死刑執行人の苦悩 (角川文庫 お 21-1)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041878019

感想・レビュー・書評

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  • 書かれた時代を考えれば仕方がないのかもしれないけど、
    ちょっとあまりにも全体化・一般化が過ぎて、
    せっかくの力強いメッセージが伝わりにくくなってしまうのが
    勿体ないと感じた。

  • 「なぜ殺さなければならないのか」…。執行という名の下に、首にロープをかけ、レバーを引く刑務官と、ゼロ番区と呼ばれる舎房でその日を待つ死刑囚。徹底した取材を基に、あらためて死刑制度を問う衝撃のドキュメント。

  • 死刑を執行する人の苦労など考えたこともなかったが、これは大変なことだ。考えさせられる。
    この本を読むと死刑は絶対に無くさなければならない、と思う。
    しかし、自分の大切な人が殺されたなら、犯人を死刑にしてほしいと思わずに自分がいられるかは自信がない。
    が、この非文化的な裁きについて、もっともっと考える必要がある。昭和に書かれたこの本だが、本に書かれている内要と同じことが21世紀の今でも同じように行われていることについても何かおかしいぞ、と思い、議論しなければならない。

    だって、今日も死刑判決が言い渡されたから。

  •  人を殺すのには理由がある。
     死刑囚となったからには、怨恨、飢え、欲望のままになど、何らかの理由で人を殺めている。(冤罪の場合もあるのだが)

     しかしながら、死刑囚の執行をする死刑執行人には人を殺す理由はない。ただ、規則に従い、人を殺さざるを得ない。
     死刑執行をして初めて一人前といわれる世界で、死刑執行をすることでいくばくかの手当てを受けなければいけない人間の苦悩はいかほどのものなのだろうか。
     もちろん、死刑が確定し、執行を待ち続けることしかできない死刑囚にも想像を絶するほどの苦悩があるだろう。けれども、何の恨みもない(もしかすると冤罪かもしれない)人間を手にかけなければならない死刑執行人は、何なんだろう。心に傷を負いながら、守秘義務があるゆえにそれを口にできないというのは、なんという辛さなんだろうか。

     今まで死刑執行について、そこまで深く考えていなかったのだけれども、殺す、ということを生々しく感じさせた。

  • 1993年(底本88年)刊行。死刑執行に携わる刑務官の実情をレポートしたもの。確かに、執行の実情、執行の過程、執行されて死に至る囚人の模様、遺体の措置等知られていないことが多い。この点、佐木隆三があとがきで言うように、これらの事実を正視すべきは言うまでもない。死刑廃止・存置については難しい問題を孕み(人間のする裁判には誤判の恐れがあるなど。死を目の前にしなければ人間性回復が望めない?)、簡単に結論が出せないでいるが、その結論いかんを問わず、これらの事実に目を向けるナイーブな目線は保ちたい。
    「トロッコのジレンマ」には苦悩することなくとも、自ら手を下す「陸橋のジレンマ」には、感情的な忌避を生じる率が高い。

  • 死刑判決を受けた人ではなく、死刑を執行する側について取材したもの。
    実際に「手を下す」役を務めた元刑務官たちにインタビューし、彼らが抱える闇や苦悩を聞き出している。

    初版(単行本)が1988年刊ということで、内容的には少々古いところがあるが、刑務官側の事情を調べたものはあまりないようなので、やはり貴重な1冊だと思う。

  •  死刑執行人実態ルポ。読むと死刑制度に対する観方が変わる。それ以前に、今の世の中死刑についてはそれほど考えない人が大半かもしれない。凶悪犯罪がクローズアップされ、そこに死刑廃止論者の弁護士が登場すると、それを「非難」するカタチで死刑制度について少しだけ考える。そして事件がメディアからフェードアウトするにつれてまた日常に戻っていく。本書に登場する死刑執行人の日常と自分の日常を比べてみることによって「死」というものを深く考えるきっかけとなる。

     法に従って他人の命を奪うことは、自らの意思によってそれを行うこととはまた違った苦悩がある。本書はこのような葛藤を持つ死刑執行人にスポットを当てているのだが、それに加えて死刑囚の振る舞いも貴重な描写として描かれている。執行当日声にならない叫びで必死に抵抗する様は非常に痛々しい。そして人間であれば「死」を宣告されたことによって何かしらの「変化」はあるはず。ちょっとした嫌がらせならばともかく「死」の宣告であれば「不貞腐れる」よりも「悟りを得た」とでもいうような変化が訪れてもおかしくはない。そしてそうした死刑囚を「殺す」ことを拒否できない執行官。

     かなり前に出版されたものなので、今では執行方法やその手続きも変わっていると思われる。手当の金額や直接の執行を行う方法などは今では現代に則したものとなっているだろう。しかし人が人を殺すという構図は今も昔も全く変わらない。ナイフで人を刺し殺すことも、核兵器で人を殺すことも行為の難易度の差はあれども、行為の結果としては等価値である。そして死刑の執行は刑務官、刑務所、もっと法務省そしてもっと広く公務員、そしてそうした人達およびその行動の正当性の契機となっている国民が行っている。我々はそれを正当化する理由はどうあれ「人を殺している」のである。

     著者も言及しているが、死刑制度の応報性が犯罪の抑止に繋がるというのならば、なぜ執行を公開しないのか。現場を映像で流すようなことは無理だとしても、死刑が執行されたこととそれによって命を絶たれた人の名前をメディアで大々的に流したらどうか。妄想となってしまうが、こうした死刑制度を存続させている理由は、犯罪の抑止ということよりも、一部の人間にとって邪魔な人物を消す手段を「万が一のために」確保しておくことではないのかと勘繰ってしまう。

     死刑に対して肯定的な方々はぜひともご一読願いたい。

  • 現在もこのような感じなんだろうかとは思った。

  • 4041878012 221p 1998・1・10 18版

  • 死刑賛成、反対を考える時、加害者や被害者、その家族のことは思っても、執行人の人のことは思ったことがなかった。どれだけの苦悩を抱えているのか考えることができた。少し古い本だったので、今はどういう状況になっているか気になる。

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