<出雲>という思想 (講談社学術文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061595163

作品紹介・あらすじ

明治国家における「国体」「近代天皇制」の確立は、"伊勢"=国家神道の勝利であった。その陰で闇に葬られたもう一つの神道・"出雲"。スサノヲやオホクニヌシを主宰神とするこの神学は、復古神道の流れに属しながら、なぜ抹殺されたのか。気鋭の学者が"出雲"という場所をとおし、近代日本のもう一つの思想史を大胆に描く意欲作。

感想・レビュー・書評

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  • 明治初期の神学をめぐる出雲(オホクニヌシ)と伊勢(アマテラス)の論争を、本居宣長が初めて言及した「顕」と「幽」の考え方を手がかりに、彼の思想の系譜をたどりながら解き明かす。
    第二部では、第一部で明らかにしたオホクニヌシが次第に言及されなくなった時代の流れと、埼玉県に多いオホクニヌシが祭神の氷川神社がある大宮の衰退を重ねて論じている。

    維新政府にうまく近づけた津和野派の活動や、民権運動に乗じて勅命を勝ち取ったことなど、伊勢派が勢力を強固にする経緯を知りたくなった。出雲側からの考察だから情報が少ないのは当然なのだろうけれど、千家尊福の精力的な動き、教義面の充実、伊勢派神官の切迫感をもってしても出雲派が退けられてしまったのは権力側にいなかったからというだけなら、つらいものです。
    とは言え、千家尊福のその後の活躍は清々しいほどで第二部にも絡んできてたくましい。

    最初はとっつきにくいと思いながら読みましたが、慣れてくるとぐいぐい読み進める感じがしました。

  • (01)
    私たちが親しんだり、親しんでいなかったりする神道の問題が、本書にあるように近世後期以降に著された解釈が主体となっていることがまず確認できる。記紀や風土記とその外伝(一書)を古典とし、その「近代」的な読みを通じて復古神道が立ち上がっていく様子はスリリングである。現代において神道は国家を左右し統合する思想として利用されたが、その理論の端緒や顛末を知る上でも興味深い。
    出雲とその神々(*02)が、伊勢の対立軸というだけでなく、幽冥と顕を行き来し、あるいは天国と地獄、罪と罰といった法制面(*03)にまで乗り出しているのは、近代国家を考える上でも示唆的であろう。

    (02)
    平田国学の展開にも注目している。伊那谷における近世末期から近代初期にかけての展開は、藤村の「夜明け前」に詳しいが、あるいは諏訪信仰にも見える出雲への対立意識とシンパシーが伊那谷が平田国学を受容する素地にあったのかもしれない。

    (03)
    神道の近代的な解釈にあたって、儒教や道教が及ぼした影響というのは知られているが、本書においては近世の初期に移植されたキリスト教と神道の結びつきも示しており興味深い。

  • 世界の造物主である「オオクニヌシ」を祀る〈出雲〉と世界を統治する「アマテラス」を祀る〈伊勢〉。オオクニヌシはアマテラスの要請に応じて権力を移譲した。出雲が時の権力に対抗し弾圧されたのは、なにも「古事記」や「日本書紀」に描かれた古代においてばかりではなかった。日本近代における「国家神道」「国体」の確立のもと、その裏で抹殺されたもう1つの神道思想の系譜を描いた研究書。ほぼ「論文」だけれども、判りやすく読み解かれている。

  • 明治政府は、アマテラス<伊勢>の系統をひく天皇だけが正統的な日本の支配者であることの意義づけに奔走した。
    スサノヲやオオクニヌシをはじめとする<出雲>の神々との整合性が必要になってくる。
    様々な議論と、権力闘争が宗教界で行われた。
    出口ナオの大本教は、<出雲>に接近し、出雲の千家尊福は、独自に活動を広げている。
    そして埼玉。埼玉に多い氷川神社は、オオクニヌシを祭る<出雲>系の神社であった。古代出雲と埼玉との関連性、天皇の首都・東京都のとの関連、興味深い視点でした。

  • 神道の思想史的系譜について、江戸時代の国学から維新政府による国家神道に至るまでの流れを俯瞰し、アマテラスから続く血統「天皇家」の中央集権近代国家の権威として伊勢の系譜を紹介しつつ、(維新政府にとって)傍系たるオオクニヌシノミコトから続く出雲の血統「出雲国造」に焦点を当てた著作。別途出雲の系譜としての大宮氷川神社の思想史の紹介あり。

  • 『神社ツーリズム』と同様、2016年秋の、約13年半振りの出雲紀行を契機に購入。
    古代神話や出雲関連の書籍は、とかく"古代史の謎解きもの"が多いが、あえて出雲というものを宗教的・神話的視点や、大衆受けするオカルティシズムではなく、思想面からの学術的アプローチで述べられていたところが購入理由である。
    また、社会人大学院に通っているからか、学術的書籍を好んで読むようになったことが、本書を手に取った理由のひとつでもある。

    著者は、冒頭にて「<出雲>とは、古代史ばかりでなく、幕末から明治維新を経て、昭和に至るまでの近代史にあっても、極めて重要な役割を果たした思想的トポスだったのではないか」と、基本的視点を設定している。
    出雲は、古事記の神代の時代において、国の成り立ちにとって特に重要な位置づけとされ、現代においても出雲大社を中心として厚く信仰を集めている、くらいの感覚しか持ち合わせていなかった自分にとって、思想という視点は非常に斬新であった。

    本書は、まず国学者である本居宣長と平田篤胤の生涯を賭けた研究テーマである「復古神道」における<出雲>の解説から論考が展開される。
    特に、出雲神話の記述の多い古事記ではなく、日本書紀、それも異伝扱いである「一書」に焦点を当てているところが興味深い。というのも、日本書紀の一書第二に記述されている「顕」と「幽」の概念が本書の論考の根幹を成しているからである。

    更に、この2つの対立概念が、平田篤胤以降の神学論争に発展し、様々な紆余曲折を経て、アマテラス<伊勢>とオホクニヌシ<出雲>の何れが国体の神として相応しいかという議論が、明治維新後の政府まで巻き込んだという事実には驚きを禁じ得なかった。現代の歴史・倫理教育には取り上げられないテーマであろうが、本書のような学術的な展開だと俄然リアルさが増す。

    特筆すべきは、第80代出雲国造で、かつ貴族院議員、埼玉、静岡、東京の知事等を歴任し、政界にも神社界にも大きな影響力を持ったとされる千家尊福氏が、「出雲派」の筆頭として「伊勢派」と激しく対立した挙句に、政治工作により敗北したという事実である。
    歴史にIFはタブーだが、妨害工作が失敗していれば国家神道の象徴が出雲大社であったかもしれないことを考えると、2013年の伊勢神宮と出雲大社の同時遷宮(出雲大社は定期的に執り行われるいわゆる"式年遷宮"ではない)や、2014年の高円宮典子さんと千家国麿氏の結婚は、庶民レベルでは推し量ることのできない、何か深い特別な事情があるのではないかと邪推してしまうのは自分だけではないであろう。

    また本書では、復古神道から伊勢を中心とした国家神道成立までの思想史の他に、坂の上の雲で一躍有名になった秋山真之が傾倒したと言われている大本教と出雲との関係や、埼玉県さいたま市の大宮に鎮座する、武蔵一宮の氷川神社と出雲の関係などにも触れており、学術的内容でありながら読者を飽きさせない。

    いかなる歴史的・思想的背景があろうと、出雲地方や出雲大社は、現代においても日本の聖地のひとつとして多くの人々を惹き付けてやまない魅力があることは紛れもない事実である。だからこそ、そこに秘められた"陰"の一面を垣間見ることによって、より深く、そして多面的に日本文化の重層性を感じ取ることができるのではないだろうか。

    思想史的な書籍を読むのは初めての経験であったが、おかげで出雲紀行が精神的にとても充実したものとなった。そして、近い将来に訪れるであろう伊勢神宮に対しても、これまでとは違った心持ちで参拝できるのではないかと期待している。
    少し大袈裟な表現かもしれないが、自分自身における新たな境地への扉を開くきっかけとなった一冊であった。

  • これの前に読んでいた『サイモン・アークの事件簿I』と同時期に購入。第一部は十八世紀末から十九世紀末に至るまでの政治思想史〈総論〉で、国学や復古神道などさほど古くない時代が記述の起点となっている。確かにそれ以前の政治思想に〈出雲〉は関わってないわけだから当然といえばそれまでなのだが、〈思ってたのと違う〉感は否めず。しかし「幽冥主宰神」オホクニヌシを巡る闇の政治思想史として、なかなか興味深い論点ではあった。
    第二部は埼玉県の県庁所在地に関する思想史〈各論〉。つまり大宮でなければ、浦和でもどこでも良かったと?w

  • 名津さんに教えてもらって。


    生まれ育った土地柄(母方は大洲市)や、妻と子供が埼玉出身ということもあってか、ボクには馴染みやすい<出雲>的なもの。

    現代日本の閉塞を解く鍵としてボクがぼんやり思っている、と或ることにも通じる、<出雲>と<伊勢>のこと。

  • 神道史はまだまだ研究の余地が多く残されてる分野で、こういった説がでてくるもの面白い。

  • 明治維新後の国家神道形成期における伊勢派と出雲派の主導権争いと後者の敗北の過程を負った意欲的な論考。文庫版で追補された、埼玉と出雲系の氷川神社との関わりについて考察する第2部も興味深い。

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著者プロフィール

1962年生まれ。早稻田大学政治経済学部卒業,東京大学大学院博士課程中退。放送大学教授,明治学院大学名誉教授。専攻は日本政治思想史。98年『「民都」大阪対「帝都」東京──思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ)でサントリー学芸賞、2001年『大正天皇』(朝日選書)で毎日出版文化賞、08年『滝山コミューン一九七四』(講談社)で講談社ノンフィクション賞、『昭和天皇』(岩波新書)で司馬遼太郎賞を受賞。他の著書に『皇后考』(講談社学術文庫)、『平成の終焉』(岩波新書)などがある。

「2023年 『地形の思想史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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