、こっちの方が読み物としては読みごたえがある。
    ただ、子どもを持つ身としては、このまま日本が進むとどーなるよ、と暗澹たる気分になるのもまた事実。
    この本で言う「ヤンキー」は、反知性ではないけど、地頭のいいヤンキーは実学のみを目指す(弁護士とか)、とか、その通り過ぎて頭が痛い。
    帯の、『この国は”気合い(だけ)”で動いている。』は、違う意味に勘違いする人続出しそう。

  • 2014年3月初版
    斎藤環 著
    ==

    若者に限らず、日本は今“ヤンキー化”が全体的に進んでいる
    日本人論=日本人特殊論であり、=ヤンキー論。ヤンキー文化とは“気合いとアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ。

    本物の非行少年や不良が減る一方で、彼らに特有と思われていた文化的エートス(ヤンキー性)が、非行とは無関係な層にまで浸透している。知性よりも感情を、所有よりも関係を、理論よりも現場を、分析よりも行動を重んじるのが特徴。

    などなど。
    ヤンキーはそもそも、ある意味この島国の「原住民的」な気質を表出させている、という捉え方をしている本。面白かったです。

  • 2010年代も半ばに入り、ヤンキー論に興味が湧いてきたので、前回レビューを書いた『だから日本はズレている』と一緒に購入。本日読了しました。

    個人的な感想を一言で申し上げますと、大変為になりました。

    構成は筆者自身のヤンキー論の大まかな主張が冒頭で示され、後の6人との対談で様々な視点から「ヤンキー」について語っていき、最後に筆者が対談を踏まえて締めるという形です。冒頭のヤンキー論は非常によくまとまっていたので、前著『世界が土曜の夜の夢なら』を未読の私でもある程度概要を押さえることが出来ました。

    一番為になったのはデーブさんとの対談で、今後の勉強(ヤンキー論周りの研究)に役立つ本や思想家などの示唆を得られたのは與那覇さんの対談ですね。特にデーブさんの「ポスター、街宣車やめろ!」は、すっごく同意します。あと、與那覇さんの対話では名指しで出てこなかったですが、内容を踏まえると『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』もまた読んでおきたいと思いました。隈研吾さんの内容は、一応建築業界にほんの少し居た身として分かるところもあり、やっぱり現場で工具弄って作業する人じゃないから語るに厳しそうだなーというところもあり。溝口さん海猫沢さんあたりは未知の領域でしたがそれだけ知る為のとっかかりは掴めた気がします。
    ただ、村上隆さんの内容は、ごめんなさい、あんまり感心しませんでした。芸術で食っている人の発言という感じがビンビンしますが、やってることもやろうとしていることもブラック企業そのものだなぁと。芸能に携わる者は賎民という考えなどは同意出来るのですが、読んでいて「随分自己完結してきているんだなぁ」と思い、それだったらアート名乗らなくてもいいじゃんとすら思えます。さっさとシステム化して、全く別のことやればいいのに・・・なんて外野ですが言いたくなりましたね。

  • 気合で、なんでもできるんか。
    なら空飛んでみたいよ。

    あとは挨拶すると、空気を変えれるみたい。

  • 2014/8/4読了。

  • ヤンキーが流行だが、その発信元の一人の著者が各界の人達と対談。おもしろかった。日本人の総ヤンキー化が言われている昨今、マーケティングを考える際にも考慮に入れるべきで、ヤンキーに人気のあるヴィトンのモノグラムやディズニーなども取り上げられている。

  • 気合い以外に資源がない日本ってのに吹いた

  • 冷静さと情熱,理性と情念,合理と非合理,といった異質な要素の何らかの結合によって生み出された行為への一定の傾向性。エートスを,人間と社会の相互規定性をとらえる戦略概念として最初に用いたのはアリストテレスであり,社会認識の基軸として再びとらえたのがM.ウェーバーである。ウェーバーによれば,この行為性向は次の三つの性質をあわせもつ。(1)ギリシア語の〈習慣(エトス)〉に名称が由来していることからうかがえるように,エートスは,それにふさわしい行為を実践するなかで体得される〈習慣によって形作られた〉行為性向である。
    アマルガム (amalgam) 水銀と他の金属との合金の総称。 広義では、混合物 一般を指す。
    シンメトリー 【symmetry】左右の大きさ・形・色などの釣り合いがとれていること。対称。均斉。ファッションにおいて,左右対称の形状。
    コミュニケーションスキル スクールカーストの解体 オカルティックな信念 大和魂 日露戦争 一世風靡セピア デフォルト標準仕様 ヤンキーはポエムが大好き 和洋折衷わようせっちゅう うまいこと言ったドヤァ感 ビリーブユア鳥肌 閑話休題かんわきゅうだい おたくとヤンキーのフュージョン融合が最も人々の心を掴みやすいアイテムになる
    何故か千葉県に多いけど、車の後ろに7人の小人を全部並べていたり 頑張れって言葉には言い訳が入っている 日本はアマチュアが大好きなのね 盆栽文化 アデル 小林克也 たすき掛け
    タカ派(タカは、鷹派)とは、強硬的な政治信条を持つ人または集団を指す言葉。強硬派(きょうこうは)ともいう。対義語はハト派である。
    経済力や趣味性の誇示 オタク痛車 ルイジアナ 偉大なる田舎、ヤンキー都市、名古屋 都市の美学がない 快楽原則ぜんぶ載せ ひつまぶし CoCo壱番屋 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 地球のはぐれ方 都築響一 ヌエ的 そして山本太郎だけが残った ビジョンが欲しかったのに
    ヨシキ バッドセンスの系譜 基本的にロリコン性がなければオタクになれないといわれるわけで 瓜田純志 戸塚ヨットスクール スパルタの海
    アーバニズム(英: urbanism)は、一般には、都市を志向し求める文化的・社会的な傾向のこと。あるいは専ら都市において特徴的な生活様式。または、近代以降の都市計画全般を指す。
    アイロニー【irony】1 皮肉。あてこすり。2 反語。逆説。3 修辞学で、反語法。4 ソクラテスの問答法。無知を装いながら、知者を自認する相手と問答を重ね、かえって相手が無知であることをあらわにし、その知識が見せかけのものでしかなかったことを悟らせる。
    パビリオンpavilionとは、展示会や博覧会などに用いられる仮設の建築物、テント、展示館のこと。大阪万博で一般化した言葉であり、何々館と言う場合の館とほぼ同義である。
    同じ事象でも視点を変えるとこれほど違った風景が見えるものか 海猫沢メロン 全滅脳フューチャー フェイクを取り込んで本物にしてしまう変換回路 外道 横浜銀蝿みんな大卒か大学中退 綾小路翔 ネタとベタを完全に理解した上であのスタイルを選んでいる 相田みつを ヤンキーはつっぱってるのにディズニーが大好き よなはじゅん 名古屋はええよ!やっとかめ=久しぶり

  • 地元大好き、気合い大好き、仲間最高、みんな一緒に気合いで根性でどうにかしようよ!
    そんな耳に心地のよい言葉を何の迷いもなく受け入れていた自分がいましたが、新卒で入った会社に疲れ果ててしまい辞めたことがあります。
    そんな何で自分が疲れてしまったのか、着いて行けなくなってしまったのか、をヤンキー化という面から捉えるととても納得できました。

    現代日本が、なぜまだ個人主義を徹底できないでいるのか。
    就活がなぜこんなに歪なのか、過酷な労働が迫られるブラック企業がなぜあるのか。
    なぜ日本は人権後進国と言われているのか。
    ヤンキー化という指摘から考えると、周りの事例が多く思い当たりました。

    戦後日本に近代的な民主主義を導入するのに、ヤンキーな面が上手く活用されたという斎藤氏の指摘がとても興味深かったです。

  • こうやって何かにカテゴライズしてしまうのってあまり好きではないけど、この「ヤンキー化」の雰囲気はなんだかすごく腑に落ちた。私がこの世の中の雰囲気になじめないわけも。だって私、相田みつをキライだし(笑)。なんだかなーこんな雰囲気の世の中を生きていかなきゃならないのかと思うとなんかウンザリ。。。
    デーブ・スペクターさんとの対談と、與与覇潤さんとの対談が面白かった。

  • 「看板に偽りあり」で、むしろ日本は昔からヤンキー社会だった、というように読める。

  • ヤンキーという概念が、なかなかつかみづらい。
    いろんなひととの対談を通して、ヤンキーの話をそんなにしていたか!?というのが読み終わった感想。
    斎藤さんの本にしては、さらっとまとめられている本でした。

  • 精神科医で社会評論家の斎藤先生の「ヤンキー」論。
    昔からヤンキーにカテゴライズされる人たちは沢山いたわけであるが、何故か最近「発見」されて、消費マーケティングの世界でも人気だったりする。
    これはネットをはじめ「トンガッた」ところにいる「オタク」たちは、弁は立つし、知識も豊富で、ロゴスの世界では優位にいるように見えるのだが、じつはマイノリティだ。世界は「気合い」=ヤンキーの精神的な支柱で動いているのだw

    <齋藤先生のヤンキーの定義=笑える>
    ・過剰装飾を好む「バッドセンス」な美的感性
    ・気合とかその場の勢いをなにより大事にし、「深く考えない」ことを美徳とする精神(反知性・教養主義)
    ・大局的・本質的な理解よりも、実際的な技能を至上とする価値観(戦略軽視、戦術重視)
    ・循環的な社会関係を重要視する志向性(結果としての家族重視)
    ・本物とフェイクのすり替わりを許容する程度の「伝統」重視

  • 「Believe your 鳥肌」「心でっかち」等々面白いフレーズ満載。『瑞穂の国の資本主義』を内容空疎な極上ポエムと言い放つ。斉藤先生は安倍が大嫌いという事がひしひしと伝わってくる。橋下はヤンキーだが、石原はヤンキーではないという指摘もわかるような、わからないような。『金八先生』はヤンキーで『鈴木先生』は非ヤンキーという比較はわかりやすい。(『いまを生きる 』はどっちなんだろ?ヤンキーかな?)
    知性よりも感情を、所有よりも関係を、理論よりも現場を、分析よりも行動を。日本人のほとんどはヤンキーでそれが自民政権の支持基盤(愛国NG郷土愛OK的「左版ヤンキー2.0」の存在を指摘する与那覇氏の考えも興味深い)。但し、斉藤先生は安倍は矮小なのでファシズムにはならない(ヒトラーにはなれない)と楽観している。その指摘は間違ってないのかもしれない。が、ヤンキーが集団的パワーで暴走しはじめた時はちょっと怖いような気もする。
    自分も『男はつらいよ』とか高倉健の任侠モノとか大好きだし、ヤンキー的な所も大いにあるが(そもそも映画というメディアが大衆文化でありヤンキー的なんだろうけど)、物事をヤンキーか非ヤンキーかを意識し見極めつつ、ファンタジーを現実世界に持ち込まない、適用させない理性は必要なんだろうと思う。

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著者プロフィール

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学・教授。オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。著書に『社会的ひきこもり』『生き延びるためのラカン』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』ほか多数。

「2023年 『みんなの宗教2世問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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