- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041138625
作品紹介・あらすじ
「この町はとっくにひっくり返っている。みんなが気づいていないだけでな」〈はじまりの町〉の初等科に通う少年・トゥーレ。ドレスの仕立てを仕事にする母は、「羽虫」と呼ばれる存在だ。誇り高い町の住人たちは、他所から来た人々を羽虫と蔑み、公然と差別している。町に20年ぶりに客船がやってきた日、歓迎の祭りに浮き立つ夜にそれは起こった。トゥーレ一家に向けて浴びせられた悪意。その代償のように引き起こされた「奇跡」。やがてトゥーレの母は誰にも告げずに姿を消した。消えた母親の謎、町を蝕む悪意の連鎖、そして、迫りくる戦争の足音。ドラマ「相棒」の人気脚本家が突きつける、現代日本人への予言の書。高知市の「TSUTAYA中万々店」の書店員、山中由貴さんが、お客様に「どうしても読んで欲しい」と思った本の中から、特に選んだ1冊に授与する賞、第4回山中賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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有り得ないほどに有り得るかのような物語
悲しすぎて読むに耐えられない場面もあったが
それも含めてこの世のどこかで起こりうる現実
寓話的で引き込まれるストーリー展開は秀逸で
読み手の視点で考えさせる手法がすごい -
これまで読んだ著者の作品のイメージとは、全く異にする小説なので、戸惑いながら読むことになった。
序章から始まり、4章で構成され、トゥーリ、マリ、葉巻屋、魔術師と、それぞれ異なる語り手が話を始める。
彼らの名前からはどこの国とも想像が付かず、彼らの住む町も「始まりの町」と呼ばれ、SFか寓話か、なんとも捉えきれなディストピアの世界が広がる。
この世界では、中央府の印が入った推薦本一色となり、その他の本は認められず、地下出版した秘密の印刷所は警察に急襲され逮捕されるという。逮捕者は中央府の矯正施設に送られるなんて、まるで北朝鮮か中国を思い起こされるが、この日本でもいつかはあり得るか。
政党間の憲法改正で、緊急事態条項とかが論議されている。こういった法律の危険な側面は、松岡圭祐著『高校事変』で語られていた。
底流にあるのは、やはり著者らしい現代への警世であり、話が進むにつれ、著者の警句というか現代及び将来を見据えた言葉が綴られる。
「強大な力の独占は災い以外なにものも生まない。だが人間は富も力も分け合うことを嫌い、可能な限り仲間内で独占しようとする。なかでも最も恐ろしいのは、力を持った悪人ではなく、力を握った愚か者たちだ」
「他者の尊厳のために闘わないと言うことは、自分の尊厳をも手放していくことよ。個々の尊厳は貧しく痩せたものとなり、おのずと命の単価は安くなる。それがどんな事態を招くのか、この町はいつかきっと知ることになるわ」
著者がこれまでの書で危惧する事態が、現実となる日が来るのだろうか。 -
羽虫(移民)達がしいたげられる架空の街でおこったことを、4人の目線で語る。
『レーエンデ物語』の一章かと思うようなお話。
太田愛さんの鑓水シリーズとはガラリと違うものの、
現状を楽な方へ選択していくとこうなっていくのだ、という『天上の葦』でのテーマを彷彿とさせた。
最後は涙が出そうだった。 -
★★★★★+
少年、怠け者、葉巻屋、魔術師4人の視点で綴られる、ある街に起こった悲しい出来事
これはディストピア?歴史?現実?
読む人によっていくつもの感じ方がある
過去に学ぶための作品なのか?あるいは現在の我々に対する警鐘なのか?
解き明かされる少年の母に起きた真相はとても深い
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この小説の舞台となる国も時代も明らかではないが、その中央集権的な統治が進んでいくところは幾つかの実在の国を思い起こさせる。氏名や地名からは東欧のような感じも匂わせるが、いつの時代だかの日本のようなところもあるし、あるいはこれからの•••
太田愛の痛快エンタメ作品とは趣きの異なる寓話のようなファンタジックな小説だが、独裁、腐敗、謀略、癒着といった闇の世界が見せて夢か現実がわからないような恐ろしい社会を描いた社会派空想小説といったところ。すでに発刊から数年を経ているが、今だからこそのリアリティーもあってスリリングな展開にドキドキした。政治に無関心だと今にこうなるよ、という警鐘が聞こえてくる。 -
太田愛さんの他作品と作風こそ違えど社会への警鐘という根本は一緒だと感じました
舞台は始まりの町、1人の流れ者が町から姿を消すことから物語は始まる
なぜいなくなったのか、消えなければいけない理由があったのか
「この町は根が傷んでいるんだ、もうずっと以前から。深い所から腐っているのに、みんな気づかないふりをしてそれを認めようとしない。」 -
ファンタジーを通して、読者に提示するテーマが重く、なかなか光が見えないことが苦しい。
私はこれを読んでいて、ライトノベルの『キノの旅』や『86』をふと思い出した。
一つの国や街の中で起きる、「持つ者」と「持たざる者」の構造。
この話でも、「羽虫」と呼ばれる余所者であるかどうかで、生き方や生きやすさが大きく変わる。
そのことに諦めを抱いているのは「羽虫」側の人々だけで、その構造を当然としている人たちにとっては見えないも同然だ。
そこに亀裂を入れようと立ち上がる者が、さて、どうなるか。
先に二つのタイトルを挙げたのは、この、一見どうにもならない「構造」に向き合い、安易な解決ではない、でも小さな光を見い出そうとしているからだ。
私たちには、解決の容易ではない問題が数多く横たわっている。
だから、作品から見えた光を、手元に移し、また自分が生きていく中での、考え続ける中での、燈にするのではないか。 -
はじまりの町で起こる余所者羽虫差別と事件とその後の話。章ごとに語り部が変わり、進むごとに謎が解けていき、各々の葛藤が伝わり辛い。町の人から羽虫への接し方に腹立つ。人ではなく物だという扱いにこちらが耐えれなくなる。そして町の洗脳に気付かず良いように支配される、無関心ほど怖いものはないと感じる。先の章に行くにつれ未来が見えなくなり息ができなくなる。
にしても、ファンタジーと割り切れない圧倒的既視感。他所の国で、この日本で、起こりそうで他人事には思えない。 -
筋書きからはもう少しファンタジーっぽいものを想像していたけど、その想像とは全然違った。これは架空の町の物語に託されためちゃくちゃ現実の世界の話だった。
〈はじまりの町〉の人間は、「羽虫」と呼ばれる余所者の尊厳を踏みつけることで自らの自由と誇りを保持している。その「羽虫」に属する4人の登場人物の視点から、町の人間の本質があぶり出されていく。
全体主義や戦争に向かう道すじは、本当に些細なことから始まるのだろう。思考の放棄、貧富による差別や権力への盲従が、やがて自らの身も滅ぼすことを克明に描いている作品だ。
著者はきっとこの物語を遠い何処かの国の話ではなく、読む者すべての人の自分ごとなのだと、警鐘を鳴らしている。