はじめての構造主義 (講談社現代新書)

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  • / ISBN・EAN: 9784061488984

感想・レビュー・書評

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  • 本当に初めて構造主義の本を本だが、書中のどこからどこまでが構造主義なのか、理解できなかった。しかし、興味を持てたので、関連する文献にも目を通したくなった。

  • 構造主義人類学者のレヴィ=ストロースの思想を中心に、構造主義の考え方をわかりやすく解説している本です。

    レヴィ=ストロースは親族構造を分析することで、社会の交換システムとしての「構造」を発見しました。その後の彼の関心は、しだいに神話の分析に移っていきます。そこでは、物財の交換システムではなく、言語をメディアとする、意味のコミュニケーションシステムとしての「構造」が追及されることになります。

    本書はこうした「構造」概念の変遷を概観し、さらに数学における「構造」との関連についても触れられています。射影幾何学や抽象代数学以降の数学では、変化を通じて保存される普遍的な性質に目が向けられることになりました。そうした数学的「構造」の理解が、レヴィ=ストロースを中心とする構造主義の発想のもとになっていることを、本書では直観的に理解できるよう、工夫を凝らして説明しています。

  • これが構造主義だ!と、一言では定義できないのが構造主義だということと、レヴィ=ストロース(構造主義を始めた人)の仕事の概要はなんとなくわかった。

    元言語学徒でありながら構造主義も知らないのか、とお叱りを受けそうだけど、生成文法は研究手法としてのアメリカ構造主義を否定する形で登場したという背景があって(ゴニョゴニョ)……で、さらにアメリカ構造主義はヨーロッパの構造主義とは違うんだとかなんとかかんとかワケワカメ。

    「諸現象に共通する、数学的な構造に注目してそれを抽出する」という考え方は、生成文法でもXバー理論などに見受けられるし、統語演算をMergeのみに帰する最近のMP理論も、基本的な考え方は“構造主義的”といって差し支えないと思った(本書を読む限りでは)。そもそも、生成文法が想定する「普遍文法」という概念(全ての自然言語には、その言語の種となる共通のシステムが存在する、という考え方)からして、すごく構造主義的だ。

    生成文法こそ最先端の構造主義だ、と言えなくもなさそうだけど、誰もそんなことは言わない不思議。

    わかったような、わからないような。

  • 2013.01.09 一回読んでしっかり理解できるほどあまくはないが、ざっくりと構造主義の輪郭をつかむことはてきた。もう一度読んでポイントをつかむ。それから、関連図書もチェックしたい。

  • 久しぶりに読み直しました。前回理解できていなかった所(嫁とそれ以外の違いとか)が明白になり、有益な読書でした。だいぶ視界が開けてきた。それにしてもこの本は本当によくできています。入門書とはこうあるべきなんだなあ。

  • 神話学が成功したからといって、あらゆるテキストにその方法が適用できるわけではないのでは?とか、レヴィ=ストロースの手法が鮮やかすぎる、他の人にはなかなか真似できないってんなら、構造主義者ってのは何してる人なの?とか、いくつか疑問も残ったけど、大体どんなもんかってのはわかった気がします。以下はまとめ


    ・流行の変遷
    マルクス主義-社会は歴史法則に支配されている(資本主義→共産主義の流れ、革命が起こるべくして起こる等)。革命の成功が歴史によって約束されているなら、わざわざ参加して危険な目にあう必要もないという考えに陥りかねない。そのとき、個人の生きる意味は?マルクス主義は社会全体が一度に救済されることを目指すが、その代わり一人ひとりの運命・生きる意味などは蔑ろ(一人ひとりの人格に大きな価値を置くキリスト教と相容れない部分)。

    実存主義-人間の存在にはもともと理由がない、理由がない(無駄死にする)ならいっそ歴史に身を投じてみる。その方がはるかに値打ちのある生と言える。ただ、ニヒリズムに陥らないために、前提としてマルクス主義の言う歴史の存在を信じる必要がある。

    構造主義-マルクス主義のいう歴史、19世紀的なものの見方(社会が単純・原始的な段階から複雑・機能的な段階へ進歩・発展していく)はヨーロッパ人の偏見。人間や社会のあり方を歴史抜きに直視する。西欧中心のものの見方をやめ、比較方法論によって近代ヨーロッパ文明を人類全体の中に謙虚に位置づける。


    ・〈構造〉のルーツ
    絵画における遠近法-ひとりひとりの視点(主体)からみた世界を忠実に再現する。主体や客体、認識ということが十分意味を持つ。

    射影幾何学-視点が変わると図形は別の形に変化する(射影変換)。その時でも変化しない性質が〈構造〉(e.g.正方形を射影変換すると正方形・台形・たこ形・ただの四角形に変化。これら4つの四角形全ての共通点「四つの線分に囲まれている」)。

    ヒルベルトの形式主義-公理(数学者の間の約束事にすぎない)をきちんと示し、様々な公理系から同じ幾何学を導けることを証明?(説明ほとんどなし)

    ブルバキの〈構造〉-フランスの数学者グループ。グループの一人、アンドレ・ヴェーユがレヴィ=ストロースの協力者。〈構造〉の概念を核にして数学の統一像を描き出そうとする?(説明ほとんどなし)

    レヴィ=ストロースの〈構造〉-レヴィ=ストロースの神話学はブルバキ派の〈構造〉の概念をそのまま神話の領域に持ちこんだもの。


    ・親族研究(インセスト・タブー)
    女性そのものの価値を直接味わえるようだと交換のシステム(社会)が成り立たなくなる。
    親族(女性の交換システム)が成り立つためにはそれが否定されなければならない。同じ集団のメンバーにとって、女性の利用可能性が閉ざされなければならない。近親相姦が否定されて初めて人々の協力のネットワークが広がっていく。
    “価値があるから交換する”んじゃなく、”交換するから価値がある”。”タブーだから交換する”んじゃなく、” 交換するからタブーである”
    社会がまずあって、その中にコミュニケーションの仕組みができるのではなく、そもそも社会とはコミュニケーションの仕組みそのもの。
    交換は利害や必要に基づくのではなく、純粋な動機(交換のための交換)に基づく。交換のシステムの中では女性や物財や言葉が「価値」あるものになるが、それらがその「価値」ゆえに交換されるわけじゃない。あくまで交換のための交換が基本で、それが特殊に変化・発達していった場合にだけ、経済(利害に基づいた交換)が現れるにすぎない。
    交換のシステムは機能の観点から捉えきれない。→機能主義人類学を批判。
    人々の利害が交換の動機になっていない。→マルクス主義とも対立。


    ・神話学
    オーストラリアの原住民の結婚のルールが抽象代数学の群構造と全く同じものだったことから、「人間の思考は一直線に進歩していくわけではなく、人間の思考のレパートリーはあらかじめ決まっていて、それを入れかわり立ちかわり並べ直しているだけかもしれない」と考えたが、親族研究では人間の思考以外の物質的要因が多すぎるので、人間の思考のレパートリーの宝庫であろう神話でそれを証明しようとした。
    「未開」社会の人びとは「考えるのに便利 good to think」な自然の事物を使って彼らを取り巻く世界や宇宙について考える(野生の思考)。ありあわせの材料を使って考えていくので日曜大工のようなブリコラージュになる。その意味不明なエピソードに隠された〈構造〉(野生の思考に支えられた「神話論理」、個々の神話の間の変換関係)を明らかにした。
    神話学はテキストを字義通りに読まない。それはテキストの表層に過ぎなくて、本当の〈構造〉はその下に隠れている。テキストをずたずたにしていろいろな代数学的操作を施しても構わない。(テキストの解体)→キリスト教における最高のテキスト(聖書)の権威を否定し、”神”をもかき消す。いったん構造主義の洗礼を受けた後ではどんな権威あるテキストも成立しなくなる。
    神話学を理解するのに主体は関係ない。(主体不関与)→これまでの近代主義の思想(人間を主体とみる考え方)に打撃を与えた。
    主体の思考の手の届かない彼方に、それを包む、集合的な思考の領域の存在を示した。〈構造〉はひとりの主体にこだわって世界を認識しようとしているあいだは現れてこない。


    ・構造主義批判
    〈構造〉は空間的なため、時間的な変化を捨象している。
    人間の主体性がどこかに行ってしまった。
    「作者の言いたいこと」を括弧に入れてしまう。

  • これは面白かった!
    特にレヴィ=ストロースの人類学のアイデアや、それに関するモースの贈与論、ソシュールの音韻論や記号論などここまで詳しく、かつ分かりやすく書いてある本は他に読んだことが無い。
    中盤の数学史と構造主義の関連を説明する部分は脳みそとろけるかと思うほど面白かった。
    内田樹の『寝ながら学べる構造主義』の後に読むと、理解が深まって良いと思う。
    これはオススメ!

  • だましだましなのは承知の上。でもこうした知的な本、初めて最後まで納得しながら読めた。
    「●●入門」にありがちな全然入門じゃない難解な本にとは違い、本当に必要な部分だけをわかりやすく。
    ありがたい。

    さて、「構造主義」は高校の倫理で課題がでたので言葉だけ覚えている。
    倫理はいつも6限だったのですべて睡眠時間。
    なんの意味もわからず適当なものを提出した記憶がある。
    もったいない。

    自分の言葉でうまく説明できないけど、学問の新しい比較方法論。
    人間社会はある方向へ進化しているわけではない。
    対立する要素の組み合わせ(この枠組み=構造なのだろうか)の中で動いているだけなんじゃないか、という理解をした。
    気付かないうちにとらわれていた見方から抜け出し、根底にある枠組みの存在を明らかにしていくと、新しい発見がいっぱい出てくる。
    結果として、「西欧中心」のものの考え方からの脱却につながる。

    レヴィストロースが研究していた文化人類学をはじめ、言語学、数学や、はたまた神話の世界まで、まさに思考の構造変化を生みだす。
    レヴィストロースの第一歩は、以下の南米に住む原住民の研究。
    「未開」とされた彼らの近親相姦のルールは、どう考えても不可解で根拠がない。
    でも「親族間の女性交換」という見方をすると、きわめて合理的な仕組みを持っていることに気付く。
    しかもその中には高度な数学の考え方が内包されていて、「時代の先を行く」西欧人は衝撃を受けた。
    レヴィストロースは、人間社会は「女性・物財・言語」の交換システムだ、と考え、その構造を解き明かそうと、なぜか世界の神話研究に没頭する。

    後半の幾何学の話がおもしろかった。
    遠近法から思考(枠組み)の限界がどんどん広がっていく様は目が醒める。

    本を読んだ2日後、仕事中の会話の中で、ふと構造主義的な視点がふとひらめいた。
    と、いうことは自分の考え方を広げるきっかけになったということ。

    やっぱ学生時代は勉強すべきだったなあ。
    まあ、本に書いてあることはほとんど1970年以前のことなのだが。
    なんて、2012年から40年前を見下ろす考え方が、すでにとらわれているのだ。

  • 構造主義の入門書として本著は広く読まれているようだ。個人的にはレヴィストロース風の構造主義はまるで面白くないのだが、構造主義の骨子を理解するにはレヴィストロースが必要なことはなんとなくは理解できた。結局のところレヴィストロースが何をしたかったのかがまるでわからない。相対という言葉を使うけれど、<構造>なるものは真理ではないのか?と感じる。真理がないというが、構造であるならば相対を果たしきれてはいないのではないか?また、レヴィストロースの思想自体は他の思想への影響力は極めて強かったのだろうが、その思想自身がより根源に迫りきれるものなのかどうかというとかなり不確かにも思われる。個人的には哲学とは真理への志向性と本人の嗜好が混ざり合ったものだと感じている。それがどちらなのかわからなくなりそのわからなくなった先にしかしなにやら見えてくるものがある。もしそれに成功したならばそれが哲学と言っていいのではないか?著者が後書きで述べているように、現代日本では独自の哲学を持っている人は少ない。ビジネス書やら芸人やらがそれぞれ哲学という言葉を簡単に使っては本を書いているけれど、彼らはそれを手に入れるために懸命に考えたのではなくて社会的に成功した後に、自分が何を考えて行動したのかを文章化しただけだろうと思われる。現代日本においては誰でも言えるような台詞が、社会的に成功したという一点において素晴らしい台詞となってしまう嫌いがある。おまけに現代日本人は年々頭が悪くなっているようにも思う。二十年前とか、三十年前とかならばやや高度な内容のものが広く読まれた。もちろん、大衆にはそれを理解しきれないので実際はそれを読まずにおいた人が大多数だろうが、しかし広く流通したものはそうした高度な内容を持っていた。今はそうではない。今は誰でも書けそうなレベルのものが広く流通している。誰でも読める代わりにこれといって内容がない。そのようなレベルのものをなぜだか礼賛する。もはや思想や知識が馬鹿らしいものだと感じられているのかもしれない。今は情報があればいい、そういった傾向にあるのだろう、と著者の後書きに触発されて書いてみた次第である。


    本著の内容を要約すれば、構造主義というものは相対性を肯定的に捉えようというものだと言えよう。ニーチェが言うところのニヒリズムが全てを相対化し虚無的に振舞うというのならば、構造主義は主客概念や西洋中心のヒューマニズムなどの近代精神への反省として生まれた思想であると言える。とはいえ、反人間主義ではない。西洋中心のヒューマニズムに反対しているだけであって、基本的に人間に重きを置いているところには代わりがないからである。レヴィストロースは自文化を相対化することで構造に迫ろうとしたのだ。個人的にはこれが真理といわずしてなんだろう?とは思うのだけれど、だから真理を相対化するというよりは、西洋中心の真理ではなくてより普遍的な人間としての真理を見つけるべきだと考えていたのではないか?とは思われる。だが、レヴィストロースについてはどうにも哲学者とは思われず、思想家というのはうなずけれるけれどきいていると人類学者にしか思えないのだ。一般に広く言われている構造主義やポスト構造主義は、構造主義の前後に繋がっている連綿とした流れから、それぞれが都合のいい部分を借用して自らの理論を作り上げているものの集合みたいなものでかなり混沌しているのは間違いない。とはいえ、その根本にあるものはソシュール的な言語学と西洋の遠近法より発達する幾何学と言えるようだ。そこにはかなりの根拠があるように映じる。とはいえ、その数学はどちらかと言えば文系よりな数学にも思われる。理論重視の数学とでも言えばいいのか。ちなみにレヴィストロース自体は抽象代数学に重きを置き、結果として空間的な分析を行っているのだが、これは相対性理論と比べるとやや相対性が不十分と言えるのかもしれない。このあたりのズレをどうにかできた人はいるのかいないのか不明ではある。ちなみにソシュールの言語学自体もそれが出現してくる必然性やそこに焦点が当たる理由もわかるのだが、実際に議論されていることはせせこましくてちまちましたものとなっているというのもまた事実なのではないだろうか?真理への志向性への反省としてその土俵自体を捉えようとするのがポストモダンであるはずなのだが、実際には周辺領域のテクニカルな議論に終始してしまっているような気がしないでもない。本著を読んでいて一番愉しく読めたのは数学的な部分だろうか?

  • 構造主義とかポストモダンとか一体何なんだよ
    というように思って
    一応、なんとなくは知っていたけど
    入門書も読んだことがないな問うわけで読みやすそうな所から読んでみた

    で、わかったかっていうと
    やっぱりなんとなくしかわからなかった

    一応自分なりに説明すると
    それまで未開の野蛮な文化西洋社会が見下げていた文化が
    実は馬鹿にしたようなものでもないよと
    やり方や見てくれが違うだけで
    ちゃんと考えて調べれば論理的で合理的なシステムだよ
    と言いだしたレヴィ・ストロースさんという人類学者が発端になって生まれた思想らしい

    キーワードは数学
    数学には公理とかいうのがあるらしいんだけど
    この公理というのは、昔はもうこれ以上分解できない、当たり前すぎて証明することができない、他の定理を証明することしかできない、自明の事実でこの公理から出発する数学(幾何学)しかないと思われていたわけ
    でも、ちょうどこのレヴィさんが生きていた時代あたりで、この自明の事実というのは、もちろん自明なんだけど、他にも、違う公理を使うことで出来る数学(幾何学)がありそうだぞ、ていうかある、作れるし作ったし
    という状況になって参りましてさあ大変
    今まで唯一の真実だと思われていたものが実は制度のひとつにしかすぎないことが分かってしまった
    出発点(公理)が違えば結果も違う
    神様、真実ってあるんすか
    ということになりました

    で、その数学を文化にあてはめたのがレヴィさんなのです
    彼は、西洋文化が唯一もっとも優れている文化
    直線状で一番前に居る進化した文化だと思われていた西洋文化に対して
    出発点が違えば向かう方向も違うし考え方も違う
    西洋文化以外の文化は未開なんじゃなくて種類が違うだけなんだ
    ということを
    数学的な考え方を駆使して
    それぞれの民族の婚姻制度だったりとか神話分析をしたりだとかすることで
    西洋文化の皆様を論理的だと納得させて衝撃を与えたわけです

    で、構造というのは
    どんな文化にも在る、原則の様なものです
    ある設定のもとでどれだけ変化しても変わらない性質のことらしいんだけど
    ここは正直あまりわからない

    こんな思想らしい
    ここら辺から多様性っていう考え方が出てきたのかなあ
    そういえばもうかなり前の話だけど
    テレビやら漫画やらで多様性がどうとか
    傲慢な西洋文明とかそういう言葉が出てきていたなあ
    時間はつながっているんだなあ

    この著者がこういう数学的な説明をしている人はいないと述べていたので
    もしかしたら偏った理解かもしれない
    もう少し勉強しよう

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著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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