- Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
- / ISBN・EAN: 9784041310137
作品紹介・あらすじ
足尾銅山の資本家の言うまま、渡良瀬川流域谷中村を鉱毒の遊水池にする国の計画が強行された! 日本最初の公害問題に激しく抵抗した田中正造の泥まみれの生きざまを描く。
感想・レビュー・書評
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著者、城山三郎さん(1927~2007年)の作品、ブクログ登録は13冊目になります。
本作の内容は、次のとおり。
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足尾銅山の資本家の言うまま、渡良瀬川流域谷中村を鉱毒の遊水池にする国の計画が強行された! 日本最初の公害問題に激しく抵抗した田中正造の泥まみれの生きざまを描く。
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以下、関連事項をウィキペディアより引用。
田中正造は、
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田中 正造(たなか しょうぞう、天保12年11月3日(1841年12月15日) - 1913年(大正2年)9月4日)は、日本の幕末から明治時代にかけての村名主、政治家。日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件の重鎮であり、明治天皇に直訴しようとしたことで有名。衆議院議員選挙に当選6回。幼名は兼三郎。下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)出身。足尾銅山鉱毒事件の被害者でもあり、救済を政府に訴えた。
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足尾鉱毒事件は、
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足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)または足尾銅山鉱毒事件(あしおどうざんこうどくじけん)は、19世紀後半の明治時代初期から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた、日本初の公害事件である。
足尾銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に著しい影響をもたらし、1890年代より栃木の政治家であった田中正造が中心となり、国に問題提起するものの、加害者決定はされなかった。
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谷中村は、
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谷中村(やなかむら)は、かつて栃木県下都賀郡にあった、旧下総国古河藩に属した村である。1906年に強制廃村となり、同郡藤岡町(現在の栃木市)に編入された。現在の渡良瀬遊水地にあった。
---引用終了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
明治40年、土地強制執行によって谷中村が打ち壊されて、荒畑寒村の「谷中村滅亡史」が上梓された以降も村民と田中正造の闘いは続いていた。
昭和36年に城山三郎がこの「辛酸」を書いた頃、田中正造は忘れられた存在だったという。しかし城山三郎は田中正造の華々しい議員活動や天皇直訴などの場面を中心に据えることはしなかった。ここにいるのは、襤褸を纏った田中翁が谷中村にのたれ死ぬ姿であり、谷中村の青年が闘いを引き継いで敗れてゆく姿である。明治40年からさらに約15年、強制執行の補償問題という裁判闘争を借りて、谷中村に住み続けたいと願う農民たちと貧乏弁護士の気の遠くなるような闘いが描かれる。
いまや疲れきった早川弁護士が谷中村残留民に提案する。
「家を壊されても踏みとどまったという一事で、きみらの大義名分はりっぱに立った。現に東京の人士の多くは、鉱毒問題はそれにふさわしい劇的な終焉を遂げたと思っている。これ以上踏みとどまっても、それに何ものも加えることはないんだ。田中さんは正義は必ず勝つという信念だ。しかし、鑑定人に人を得なければ勝てないことは、我々弁護士間の常識だ。とすると、これ以上の犠牲を出さないことこそ、残留民の心がけることがらではないのかね。鑑定費用の予納を求められているが、それすら払えないのが実情だろう」
「いや、それは、わしがきっとどこかで調達する」
正造がさらに顔を赤くして口をはさんだ。早川は取り合わず、宗三郎に向いたまま、
「いま、せっかく県の方から和解を申し出てきているんだ。もう一度考え直してみたらどうかね」
「お言葉ですから、一度、皆の衆と相談してみます」
そう言ったとき、宗三郎は、横から正造の灼きつくすような眼光を感じた。唾を飲み込み
「ただ、私の考えでは、和解が出来るくらいなら、強制破壊前にとっくに応じていたと思うのです。わたしらは、どんなことがあっても谷中を見捨てたくはない。がんこ者の集まりなんでがす」(52p)
早川は正造をじっと見つめていたが、
「田中さん、最後に私の意見を聞いてください」
正造の喉の奥から、うっ、という声が漏れた。
「田中さんのなさっていることは、谷中一村のためといいたいが、四百戸中わずか十数戸のための事業だ。そうした小規模のことのために‥‥」
正造は憤然として遮った。
「ひとり谷中の問題ではありません。国家の横暴を認めるかどうかという大問題です。国民の生活を保護すべき国家が、略奪と破壊をこととしている。これは日本の憲法の問題、憲法ブチ壊しの問題でがす。このまま放っておけば、日本が五つあっても六つあっても足らんことになる」(88p)
まだ公害問題が公けになっていないごろに作られた小説である。経済小説を一生の仕事にした作者の覚悟のほどが伺える。
題名は田中正造が好んで書いた揮毫から採っている。
辛酸入佳境
楽亦在其中
しかし、谷中残留民に遂に楽しみはその中に求めることは出来なかった。三國連太郎が主演した「襤褸の旗」(1974)も観てみたい。
2013年8月4日読了-
私も1962年に出た本作品に打たれましたが、さらに千頁を超える大長編の日向康『果てなき旅』(1978年上梓、翌年に大佛次郎賞受賞)によって、...私も1962年に出た本作品に打たれましたが、さらに千頁を超える大長編の日向康『果てなき旅』(1978年上梓、翌年に大佛次郎賞受賞)によって、骨の髄まで田中正造を刻印されました。2013/08/19
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田中正造の一徹で妥協しない生き方は、関係する多くの人たちを惹きつける一方、彼らを世間一般から孤立させた。彼の生き方を評価するかしないかは、読者その人のそれまでの生き方によるだろう。作者城山三郎の書きぶりも断定を避けている。しかしまた、田中とそれに続く人々の生き方を書き残し、広く伝えることが大切だと考えていることは間違いない。
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田中正造の生涯よりも、彼の死後に重点が置かれてる。田中の伝記物ではないので、そう思うとちと物足りない。しかし谷中村の件はこんなにも非道なことがまかり通っていたのかと思うと噴飯やるせない。
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田中正造の晩年と彼の死後の谷中村の苦悩が描かれている。足尾鉱毒事件は殆ど触れられていない。
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足尾鉱毒事件の後のストーリー。地元民たちの大変さが描かれている。田中正造という人物の偉大さと、他者への影響力の半端なさを知った
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読んでいて辛いけど、よくぞ書いてくれたという一冊。
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解説:常盤新平
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執着心が行動の源であると実感した。なぜ 勝ち目のない戦いを続けるのか、考えながら読んだが、理解できなかった
もっと 賢い方法があった気がする -
城山三郎氏が世を去つて丁度十年が経過しました。今わたくしは「城山三郎氏」と書きましたが、本来物故者には敬称を略すものでせうね。
亡くなつたばかりの人、例へば今なら野際陽子さんとかなら、死んだからと言つて忽ち呼び捨てにすることは気が引ける。故・吉沢典男氏は(ここでも「氏」を付けちやふけど)、たとへ対象となる人が尊敬すべき人でも、その死後長い年月を経た歴史上の人物の場合は、敬語を用ゐることはしないのがルールである、と語つてゐました。
十年といふのは、「長い年月」なのか、城山氏は「歴史上の人物」なのか、どうなのでせうか。
まあそれはどうでもいい。ここでは『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件』を選びました。田中正造といへば、足尾銅山の開発によつて齎された公害を訴へた人。もと衆議院議員でしたが、その職を投げ出し、足尾の公害問題に生涯をささげました。運動には私財を投じ、死亡時にはほぼ無一文であつたさうです。
田中の評伝を書くなら、その生ひ立ちから、華華しい議員時代の活躍ぶりを活写したいところですが、城山氏はさうはしませんでした。
二部構成で、第一部「辛酸」では、既に議員を辞職した後、「谷中村」で苦闘する姿で登場します。国は渡良瀬川を中心とする公害について、企業の責任を認めず、それどころか渡良瀬川の貯水池を強引に作り、谷中村を無理矢理消滅させます。一部村民は谷中に残り、田中も共闘するのですが、権力の前には無力でした。
第二部「騒動」は、田中亡きあとの、村民たちの悲しい戦ひぶりが展開されます。谷中残留民のひとりである宗三郎くんが実質的な主人公となり、妥協を迫る官憲や寝返つた元村民、弁護士たちの圧力に抗ふのですが......
国は谷中を強制的に廃村にせんと、住民が残つてゐるにも拘らず村民たちの家屋などを破壊し、あまつさへその費用まで負担を村民に要求するといふ無茶苦茶ぶりであります。
足尾の銅山が公害の原因だと認めると、経済的に打撃になるので、目を瞑つたのですね。さういへば志賀直哉が父親と不仲になつた原因も足尾銅山だつたつけ。
本書を読んで、いやあ明治大正は何といふ封建的で野蛮な時代であつたことよ、と思ふかも知れませんが、多分その流れは現代も続いてゐますね。環境よりも経済を優先させ、実業人を太らせる政策。中国はそれが極端に進められ、かつての日本を上回る公害大国になつてゐます。米国のトランプなる御仁も、未だに環境と経済は対立するものといふ旧来の概念に囚はれて、時代に逆行した政策を打ち出してゐます。わが日本の原発政策なども、まさに同様の問題ですな。
かかる古くて新しい課題を、1961(昭和36)年といふ時代に提示した城山氏の慧眼も注目の、感動の一作と申せませう。
ところで、長らく貨物輸送を担つた国鉄足尾線は、現在第三セクターの「わたらせ渓谷鐵道」として生れ変り、トロッコ列車を走らせるなど観光客を集めてゐます。ここを訪れる皆様は、少しだけ田中正造と鉱毒事件に思ひを馳せていただきたいと存ずるものであります。
ぢや、おやすみ。
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