- Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062129572
作品紹介・あらすじ
死後42年たって新発見された幻の日記。『論考』から『探究』へ-大哲学者が書き残した、自らの思考の大転換、宗教的体験、そして苛烈な内面の劇!真の信仰を希求する魂の記録。
感想・レビュー・書評
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好きな人が読んでたから、ウィトゲンシュタインの本をいくつか読んでみてた時期に、これを図書館で見つけて、読んだ。
表紙のデザインが良いね。
彼のこと、ほとんど知らなかったんだけど。ひじょーに悩んでる人なんですね。生真面目というか。ケインズとも友達だったの?
数学的な才能があったんですね。でも人間としては不器用だったんですね。この人の哲学は難しくてよく分かんないけど、なんだか、とても人間的なカンジがする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読み始めて、数ページで惹き込まれる。「いつ私から奪われるかもしれない一つの才能に、自分の職業がいかに完全に依存しているか考えると、私はいつも恐ろしくなる。」(p22)第一次大戦中に、『論考』を書いた天才も、教師時代の挫折を経て、おそらくそこまで望んでいなかった哲学者として生活するようになる。そういう悩みが記されている。仕事の話、恋人の話、兄弟の話から年代が進むつれて、信仰の話、罪の話が多くなっていく。
その過程で、彼の後期哲学の重要概念である言語ゲームのアイディアが現れてくる。「例えば何か特定のことが体内で進行していて恐ろしい痛みを感じている人が、特に何かがどこかに行ってしまうことを望んでいるわけではないのに「どこかに行ってしまえ!」と叫んでいると想像せよ、さて、「この言葉は誤って使用されている」と言えるだろうか??…ここでは「誤り」ということは問題にならない。もし必要な使用が誤りなら、どんな使用が正しいというのだろうか?…このことを祈りに当てはめてみよ。手をもみ、祈願せざるを得ない人間に、彼は誤っているとか妄想を抱いているとどうして言えようか。」(pp130~131)と。 -
資料番号:010893279
請求記号:134.9ヴ -
どうにも驚きを隠せない。「語りえぬものついては、沈黙しなければならない」で有名な『論考』という歴史に残る哲学書を完成させながらも、解説者に言わせればそれが「原罪」として後の彼をいかに苦しめたかが痛々しいまでに暴かれている。実際、後期思想においてウィトゲンシュタインは『論考』の論理的誤りだけでなく、講演において「(語りえぬものについて)語ろうとすることを、私は生涯において嘲るようなことはしないでしょう」とまで発言していたのは衝撃だった。生きる為に食べていく様に、生きる為に考えてきた者による言葉がここにある。
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「生きるとは恐ろしいほど真剣なことなのだ」という言葉が特に印象的。
ウィトゲンシュタインのような人でも(或いはこういう人だからこそだろうか)仕事や人間関係、更には自己欺瞞めいたことで悩み苦しむのだなあと思い知らされた。天才(のように、少なくとも非凡な自分の目には映る)でも、天才だからこそ人並みの悩みや苦しみを人並み以上に思い詰めてしまうのかも知れない。
どこか励まされるような思いを感じながら読んでいた。 -
「ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記」読むと、こうしてコメントしてる事自体が罪深い事に思える。でもどこからか人は実践的になれねば生きづらい。 彼も中田英寿も勝間和代も転回の構造は似ているでしょう?
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自己欺瞞を繰り返す日記。
ときどき物凄く読みたくなります。 -
これは買うしかないな。
買って何度も読み直すべき。
好きな言葉や考え方がたくさん。
本自体の出来もいいと思われます。
これで2000円とか版元は無理してないのか? -
烏兎の庭 第三部 書評 7.8.06
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto03/bunsho/witmiki.html