火の誓い (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061963733

作品紹介・あらすじ

人間国宝や文化勲章に推挙されても応じることなく、一陶工として独自の陶芸美の世界を切り拓き、ついには焼き物の枠を超えた無私普遍の自在な造形世界に自らを燃焼させた河井寛次郎が、美しい物に隠れている背後のものを求めての歩みを詩情豊かな文章で記した、土と火への祈りの書ともいうべき名エッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • 書いてることは、感覚的なことなど十分理解できないところもあるけど、「人に灯ともす人 人の灯明に灯をともす人」って「柳(宗悦)にささぐ」で人を評しているけど、それ自分やんと感じる、そんな何かを十分以上にいただきました。
    人のこと言ったつもりが、悪口とかもですが、自分のことだということがままありますが、まさしくそれではないかなと。

  • 美術館で陶芸を見て好きだったので、どんな文章を書くんだろうと思って買った、文章もよかった…
    詩も散文も真っ直ぐに強い

    そもそも陶芸、全然鑑賞方法や楽しみ方がわからなかったんだけど、エッセイを読んで、陶器や土と向き合って、「関係を作る」…っていう、ものの見方がわかって、面白かった

  • 今週おすすめする一冊は、陶芸家・河井寛次郎のエッセー『火の誓
    い』です。昭和41年に76歳の生涯を閉じたこの陶芸家は、柳宗悦ら
    と共に民芸運動を展開したことでも有名な方です。民芸運動は、名
    もなき民衆の手による手仕事の日用品の中にある美を見出し、積極
    的な価値を与えた運動で、現在までその活動は続けられています。

    民芸の思想とは、暮しの中で研ぎ澄まされたものこそが美しい、と
    いうものです。それは、美しいものを生む暮しそのものが美しい、
    という暮しの美を追求する思想でもあります。

    本書で河井氏が「暮しが仕事 仕事が暮し」と述べるのも、暮しと
    仕事が渾然一体となった中から生まれる美こそが本物の美なのだと
    いう信念があるからでしょう。その信念に基づき、美を語りつつ暮
    しを眺め、暮しを語りつつ美を発見する過程をしたためたのが、本
    書に集められた文章達です。

    河井氏の文章を読むのは初めてなのですが、その言葉の美しさと瑞
    々しさには圧倒されっぱなしでした。暮しの美を追求する作家は、
    日常のちょっとした一瞬も見逃しません。何ともない仕草の中に無
    限の美を見出していく感覚の解像度の高さ。今、ここを眺めながら、
    どこまでも高く、遠く、深くを観る力。脱帽でした。

    本書は「物と作者」「窯場紀行」「町の景物」「いのちの窓」の4
    編から成ります。どの文章も味わい深く「窯場紀行」などは本当に
    この陶芸家の目のつけどころと文章の美しさに深く心を動かされる
    のですが、何と言っても圧巻なのは詩編の「いのちの窓」です。こ
    れはちょっと言葉にできないほど素晴らしい。時間のない方は、こ
    の詩編の部分だけでも読んでみてください。絶対に感じるものがあ
    るはずです。

    仕事や暮しとの向き合い方について考えさせてくれる一冊です。モ
    ノや風景を見る解像度が上がる一冊でもあります。モノづくりに関
    わる方は勿論ですが、どんな仕事をしていても、きっと深く沁みる
    言葉に出会えることでしょう。是非、読んでみてください。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    穀物や野菜は育てる事は出来るけれども、作る事は出来ない。作る
    仕事はごまかすことも出来るが、育てる仕事にはそれが出来ない。

    しっかりした仕事という事はあながち製品が立派だというだけの事
    ではない。そんな物が作り出される暮しそのものをも指すのである。

    手馴れた仕事や目星の附いた仕事に自分を嵌め込んで行くようなこ
    とは恥ずかしい事だ。繰り返しの仕事や焼き直しの仕事は恥ずかし
    い事だ。附けられた道を歩くだけで、新しい道を開くことに不精す
    ることは恥ずかしいことだ。自分は何処迄行けるか。--もっと気
    を附けて言えば、人は何処迄行き得るか。行ける処迄行って見るこ
    とは人として甲斐あることだ。

    土地の人を永く養って来た食物には、うまいとかまずいとかの外に
    何か犯し難いものがある。味の中心を形作るこれは力なのである。
    こんな食物の珍しさに惹かれるのではない。この力に打たれるのだ。

    人は物の最後の効果にだけ熱心になり勝ちである。そして物からは
    最後の結果に打たれるのだと錯誤しがちである。しかし実は、直接
    に物とは縁遠い背後のものに一番打たれているのだと云う事を、こ
    の土地と人とは明らかに示してくれている。

    祈らない祈り
    仕事は祈り

    飛ぶ鳥とめる 絵にしてとめる
    あの音とめる 譜にしてとめる
    思いをとめる 形にしてとめる

    同じ底辺を持った無数の三角形--人間

    限りのない高さ--人間の登れる高さ
    果しのない遠さ--人間の行ける遠さ
    何という深さか--人間ののぞける深さ

    仕事が見付けた自分
    自分を探している仕事

    あなた   わたし
       の蕾は   の中に咲く
    わたし   あなた

    ひとりの仕事でありながら
    ひとりの仕事でない仕事

    雲は空がすきだ 浮かんでいられる処だからだ
    雨は土地がすきだ 降って落ちられる処だからだ
    風はものがすきだ 当ってみられる処だからだ
    自分はひとがすきだ ひとであればある程自分だからだ

    自分は過去を無限の過去を生きて来た
    自分は未来を無限の未来を見るものだ

    人は縛られてなんかいない。嘗て縛られた事があったであろうか。
    縛られていると思うならば、それは縛っている自分自身なのだ。人
    は昔から解放されている。今更何に解放されるのだ。

    自分で自分を規定している自分。自分をそれだけの自分だと限定し
    ている自分。自分というのは自分が作っている場所の謂なのだ。だ
    からこそ作り放題の場所。どんなにでも作れる場所。(中略)
    どんな自分を作ろう。どんな自分を選ぼう。

    吾等は何処にいるのか。どんな時の中にいるのか。何にとりかこま
    れているのか。何を受け継いできているのか。

    出来るか出来ないか、解らない。--そんな事すら思わないで自分
    を賭ける。誰でも何時も一つに、たった一つにしか自分を賭けない
    では生きてないない。

    時は場所へ--人という場所へつねに新しい土地を与える。昨日で
    今日を拓く事は出来ない。嘗て耕された事のない地面に人はいつも
    立っている。

    この世このまま大調和

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    ●[2]編集後記

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    先週、40歳の誕生日を迎えました。

    ついに40歳かぁとさすがに感慨深いものがあります。もう間違いな
    く「中年」に区分される年齢です。白髪も目立つようになりました。

    思い返してみれば、自分が20代の頃に出会い、尊敬し、憧れていた
    方々は、皆、40歳近辺でした。では、今の自分はあの頃の自分が憧
    れるような人になれているだろうかと考えると、「うーん」とうつ
    むかざるを得ません。40歳までにはしっかりと自分の人生を確立し
    ようと思って生きてきましたが、「不惑」どころか今だに惑いっぱ
    なしの40歳です。

    それでも、この年齢まで大きな事故も病気もなく、家族もでき、数
    は少ないながらも良い友人にも恵まれているのですから、本当に生
    きていて良かったと、有り難く思います。

    よくよく「自分」という字を眺めてみると、「自ら」の「分」なん
    ですよね。分をわきまえるというというか、上下左右の人にもまれ
    ながら自分の立ち位置を知り、居場所を見出す。それが「自分」が
    「自分」として立つということなのでしょう。

    妻が誕生日の日、手紙をくれました。そこには「あなたがあなたで
    本当に良かった」とありました。自分が自分で良い。そう言ってく
    れる人が隣にいる。最高のプレゼントでした。

    自分が自分で良かった。自分自身、心からそう思いながら毎日を過
    ごせるよう、折り返し地点を過ぎた残りの人生、悔いのないように
    生きたいものです。

    ※今日から熊本出張のため、今週は一日早い配信です。

  • 名文。
    日本語ってこんなに美しいのかと感動する。
    特に子供の頃の記憶を書いた、第三篇がいい。

  • 今日の読了本はここ最近の KiKi の読書傾向からすると、ものすご~くゆっくりと、時間をたっぷりかけて味わった1冊でした。  これは、本当に良書だと思います。  書かれている内容も深いんだけど、それより何より、こんなに美しくも雄弁な日本語を久々に読んだような気がします。  それも日本人のDNAに浸み込んでいる何ものかに、静かに、それでいてストレートど真ん中を射ぬく勢いで訴えかけてくる言葉・・・・・。  そんな言葉に溢れた珠玉の随筆集だと思います。  

    日本の土と水を手で触り、日本で伐採された木で火を焚き、造形の道を邁進した人間っていうのは、その直に触れた風土とでも呼ぶべきものから、鋭敏な感覚と「日本人を形づくってきた核のようなもの」を、かくも鮮やかに、かくも慎み深く感じ取るものなのか・・・・と感嘆するばかりです。

    とは言うものの、読み始めは通常どおりさらさらと、布団に寝転んで・・・・という体制で本を開いてみたんですよ。  でもね、冒頭の「部落の総体」という文章をほんの1ページ読んだだけで、KiKi は無意識のうちに布団から出て椅子に座りなおしていました。  KiKi の中の何者かが告げるんですよ。

    「この本は寝転んで読む類の本ではないよ。」

    ってね。  この感覚は本当に久しぶりでした。  そう、例えて言えば、まだCDなんていうものがこの世にはなくて、LPレコードがかなり高価だった時代に、お誕生日とクリスマスのプレゼントとお年玉を全部合わせてようやく買ってもらった大切なレコードに、わくわく・どきどきしながら、居ずまいを正して針を落としたあの瞬間の感覚に似ていました。

    (全文はブログにて)

  • 5夜

  • 胸が熱くなります。


  • 第一篇 物と作者
    第二篇 窯場紀行
    第三篇 町の景物
    第四篇 いのちの窓
    河井寛次郎素描 壽岳文章
    人と作品 河井須也子
    年譜 鷺 珠江
    著書目録
    (目次より)

  • 陶芸の巨匠、河井寛次郎の随筆は、制作と作品への愛情や、哲学的な思いがよく伝わってきます。

  • 2007/8/23購入

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著者プロフィール

1890年(明治23年)島根県安来市生まれ。1966年(昭和41年)逝去。
松江中学(現島根県立松江北高等学校)から東京高等工業学校(現東京工業大学)
窯業科へ入学。1911年21歳のとき、バーナード・リーチの新作展を見て感銘を受け
る。'14年東京高等工業学校卒業、京都市立陶磁器試験場に入所。'17年同試験場を
辞め、清水六兵衛工房の顧問を2年間務める。縁あって清水六兵衛の持ち窯を譲り
受け、住居を兼ねた窯と工房を設ける(鍾溪窯、後の河井寛次郎記念館)。'21年
東京と大阪で初の捜索陶磁展を開く。東京で柳宗悦に会う。36歳で作家としての一
代転換期を迎える。「民藝」という言葉をつくったのもこの頃のこと。'31年柳宗
悦、濱田庄司とともに同人雑誌『工藝』を創刊する。'37年パリ万国博覧会に出店
された《鉄辰砂草花図壺》がグラン・プリを受賞。日本民藝館の財団法人設立に伴
い、理事に就任。'50年還暦祝賀展を、東京・大阪の高島屋で開く。また、日本民
藝館でも還暦記念特別展が開催される。
'57年ミラノ・トリエンナーレ展に出品された《白地草花絵扁壺》がグラン・プリ
を受賞。

「2007年 『いのちの窓』 で使われていた紹介文から引用しています。」

河井寛次郎の作品

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