ハンニバル 地中海世界の覇権をかけて (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061597204

作品紹介・あらすじ

エブロ河を越えアルプスを越え、南イタリアの地カンナエでローマ軍団を打ち砕いたハンニバル。戦いに勝ちながら、最終的にローマという果実を刈り取らなかったのは何故なのか――。地中海世界の覇権をかけて大国ローマを屈服寸前まで追いつめたカルタゴの勇将、アレクサンドロス・カエサル・ナポレオンに比肩する天才の戦略と悲劇的な生涯を描く。(講談社学術文庫)

感想・レビュー・書評

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  • 共和制ローマを苦しめたカルタゴの名将ハンニバル。冬のアルプスを越えたローマ本土強襲や、カンネーの戦いでの包囲殲滅戦術など、彼がローマに与えた影響は余りにも大きい。ザマの戦いでスキピオに敗れたとはいえ、彼が傑出した戦術家であることは疑いようないし、戦略家、あるいは政治家としての才は、スキピオを大きく凌いでいた。つまり、ハンニバルは、単なるカルタゴの名将などではなく、マケドニアのヤンキー王子やローマの禿げの借金王と同じ次元で評価されるべき人物なのである。それなのに、彼の功績を知るのは一部の軍事マニアと歴史マニアくらいで、普通の人にとっては、彼の名前が元になった映画の猟奇殺人犯の方が、いくらかメジャーだ。
    それは、ハンニバルが取りも直さず敗者側の人間であり、現代に伝わる彼の人物像が、勝者ローマによって残忍で陰湿なものに歪められているからである。残忍で陰湿なだけの将軍が敵地イタリアで何年にも渡って兵の士気を保ち続けられるわけがない。彼が人心を掌握できた理由は、現代には正確な形では伝わっていないが、何かしら魅力的な人物であったのは間違いないだろう。
    本書では、彼のローマに対する戦いが、時代を追って描かれる。相手の裏をかき、虚を突き、あらゆる手段で本土を荒らしまくったポエニ戦争。カルタゴ祖国に戻り、外交交渉と内政に奔走した日々。亡命を重ねながらローマの膨張主義を封じ込めようと各国に働き掛けた晩年。彼の一生は、膨張主義を続けるローマから、祖国カルタゴを護ることに費やされたと言っても過言ではない。皮肉にも、その戦いが、結果的にローマを更に強大な国家へと育て上げてしまったのだが……
    『ローマ人の物語』読者にとってはスキピオの引き立て役になってしまいがちなハンニバルだが、カルタゴ側から彼を知ると、歴史は更に面白くなる。ただ、ポエニ戦争の趨勢を知るには、少々分量が少ないのと、ハンニバルの呆れるほどの名将ぶりが伝わりにくいのが難点といえば難点かも知れない。魅力的だけれども創作であることが明らかな逸話が割愛されているのも、一般読者にとっては残念だが、本書は歴史物語ではなく歴史の啓蒙書であるから、文句は言えない。むしろ、学者の手による割には読みやすいくらいかもしれない。読者を選ぶけれど、面白い人には面白い。そんな本だ。

  • 軍人・将軍としてのハンニバル像だけでなく、"大"政治家としてのハンニバル像を描くことを目指す。
    カルタゴの歴史を貫くのは、政府当局と将軍の対立である。BC241年まで続いた第一次ポエニ戦争後(シチリア喪失)、ハンニバルの父である将軍ハミルカルは政府当局のハンノと対立。政府に賃金の支払いを求める傭兵たちの反乱がきっかけであった。両者の確執は深まり、ハミルカルはスペインに向かう。
    したがって、のちにハンニバルが将軍位についたのも、スペインでのことである。彼はイベリア半島南部を次々と平定。とりわけサグントゥムはスペイン中枢部への入口であり、ローマに譲るわけにはいかなかった。が、交渉はうまくいかず、西地中海の覇権を争う戦いが始まる。
    そこでは有名なアルプス超えやカンネーの戦いがあるのだが、その後でシチリア、サルデーニャ、スペインを一体と捉えたイタリア方位策を筆者は評価する。
    BC202年、スキピオが北アフリカに上陸。ハンニバルも本国に戻り、ザマの戦いとなるが、敗北。カルタゴは賠償金を背負うが、有産者層への課税や輸出ルートの確保は彼の高い政治的資質を示している。
    彼は失脚後もマケドニアの敗北やエジプトの弱体化に目をつけ、シリアと組むことでローマ包囲を狙っていた。

  • ハンニバルを大きく取り上げた書籍はあまり他になく、参考になる部分があった。特にザマの戦い以降の記述は参考になる。
    ただしカンナエを含めた戦いの描き方は若干淡白な印象。

  • 名前は聞いたことあって興味を惹かれて読んでみた

    勝者のローマからするとハンニバルへの評価が悪くなるのは仕方ないか

    大国ローマに対して攻め込んで勝ち続け、特にカンナエの戦いを見るとアレクサンドロスやナポレオンと並び称されるの分かるな
    勝ち続けてもローマからの離反が少なかったのが誤算だったんだろうな
    ずっと敵中にあって奮戦していても遠くの味方が敗れたら孤立していくのはどうしようもないよな

    カンナエの戦いの後、首都ローマに攻め込まないハンニバルへの騎兵隊長マハルバルの
    "あなたは勝つ術は知っている。だが勝利の果実を刈り取ることはできない"
    直ぐに落とせないというハンニバルの判断は正しいように思えるけど絶好のタイミングではあったな

  •  映画でハンニバルが引用されていて興味が湧いて。名前とアルプス越えは有名だがそれ以外は初めて知った。ハンニバルの故国であるカルタゴの場所もどういう国だったのかもまったく知識がなくアフリカにあったのは意外だった。無意識のヨーロッパ優越史観が強いのだろう。紀現前の世界はとても遠く文化的でないイメージがあったが、調べてみると古代ギリシャ、ローマ時代は西ヨーロッパよりも東ヨーロッパ、地中海周辺が発展していた。ハンニバルもそういう時代で活躍した人物なのだ。
     ハンニバルについての一次資料は無く、二次資料もローマ側の資料になるのでかなり歪曲されている。それでも資料があればまだいいのだが資料がまったくなく推測の域をでない部分が多い。本当のハンニバルを知ることは不可能のようだ。アルプス越えにしても最初と最後が分かっているだけで途中のルート等々は様々な説があるという。ハンニバルがなぜローマを攻めたのかという根本的な理由さえはっきりしない。
     面白いのはハンニバル、カルタゴ軍が20年近くイタリア半島のなかでローマ軍と戦っていたことだ。相手の領土の中に20年間も留まるということは現在からは想像がつかない。古代ローマが都市国家の集合であったこと、冬は戦争ができなかったことなどが原因のようである。
     カンナエ決戦は見ごたえがある。ハンニバルの指揮がいかんなく発揮され歴史上に残る大勝利だったようだ。ハンニバルはイタリア半島にはいってから現地で兵士を調達した。人を惹きつける魅力を持ち、優れた戦略家だったということは確かなようだ。

  • どうしてもハンニバルに委ねることになる土地は、撤退前に荒らしておく。この焦土作戦が、実はこの後何世紀にもわたるイタリア農業およびイタリア社会の大問題になるのであった。p.97/しかし、本当にハンニバルは「戦争」に勝ったのであろうか。p.109(カンナエの戦い後の記述)/「ハンニバルよ。貴方は勝つすべは知っている。だが、勝利の果実を刈り取ることはできないのだ」と。マハルバルが、この後われわれの史料から姿を消すが、それはなぜか。謎として残ることは確かである。p.110/カンナエから逃れ帰った執政官ウァロは、「祖国に絶望しなかった」として恭しくローマ市民に迎え入れられた。p.111/この前二一一年のカプア陥落は、南イタリアでのハンニバルに対する戦争の転機となった。p.139/

  • ヨーロッパの人々が紀元前200年頃の時代から、交渉、政治のやり取りをこのレベルで実施しており、それが記録に残っていること自体がすごいことだと思った。また、ハンニバルであるが、何としてでも、ローマをやっつけようと、奮闘している姿が目に浮かぶようだった。

  • 戦後ハンニバル研究のさきがけ。

  • アマルフィなどを舞台とした作品です。

  • 人喰い博士ではなく、ローマを散々苦しめたカルタゴの名将の方のハンニバルの伝記。

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著者プロフィール

長谷川 博隆(はせがわ・ひろたか):1927-2017年。東京生まれ。東京大学文学部卒業。名古屋大学名誉教授。専攻、ローマ史。著書に『ハンニバル――地中海世界の覇権をかけて』『カルタゴ人の世界』(ともに講談社学術文庫)、『古代ローマの自由と隷属』『古代ローマの政治と社会』(ともに名古屋大学出版会)、訳書にマティアス・ゲルツァー『ローマ政治家伝Ⅰ~Ⅲ』、テオドール・モムゼン『ローマの歴史 』(全4巻、ともに名古屋大学出版会)など。

「2023年 『ローマ人の世界 社会と生活』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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