母 (角川文庫 み 5-17)

著者 :
  • KADOKAWA
3.95
  • (125)
  • (106)
  • (124)
  • (8)
  • (1)
本棚登録 : 1144
感想 : 112
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041437179

作品紹介・あらすじ

「わだしは小説を書くことが、あんなにおっかないことだとは思ってもみなかった。あの多喜二が小説書いて殺されるなんて…」明治初頭、十七歳で結婚。小樽湾の岸壁に立つ小さなパン屋を営み、病弱の夫を支え、六人の子を育てた母セキ。貧しくとも明るかった小林家に暗い影がさしたのは、次男多喜二の反戦小説『蟹工船』が大きな評判になってからだ。大らかな心で、多喜二の「理想」を見守り、人を信じ、愛し、懸命に生き抜いたセキの、波乱に富んだ一生を描き切った、感動の長編小説。三浦文学の集大成。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 12月から少しずつ読んでいた三浦綾子『母』、ようやく読了。
    小林多喜二の母、小林セキさんが、自分の一生を、自分の言葉で人に語る、というスタイルで書かれている。
    読んでいるときは、綾子さんが直接セキさんから話を聞いて書いたものと思っていたけれど、年譜を見ればセキさんは1961年に亡くなっている。これは、資料を読み込み、関係者への取材を重ねて、綾子さんが創作した小説なのだ。
    1982年頃、夫の光世さんが、「小林多喜二の母を書いてほしい」と綾子さんに頼んだのが始まりだった。キリスト者の苦難を多く書いてきた綾子さんだが、多喜二の思想や人物にうとい自分にはとても書けないと戸惑ったという。それでも光世さんの熱意に応える形で、数年後には資料を調べ始め、十年後、ついに書き上げられた。ちょうど、綾子さんがパーキンソン病と診断された頃で、口述に難儀するようになる直前だったという。
    セキさんの語り口は、秋田方言と北海道の浜弁をミックスしたような言葉だったというが、これは、綾子さん自身の祖母が秋田生まれで小樽に長く住んだ人であったことから、ほぼ自然に再現された。
    あとがきで綾子さんは、「こうして取材が始まった。調べるに従って、第一に私の心を捉えたのは、多喜二の家庭があまりにも明るくあまりにも優しさに満ちていたことだった」と述べている。

  • 然程厚くない文庫本1冊の小説だが、なかなか濃密な感じだと思った。最近、少し積極的に作品を読むようになった三浦綾子の小説で、1992(平成4)年に登場した作品ということだ。
    「小林セキ(1873-1961)」と名前を挙げて、直ぐに判る人は少数派であると考えられる。他方で「小林多喜二(1903-1933)」と名前を挙げれば、「“プロレタリア文学”の小説家」と判る人が多いと思う。小林セキは、この小林多喜二の母である。
    本作は、小林セキの「一人称の語り」という方式で一貫している。或る日の午後、来訪者を迎えた小林セキが、夕暮れ迄にゆっくりと想い出等を語っているという体裁である。最晩年の小林セキは、娘の一人が嫁いだ小樽の朝里の家に在った。その家で話しているという体裁だ。
    本作の内容は小林セキの来し方、家族のことということになる。小林セキは秋田県内の村で生れて育って小林家に嫁ぎ、子ども達も生まれ、やがて夫の兄が事業を起こして一定の成功を収めた小樽へ移って行くという経過を辿る。そして長男が夭逝したので実質的に長男という様子でもあった小林多喜二を巡る様々な事柄を振り返って語るというのが本作の内容だ。
    小林家は地主であったが、後継者であった小林セキの夫の兄が事業に失敗して財産を損なってしまった。夫婦は貧しい小作農として村で暮らしていた。夫の兄は東京へ出て再起を目指したが巧く行かず、好況に沸いていた小樽へ移り、やがてパンや菓子の店を興して成功する。弟夫妻の長男の面倒を見たいと小樽に引き取ったが、長男は夭逝してしまった。その後、夫妻と子ども達は兄の招きで小樽に移る。小樽でも決して経済的に豊かとは言い悪かった。それでも多喜二は、父の兄、伯父の店で働きながら学資の支援を受け、小樽高商(現在の小樽商大)に学び、銀行に職を得たのだった。
    こういうような一家の物語が、当事者たる小林セキの証言として綴られる本作である。
    物語は、小説家としての活動で評判を得て行く他方、社会運動家として当局の弾圧の対象というようになり、やがて銀行を去って東京で活動するようになり、「逮捕後に惨殺」という事態に至ってしまう。そういう経過に臨んだ小林セキはその心情や承知している経過等々を語る。更に、その後の心の軌跡のようなことも語られ、穏やかに最晩年の時を過ごしていることが語られる訳である。
    貧しい暮らしぶりながら、何か刺々しさのようなモノがなく、朗らかに暮らす親子という姿、兄弟姉妹という様子に心動かされる。小林多喜二は弾圧の対象になって、結果的に殺されてしまうのだが、「公平に仲良く暮らす人々の世の中を目指したい」とした多喜二の主張が殊更に奇怪なものであったとも思い悪い。そういう様子に触れ、明るく優しかった息子を悼む母の様子というものが凄く迫る。
    「昭和」という時期が幕を引き、作者も70歳代に入ろうかという中、「我々が通り過ぎた“昭和”とは?」という問題意識で綴られたのが本作なのであろう。似たような問題意識の作品として、本作の少し後に纏まった、過日読了の『銃口』も在ると思う。
    極々個人的なことなのだが、自身の祖母も秋田県出身だった。秋田県辺りの方言の抑揚が下敷きになった独特な話し口調だった。本作の「小林セキの語り」という体裁で綴られた文章は、その「祖母の話し口調」を想起させるもので、黙読していても音声が聞こえているような気がした。
    何か経済的な事柄は事柄として、「心豊かな在り方」を追っていた、意図せずともそうしていた、互いの笑顔を糧にするかのような家族が在って、その一家の息子が如何したものか酷い目に遭ったというのが、小林多喜二の経過ということであろうか?何か深く考えさせられた。
    本当に、或る高齢の女性が話していることに耳を傾けるかのような感じで、ドンドン読み進め、読み進める毎に余韻が拡がるような本作は御薦めである。或る意味で「平成の初め頃以上に殺伐としていないか?」という感じがしないでもない現在であるからこそ、本作が読者に「迫る」のかもしれないというようなことも感じないではなかった。
    作品と無関係かもしれない余談だ。小林多喜二が学資の支援を受けた小樽のパンや菓子の店だが、後に製紙工場が進出した苫小牧に店を出している。この苫小牧の店の後継者がハスカップのジャムを使ったロールケーキを世に送り出す。現在も向上や店舗が苫小牧に在って、そのロールケーキも販売が続いている。小林多喜二の伯父が営んだ「三星堂」に因んで<三星>(みつぼし)という会社だ。苫小牧では老舗菓子店として通っているようだ。

  • 朗読会の作品として取り上げられていたため、読んでみたかった。
    三浦綾子作品はほぼ読んだつもりだったが、知らなかった。
    蟹工船の作者である小林多喜二の母セキの物語。
    セキが自分語りをする中で浮かび上がる、貧しさと明るさ、清らかさ。
    7人産み3人が亡くなる。そのうちの一人が次男である多喜二。多喜二が身請けしたタミちゃんのこと。

    日本一の小説家でなくていいから、朝晩のごはん、冗談を言い蓄音機を聞きぐっすり眠る、そんな夢も叶わなかった

    もちろん時代も違うけど幸せの基本はここにあると痛感する。多喜二が警察で拷問を受け亡くなったとき、
    私は多喜二だけの母親ではない、と生き続けたこと。
    産んだ子を失う、それだけで十分に辛い。それが3人、そして一人は拷問を受ける。それを忘れはしないが、キリスト教の教えと、子ども、周りの人に支えられ生きていく様子が目に浮かぶ。
    作中、いくつか疑問に思うこともあったが、それ以上の
    『母』。

  • 最近、「共産党の研究」を読んでいたから、こんな純朴な青年があの共産党のために命を落としたと思うと少し歯痒さがある

    母子家庭という環境はときにはすごくよく働くんじゃないかと思ったりするけど、それは自分がそうだったからなのかもしれない。学がないといって母を見下してしまっていたことがある自分とは、重なる部分ある、学問を執拗に進める多喜二の姿も。

    最近、子どもの育つ環境について考える。
    家庭環境、学校の環境、社会情勢。いろんなことに影響を受けるだろうが、ひとつ言えるのは、愛されているかどうか、それを感じられるかどうかではないかな。セキには、その人を愛する力がすごく強く備わっているな、と感じる。

    最後、キリスト教の話
    多喜二とイエスを重ねる部分が最後に出てくる。確かに、似た状況ではあるとは思うが、やはり、全て、聖書と結びつけて話してくるあたりがあまり好きではない、笑 ただそのことを受け入れて、そしてその視点を提供するだけで良いと思うのだが、、、
    あまりその辺りはしっくりこない

  • フリーアナウンサーの堀井美香さんが朗読をしている本ということで、どんな本か興味が湧いて読んでみました。秋田弁で語られる小林多喜二の母が語る息子の一生は母親目線で愛情に満ちており、同じ母の立場としてとても共感できた。東北の貧しい家の娘たちの過酷な運命も時代を感じるが、言論の自由も監視される昔の特高の存在もとても怖いと感じた。言いたいことが自由に言えない昔に比べ今は何事発信しやすい時代になったけれど、多喜二のように命懸けで今何か伝えられることはあるだろうか、と改めて自分に問いたいと思った。

  • 小説「蟹工船」で有名な小林多喜二の母・セキが語る、小林多喜二および小林家の歴史。
    この小説のすごいところは、セキの語り口調が自然な東北(秋田?)の方言で、まるで実際にセキからインタビューしたみたいに書かれていること。
    あとがきによると、三浦綾子さんは夫の光世さんから「小林多喜二の母を題材に書いてほしい」と言われて、取材をしたり資料を集めて書いたのだそう。「きっとこんなふうに話すだろう」と、母としての立場とその心情を想像しながら、それを小説に落とし込んでいったってことだよね。すごすぎ。
    三浦綾子はやっぱすごい。

    近藤牧師が「神の恵みです」と言いながら泣いたとき、私も一緒に泣きました。そうなんだよ、キリストと一緒にいたいと思えるって、神の恵みなんだよね・・・。

  •  「母」の人生は言葉では言い表せられないほどの惨い経験を経てもなお続いた。なんと過酷な毎日だったことか。生きる意味はないと思っていたと思う。
    この物語を読んだものが軽々しく「母」の気持ちを代弁するなどできることではないが、子をこんな風に失い、それでもなお、生きねばならない。そのことを呪っただろうと思う。自分に残されてる命をぜんぜん理解できなかったのではないだろうか。

     そして、「母」はキリスト教えに耳を傾け、共産党にも入党するがそれらを心の支えに熱狂することはなかったようだ。そのことを私はとてもよくわかる気がした。
     何に関しても「過ぎる」行為、「信じすぎる」行動を自分が自分で許さなかったのではないかと思う。そいういう意味で多喜二の共産党の活動への熱狂や筆者三浦綾子自身の信仰の姿勢とは真逆にある人であった。
    受洗していないことにおそらくは嫌悪を覚えたのは反面、信仰しなくとも素晴らしい人間だった多喜二の母に一目置くというか、畏怖の念があったのではないだろうか。

     この本を読みながら多喜二の恋愛への姿勢や活動への熱狂はなにかどこか「過ぎて」いて、ジッドの「狭き門」を思わせた。
     
     多喜二のような人々の上に今の日本が気づかれたのだから、そのことを深く思うべきなのだろうけれど、この母を悲しませた罪は大きい。自分が親不孝をしているなと思ったら読むがイイと思った。

     ところで、三浦綾子氏がなくなった数年後だったと思うけれど、夫の光世氏の講演会が無料で入場できるというので友人と連れ立って行った経験がある。その時にこの「母」という小説を知ったのだ。びっくり、もう20年以上前。
    会場でその時初めて「共産党主催」の会だったと知り、勧誘されるのではないかと少々、ビビりながら聞いたのだが、演者の光世さんも「母」の小説のエピソードを語りながら(ほぼ何も覚えてない。すみません)しきりに「政治のことは無知」とか「共産党のことはなにもわからない」とかしきりに挟み込みながら語っていたことだけど覚えている。やさしい良い人だなと思った。

  • 秋田弁で人好きのする語り手は小林多喜二の母、セキがモデル。終始話し言葉なのに飽きないで読んでいられる。自分が話を聞いているようで心が和んだ。言葉からぬくもりを感じ、このおかあさんになら何でも話してしまいそうだ。
    百姓の貧乏な暮らしから抜け出せない負の連鎖が辛かった。世の中を良くしようと立ち上がる人がいなければ変わらない。
    神も子を失っているという視点を初めて得た。殺された多喜二をイエスに、セキをマリアに重ね合わせるのは確かにそうなのかもしれないと思わされた。
    なによりも、セキが遺した文章に心が動かされた。幼少期勉強をしている余裕がなかったから、あとから文字を学んだという拙さがあるからこそ、心情を吐露したこの文章に率直さが表れていると感じる。言葉ってなんて貴重なものだろうかと思う。
    文字を読めないセキに話して聞かせる多喜二や、絵を見せて語る近藤牧師のような、分け隔てなく学びの場を設け共に進もうとする姿勢に感銘を受けた。一生を通して考え続けることは決して無駄じゃないと思う。

  • 小林多喜二は名前を聞いたことがあった程度で、三浦綾子も初めて読んだ。
    語り口調でかつ訛りも入ってるのに、すごく読みやすくてページをめくる手が止まらなかった。
    母の子を思う気持ちが溢れていて、私も涙が止まらなかった。
    小林多喜二についてもっと知っていきたいし、三浦綾子の作品もどんどん読んでいこうと思う。

  • 当時の貧しい生活や多喜二の死など読んでいて何度も心を動かされた。

全112件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1922年4月、北海道旭川市生まれ。1959年、三浦光世と結婚。1964年、朝日新聞の1000万円懸賞小説に『氷点』で入選し作家活動に入る。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多くの小説、エッセイ等を発表した。1998年、旭川市に三浦綾子記念文学館が開館。1999年10月、逝去。

「2023年 『横書き・総ルビ 氷点(下)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

三浦綾子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
劇団ひとり
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×