西太后秘録 近代中国の創始者 下

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  • Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062194037

作品紹介・あらすじ

世界三大悪女の一人とされ、「残虐非道の女帝」のイメージがつきまとう西太后(慈禧大后)。だが、実は当時の4億人の民を率い、47年にわたって統治を続け、中国近代化の基礎をつくりあげた、辣腕の政治家だった。
『ワイルド・スワン』『マオ』で中国の真実を描き続ける、あのユン・チアンが「誤った西太后」像を根本から覆し、「名君・西太后」の真実に迫る。

あらすじ
官僚の家に生まれ、父の失脚後は長女として一家を支えた慈禧(じき)。16歳で清朝第9代皇帝の咸豊帝の側室となり、やがて幼い息子が帝位を継ぐと、後見として政治家の頭角を現していく。しかし、息子は若くして病のために崩御してしまう。
妹の子供を養子に迎えた慈禧は、光緒帝となったその息子の後見として返り咲き、宮廷内の政治に手腕を発揮する。革新派の上級官僚の李鴻章や曾国藩らを重用し、ヨーロッパ技術を取り入れて近代化に邁進する慈禧を、やがて日清戦争での致命的な敗北が襲う!
政変への命がけの画策、宦官との恋、自らへの暗殺計画の阻止、不仲の光緒帝廃位に燃やした執念、日清戦争敗北後の復活……。誰もなしえなかった長期的な統治の秘密を、膨大な記録をもとに明らかにする!

読みどころ
その1: 后の一人を「人豚」にしたなど(これはフィクション)残虐なイメージの強い西太后像をくつがえし、偉大な政治家としての真の姿(辣腕政治家であり、宮中だけでなく外国人にいたるまで細やかな気遣いを見せたなど)が詳細に描かれた唯一の評伝。著名な著者だけに注目度が高い。

その2: 清の近代化推進プロセスや改革派の人材登用、ライバルとも協調関係をとることで目的を遂げるなど、リーダーシップ、マネジメント論としても発見が多い。

その3: 宦官との秘められた恋(発覚して宦官は処刑される)、西太后の肖像画を描いたイギリス人女性との友情など西太后の知られざる人間性もあますところなく描かれる。

感想・レビュー・書評

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  • ユン・チアン著、川副智子訳『西太后秘録 近代中国の創始者 下』(講談社、2015年)は西太后の伝記の下巻である。西太后の功績に違法ドラッグである阿片撲滅がある。西太后は阿片への強い嫌悪を表明し、阿片が中国人に与えている損害に触れ、この悪習を絶たせるための点数制のプランを作成した(197頁)。阿片戦争の問題意識に応える施策である。

    オーバードーズや大麻グミなどの危険ドラッグが社会問題になる日本も見習う価値がある。日本では2023年12月13日に東京都目黒区の小学校で薬を過剰摂取した児童2人が救急搬送された(「薬の過剰摂取で児童2人搬送 東京都目黒区の小学校」産経新聞2023年12月15日)。

    西太后は戊戌の政変を潰した人物として評判が悪い。これに対して本書は西太后が戊戌の変法を始めたとする。本書は康有為を野心家と位置付ける。戊戌の政変は日本の明治維新を参考にしたと説明されることが多い。やり方を学んだという日本の工作員のようになっていた。李氏朝鮮で近代化を主導した金玉均ら開化派は日本に国を売り渡そうとした売国奴という低評価がある。そのような見方が康有為に成立してもおかしくないだろう。

    西太后は手放しで絶賛できない。戊戌の政変では冤罪で処刑している。「処刑された軍機章京のうち二人は康有為の仲間ではなく、陰謀にもむろん関わっていない」(77頁)。西太后は光緒帝が西太后を排除する陰謀に加わっていたことを隠すために裁判を行わずに即刻処刑した。

  • 真実を探る歴史探偵と自称するユン・チアン。世界中で大ベストセラーになった「ワイルド・スワン」に続いて読んだ。
    北京脱出の前に、光緒帝の側室珍妃に自害を命じ、命乞いをされ、
    井戸へ投げ込むように、宦官に命じたという。
    一方、死の数年前には、清朝の存亡を賭け、国会開設と選挙制導入の政策を打ち出していたという事実には、驚く。
    二千年にわたる絶対君主制、二百六十四年に大清国の歴史に幕を引いた女性である。

  • 西太后は歴史上有名で、教科書にも出てきて名前は知っていましたが、どういう人物だったかは全く知りませんでした。
    近代中国の礎を築いた人だったのですね。
    この本の最後に蒋介石や毛沢東もにも少しだけ触れられています。
    この二人は思っていた人物ではなかった。

  • ワイルドスワンのようなリアルさ、蒼穹の昴のような雰囲気、はないが、西太后のよいところがたんたんと書かれている。康有為の側にたって書かれたものも読んでみたい。

  • ★2015年7月27日読了『西太后秘録(下)』ユン・チアン著 評価A

    現代中国の基となる諸制度を革新的な取り組みで清朝統治下で導入しながら、女であるがゆえに?あまりに長く強大な統治を満州族が続けたがゆえに?歴史的には政敵からの根拠のない誹謗中傷によりおとしめられた世界三大悪女の一人とされる西太后(慈禧大后)を再評価する作品である。

     分かりやすく言えば、西太后(慈禧大后)は、日本の明治維新をたった一人で計画、実行へ導いた中国近代化の母であると著者は主張する。

     上巻での欧米列強の中国侵攻、日清戦争の外患と清朝内での苦難と実権を握るまでの物語に加えて、この下巻ではさらに過酷な試練を歴史は与えていたことを物語る。

    下巻では、日清戦争に破れて莫大な賠償金を日本から背負わされた清国に、欧米列強はさらに租借という名の事実上の占領を押しつけた。光緒帝と慈禧大后は戊戌の変法(科挙試験制度を中止など)という清国の近代化を試し始め、康有為という有能な官僚が形にして実行するが、ことを急ぎすぎて様々な問題が噴出し、さらに袁世凱を使った慈禧暗殺を画策した康有為はとうとう失脚する。結局、康有為は、伊藤博文を通じて日本と取引をして、光緒帝を隠れ蓑に自分と日本の利益のために画策をしていた可能性が高いと著者は断じている。

     一時期、光緒帝に施政を譲った慈禧大后は、その実権を取り返すが、それが、列強の北京侵攻を招く。これが引き金となり、列強から北京を守るために、義和団という無法集団を自らの庭に招き入れることとなり、清国内の混乱に拍車をかけることとなってしまう。
    結局、慈禧大后たちはさんざんな目に遭って、西安まで逃亡せざるを得なくなり、その移動時の苦難は大変なことであったようだ。

     また、その後、列強との講和がなり、北京議定書が調印され、列強が引き上げてから、清国国内は落ち着きを取り戻した。1901年からは、西安滞在時から諸制度の改革に本腰を入れ、北京に戻ってからはますます中世のままだった中国の近代化に取り組み、鉄道、電気、電信、電話、西洋医学、近代式の陸海軍、貿易、外交、教育制度の改革、新聞出版界の改革、さらには直接選挙制による立憲君主制への移行も実行した。

     慈禧大后のすごさは、それらの改革を穏便に進め、ほとんど犠牲者を出さずに次第に変更導入していったところであり、女性の解放も中国の悪弊であった纏足も次第に無くしていった。

     最後、1908年に彼女は改革の途中で息絶えるのだが、その清国の最期についても予測していたかのような素晴らしい仕掛けを施して、世を去っている。最期の瞬間まで、先を読み続ける希有の女性であったことが分かる。自分の死の前に、養子である光緒帝を先に毒殺し、後顧の憂いを絶ってから自分が死んでいる。また、後継者も後見人も決めてから、さらに最期の清国の死に水をとる皇太后までしっかり指名しているのだ。

     慈禧大后が当時の中国人がどう思われていたか、慈禧大后政権下で中国に育っていたノーベル賞作家のパール・バックの言葉に言い表される。「中国の人々は彼女を愛していた。みんながみんなと言うことではない。革命家、つまり現体制に我慢ならない人たちは心底彼女を憎んでいた。でも、農民や市井の人々は彼女を崇拝していた。」彼女が逝ったと人々は知ると「これからはだれがわたしたちを心配してくれるのか?そう言って彼らは泣いた。この言葉こそが支配者に下された最後の審判ではないだろうか」
     そして、慈禧大后の死の4年後に1912年に268年続いた清朝はその幕を閉じることになる。

  • 激動の時代を何とか乗り切った西太后。後継者難だったのは、江戸幕府も同じ。

  • 「ワイルド・スワン」「マオ 誰も知らなかった毛沢東」の著者、ユン・チアンの最新作。期待に違わず面白かった。
    思いもよらぬ西太后の生涯とその実績。同時代の中国の歴史もよくわかる。
    ただし、これがすべて事実かどうかはわからない。一つのお話として読むべきか。

  • 清朝の西太后のストーリー
    西太后と言えば、あまりよい印象ではなく
    どちらかというと悪女的。頑迷な支配者。
    魔女的。独裁的なイメージがありますが
    この本によると、中国の近代化を推し進めた
    改革者であり、正直であり柔軟な指導者であった
    とのことであります。昔映画でみたラストエンペラー
    とこの本で清朝の最後の歴史なんかが良くわかる感じ
    がします。
    中国の歴史も少しいろいろと読んでみようかと思います。

  • 読了して印象に残ったのは教育の役割ということであった。
    絶対君主制というと未開の地でのみ成立する、遅れた統治形態だとみなしがちだし、実際そうなのだけど、識字率が1%にも満たないような世界では、君主の子に家庭教師をつけ、帝王学を教育するということで、ある程度以上の治世が担保されてきたのだろう。実際、中国の皇帝はお飾りでなく、国政の全てを決済していたという。

    西太后時代の中国が欧米などの列強の食い物にされた最大の要因はやはり絶対君主制の非効率さだろう。英国のように立憲君主制をしく国では、国民の代表である優秀な議員が話し合って国の行方を決めていく。皇帝一人の能力がいかに優れていようとも清がやぶれさったのは必然だったのかもしれない。

  • 本書では慈禧(西太后)が女性であることなど数々の困難に会いながらも中国の近代化を推し進めた英雄として描かれる.ちょっと持ち上げすぎの感は否めない.電気、電信、鉄道などはなにも慈禧が発明したわけではない.どのみち取り入れられるものである.もっと有能な指導者がいても良かった気がするが、ましな男がいなかったということか.

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著者プロフィール

1952年、中華人民共和国四川省生まれ。文化大革命が吹き荒れた1960年代、14歳で紅衛兵を経験後、農村に下放されて農民として働く。以後は「はだしの医者」、鋳造工、電気工を経て四川大学英文科の学生となり、苦学ののちに講師となる。1978年にイギリスへ留学、ヨーク大学から奨学金を経て勉強を続け、1982年に言語学の博士号を取得。一族の人生を克明に描くことで激動期の中国を活写した『ワイルド・スワン』『真説 毛沢東』(ともに講談社)など、彼女の著書は世界40ヵ国に翻訳され、累計1500万部の大ベストセラーになっている。なお、上記の2作はいずれも中国国内では出版が禁止されている。

「2018年 『西太后秘録 下 近代中国の創始者』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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