大栗先生の超弦理論入門 (ブルーバックス)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062578271

作品紹介・あらすじ

物質の基本は「点」ではなく「ひも」――これが「超弦理論」の考え方です(「超ひも理論」と同じですが研究者は超弦理論と呼んでいます)。しかし、なぜ「ひも」なのでしょうか? 超弦理論は物理学者の悲願「量子力学と重力理論の統合」を期待される最先端の理論ですが、それだけに難解です。
●なぜ「点」ではなく「ひも」なのか?
●なぜ「弦理論」ではなく「超弦理論」なのか?
●なぜ超弦理論は9次元あるいは10次元の理論といわれるのか?
●なぜ超弦理論では量子力学と重力が矛盾しないのか?
多くの人たちの理解を阻んできたこれらの「壁」に、『重力とは何か』『強い力と弱い力』(いずれも幻冬舎新書)がベストセラーとなった大栗先生が挑み、誰にでもわかる、しかしごまかしのない説明にチャレンジします。なかでも「次元の数」が決まる理由の謎解きは圧巻です。そこでは、あのオイラーが発見した、ある驚異的な公式が大活躍します。読んでいくうちに空間は9次元であると当たり前のように思えてくるでしょう。
そして最後には、とんでもない疑問に突き当たります。「私たちが存在しているこの空間は幻想ではないか?」というのです。空間は9次元だと思ったら、実は幻想だった! 世界の見方が根底から覆る衝撃を、ぜひ体験してください。
本書はブルーバックス創刊50周年にして初めて、表紙の書名を縦書きにしています。そこには、この難解な理論を「日本語の力」で説明してみせるという著者と編集部の思いが込められています。
※早刷版をご覧いただいた読者モニターの方からは、さっそく次のようなご感想をいただきました。
「何が問題で、どう解決したのか。私自身が謎解きをしているようでした」
「誰もが一度は考える物質や時空の成り立ちに、 こうも広大な知の営みがある。この世界や、生きていることの素晴らしさが実感できる、 いつまでも心に残る最高の一冊です!」
「一見浮き世離れしたような理論をこれほどまで読みやすくわかりやすい表現で明示
した労作は前代未聞。理系を毛嫌いするすべての老若男女に一読を勧めたい」
「現代の理論物理学が難解なのは、理論が進化してきた過程が見えなくなっているからだ。大栗先生は300頁に満たないこの本で『進化のはしご』を再現するという離れわざをやってのけた」

感想・レビュー・書評

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  • 2015.7.28購入

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  • 「大栗先生の超弦理論入門」大栗博司



    分子はランダムに運動しているのでエネルギーの値も常に揺らいでいるが、膨大な数の分子が集まると、エネルギーの平均として近似的に一定の値をとり、それを我々は温度と捉えている。

    氷と水の区別のように、「温度」という概念は二次的なもの。温度とは分子の平均エネルギーの現れにすぎない。分子のレベルで温度という概念は消滅する。
    つまり、温度とはマクロな世界に住む我々が感じる幻想。空間もより根源的なものから現れる幻想であるというのが超弦理論。


    我々の身の回りにある全ての物質は素粒子の標準模型に含まれる17種類の点粒子(素粒子)の組み合わせでできているとされているが、宇宙には正体がわからない暗黒物質と呼ばれる物質が標準模型に含まれる物質の5倍以上ある。17種類の素粒子のどれでもない未知の素粒子からできているわけなので、この先もっと新たな素粒子が見つかるだろう。


    2011年、宇宙の膨張は加速している事が判り、物質の他にダークエネルギーの存在が暗示された。


    自然界には重力、弱い力、電磁気力、強い力の4種類の力がある。重力は他の3つに比べてとても弱いので現在の素粒子実験での影響はほぼない。


    強い力はクオークを互いに引きつけ合って陽子や中性子を作る力で、電磁気力よりも強い。


    弱い力は原子核からの放射線の原因となる力で、電磁気力より弱い。


    強い力だけは粒子同士が近づくと力が小さくなる。


    磁石のように、離れても伝わる力のことを遠隔力と言い、「場」という概念はこの遠隔力を説明する為に考えられた。物体と物体の間には場という実体があり、それが力を伝えている。


    磁気の力を伝えるのは磁場で、電気の力を伝えるのが電場。


    物理学の定義では「場」とは空間の各点で値(力の大きさや方向)が決まっているもののこと。


    19世紀の半ばにマクスウェルは電気と磁気をまとめた電磁場を説明する方程式を発見した。


    電磁場が伝わる速さは光速。つまり光の正体とは電磁波の事。


    電磁場において働く力の強さは距離の2乗に反比例する。(クーロンの法則)


    光とは電磁波という波でもあるし、光子という粒の集まりでもある。これを双対性と呼ぶ。


    一つの光子が電子と陽電子のペアに変わったり、また元に戻る事がある。


    粒子同士が高エネルギーで衝突するとそこに質量の重いものが生まれ、加速器のエネルギーをどんどん上げていくとどんどん重力が大きくなりブラックホールができる。ここでは重力が極限まで重い為、光さえ飲み込まれる。


    脱出速度が光速になってしまう表面の事を事象の地平線と呼ぶ。


    超弦理論とは、弾力のある弦が振動し、その振動の仕方によって様々な素粒子が現れると考えるもの。全ての素粒子が1つの弦から現れる。


    弦にはタリアテッレのような開いた弦と、ドーナツのような閉じた弦がある。


    開いた弦の振動には電磁気力を伝える光子が含まれている。


    弦の振動は縦波は振動していない状態と区別がつかないので横波しかない。


    電場や磁場には向きがあり、その電場や磁場の大きさが変化する事で起きるのが電磁波。


    電子が光を放出して別の電子がその光子を吸収すると、二つの電子の間には電磁気のクーロン力が伝わる。


    重力の理論を量子力学と組み合わせると重力波の粒である重力子が予言される。
    重力は重力子のやり取りによって伝わると考えられる。


    当初の弦理論は力を伝えるボゾンだけで、それに物質の元になるフェルミオンも加わったのが超弦理論。


    同じ数同士を掛けると答えがゼロになる数をグラスマン数と呼び、これを座標に使う空間を超空間と言う。この超空間によってフェルミオンを加える説明がついたのが超弦理論。


    フェルミオンは一つの状態には一つの粒子しか入れない。これは一回掛けると0となって終わってしまうグラスマン数の性質に由来している。
    普通の数の他にグラスマン数も座標として使う超空間では、グラスマン数で示される方向に振動する弦からフェルミオンが現れる。
    普通に座標の方向に振動するとボゾンになる。


    見る方向を変えても同じように見える時は回転対称と言う。


    超空間に超対称性があるとボゾンとフェルミオンの間にも必然的に入れ替え可能な対称性が現れる。


    我々は三次元空間ではなく、実は超次元空間に住んでいる。グラスマン数という不思議な数を座標に使う余剰次元が存在する。


    物理学の理論の多くは次元数を選ばないが、超弦理論は9次元空間しか許されない。


    電場があると、電子は電位の高い方に引き付けられる。
    磁場があると電子はクルクル回ろうとする。


    未知の世界を探求する人々は地図を持たない旅人。


    素粒子はスピン(自転)しており、時計回りの素粒子だけに弱い力が働いている。


    朝起きた時に今日1日数学をやるぞと思っているようではとてもものにならない。数学を考えながらいつの間にか眠り、朝、目が覚めた時にはすでに数学の世界に入ってなければいけない。


    10という次元は超対称性を持つ理論を考える事のできる最大の次元であり、それは超重力理論のみ。


    10次元の超重力理論の中には1次元の弦ではなく、二次元の拡がりを持つ膜がある。


    10次元の空間に時間を入れると11次元の時空間となる。


    10次元空間の中では二次元の膜と五次元に広がったものが絡みつく事ができる。


    開いた弦はブラックホールの分子。


    ミクロな基礎理論までいくと、温度も空間もその中に働く重力も本質的なものではない。


    数学で空間を定義する要点は、二つの点の間が近いか遠いかを区別する事。近いと関係が強く、遠いと弱い。空間とは関係性のネットワーク。空間の次元とはネットワークの拡がり方の事。


    自然科学の基礎には因果律があるが、ある時刻の状態によって過去も未来も全て決まってしまうのなら、過去や未来は現在とは独立していない事になる。

  • 1078

    これのおかげで素粒子物理学の大まかな流れと、主に誰が関わってたかと、その時々での重要な発見が分かった。ブルーバックスの中でアレとアレも素粒子物理学の分野なんだというのも分かるようになった。ありがてぇ

    今ブクログ登録1000冊ぐらいなんだけどこれが一番面白かったかもしれん。鳥肌立った。事実は小説よりも奇なりだお。

    大栗博司
    カリフォルニア工科大学カブリ冠教授、東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構主任研究員。1962年生まれ。京都大学理学部卒業。京都大学大学院修士課程修了。東京大学理学博士。プリンストン高等研究所研究員、シカゴ大学助教授、京都大学助教授、カリフォルニア大学バークレイ校教授などを経て、現職。アスペン物理学センター理事でもある。アメリカ数学会アイゼンバッド賞、フンボルト賞、仁科記念賞、サイモンズ賞、アメリカ数学会フェロー。朝日新聞WEBRONZAの執筆や市民講座などで科学アウトリーチにも努めている

    https://docs.google.com/document/d/1EpA8krjy21lFyaWd3t0h2o2W7kZs9NxKFponkkQa0g8/edit?usp=sharing

    私たち素粒子物理学者はこうした問いかけを心に抱きつづけたまま、大人になってしまいました。そして、自然界の基本法則を見いだすことによって、こうした問いに科学の方法で答えようと努力しているのです。

    古代ギリシアの時代から、現代の素粒子論に至るまで、人類は、すべての物質の基本は大きさを持たない「点」のような粒子であると考えてきました。ところが超弦理論では、物質をつくっているのは粒子ではなく、なにか「ひも」のように拡がったものであると考えます。

    デモクリトスの原子論は、アリストテレスによって批判されます。原子が真空の中を動きまわっているというデモクリトスの主張に対し、アリストテレスは「自然は真空を嫌悪する」として、すべての物質は隙間のない連続体であると考えました。そして、このアリストテレスの考え方が、長きにわたってヨーロッパを支配することになったのです。

    デモクリトスの原子論は、一八世紀後半から一九世紀初めにかけて、近代科学の発達によってみごとに蘇ります。物質と物質が反応して起きる化学反応が、すべての物質が原子の組み合わせでできていると考えるとうまく説明できたからです。  二〇世紀になると、原子は物質の基本単位ではなく、原子の中にさらに構造があることがわかってきました。原子には「原子核」という中心があり、その周りを「電子」が回っているのです。  さらに一九二〇年代に粒子加速器が開発されると、原子核に粒子ビームを当てて、人工的に破壊することができるようになります。これにより、原子核も基本単位ではなく、「陽子」と「中性子」が組み合わさってできていることがわかりました。その後の数十年間は、陽子や中性子が物質の基本単位、すなわち点粒子であると考えられてきました。  しかし、話にはさらに続きがありました。一九六〇年代になると、陽子や中性子も基本単位ではなく、「クォーク」と呼ばれる、より基本的な素粒子からできていることがわかりました。現在のところ、「標準模型」と呼ばれる素粒子理論ではクォークが基本単位、すなわち点粒子であると考えられています。  このように物質の基本単位の探求は、原子→原子核と電子→陽子と中性子→クォークと、玉ねぎの皮を 剝 くように進んできました。現在の素粒子論では、私たちの身の回りにあるすべての物質は、素粒子の標準模型に含まれる一七種類の点粒子(=素粒子)の組み合わせでできていると考えられています。ちなみに、この一七種類の中で最後に存在が確認されたのが、二〇一二年に欧州原子核研究機構(CERN)で発見されたヒッグス粒子でした。

    しかし、自然界の基本となる単位は何かについての探究は、素粒子の標準模型が完成しても終わったわけではありませんでした。いま、標準模型には二つの大きな問題があることがわかっているのです。  一つは、過去十数年の精密な宇宙観測によって、宇宙の大部分は標準模型では説明できない物質でできていることが判明したことです。宇宙には、正体がわからない「暗黒物質」と呼ばれる物質が、標準模型に含まれる物質の五倍以上もあるというのです。標準模型の一七種類の素粒子のどれでもない、未知の素粒子からできていると考えられる暗黒物質の存在は、標準模型が自然法則を記述する理論として不完全であり、新たな素粒子をつけ加える必要があることを私たちにつきつけたのです。  暗黒物質をつくる未知の素粒子を捕まえようとする実験は、いま世界各地で行われています。ヒッグス粒子を発見したCERNでは、暗黒物質が人工的に生成され観測される可能性もあります。もし暗黒物質が検出されれば標準模型をどのように拡張すべきかがわかり、より基本的な法則を求める人類の歩みに新たな章が開かれることになりました。

    自然界には、重力・電磁気力・強い力・弱い力という四種類の力があることがわかっています。「重力」や「電磁気力」については古くから知られていましたが、二〇世紀になると、自然界にはあと二つ、「強い力」と「弱い力」という力があることが発見されました。強い力は、クォークを互いに引きつけあって、陽子や中性子をつくる力です。また、弱い力は、原子核からの放射線の原因となる力です。強い力は電磁気力より「強い」、弱い力は電磁気力より「弱い」ので、このように呼ばれています。あまり専門用語らしくありませんが、二つとも素粒子の間に働く基本的な力です。

    重力を無視するような理論に意味があるのかと思われるかもしれませんが、実は、重力はほかの三つの力と比べてとても弱いのです。そのため、現在おこなわれている素粒子実験には、重力の影響はほとんどありません。

    重力が電磁気力より弱いことは、たとえば机の上に鉄製のクリップを置いて、上から磁石を近づけてみればわかるでしょう。六〇億×一〇億×一〇億グラムもの重さを持つ地球が、重力でクリップを引っ張っているのに、ほんの数グラムの磁石の引力がそれに打ち勝って、クリップはひょいと飛び上がり、磁石に吸いつきます(図1‐3)。これは、磁気の力に比べて、重力が弱いことを示しています。

    これまでにわかっている自然界の四つの力を強さの順に並べると、 強い力 > 電磁気力 > 弱い力 > 重力 となります。弱い力は名前が示すように電磁気力よりも弱いのですが、重力はそれよりもはるかに弱いので、これまで地上でおこなわれてきた素粒子実験においては、重力を無視した標準模型でもその結果が説明できたのです。

    余談ですが、私が勤務しているカリフォルニア工科大学は理工系の大学なので、構内を歩くと理系オタクとでも呼ぶべき学生によく出会います。彼らは理系テーマのTシャツを誇らしげに着ているので、すぐにわかります。たとえば『旧約聖書』の創世記の有名なくだり、 神はいわれた。 「光あれ」 こうして、光があった。 の「光あれ」の部分をマクスウェル方程式に書き換えたものがあります。Tシャツに書けるほどの簡潔さですべての電磁気現象を説明し、光の起源までも明らかにしたすばらしい方程式なのですから、理系オタクがうれしそうに着ているのもうなずけます。

     電子の大きさがゼロでなければ、電磁場から受けるエネルギーも有限で、それから加算される質量も有限の値に収まります。電子が大きさのない点だと考えるから、電子の質量が無限大になってしまうのです。ならば点粒子などは考えず、電子に大きさがあるとすれば、無限大の問題は解消できるのではないか。超弦理論の発想の原点はここにあります。  しかし「はじめに」でも書いたように、物理学者は保守的な人々です。自然界の基本単位は大きさのない点であるというこれまで慣れ親しんだ考え方を放棄して「拡がりのある素粒子像」などという突飛なものを考える前に、もっと穏健な解決策はないものかと模索しました。

    電子がどんどん小さくなって点に近づくほど、電磁場のエネルギーは無限大に近づくわけですが、ここで、電子固有の質量をどんどん小さくしてそれと相殺すれば、電子が点であってもかまわないではないか、というのがこのアイデアの骨子でした。  電磁場のエネルギーが無限大に近づくと、あるところで電子固有の質量は「負の値」をとらなければならなくなります。無限大の問題を解消するために質量を負の値にするなどという方便を使うのは、なにやらこじつけのように思われるかもしれません(図1‐7)。実際、暫定的な解決策というべきものでしたが、「くりこみ」と呼ばれるこのアイデアは、二〇世紀の素粒子物理学の発展に大いに貢献するのです。

    量子力学が考えだされたそもそものきっかけは、光は「波」か「粒」かという問題でした。  光が「波」のような性質を持つこと、「粒」のような性質を持つこと、私たちはどちらも日常的に経験することができます。  まずは、光が波である証拠をご覧に入れましょう。本書ぐらいの厚みの本を二冊、右手と左手に持って、背表紙と背表紙を合わせてください。そして、二冊の背表紙の間にわずかに隙間を開け、その隙間から明るい方向を見てください。本の帯をつけたままにしたほうが、細い隙間をつくりやすいかもしれません。隙間に縦の縞模様が何本か見えるでしょう(図2‐1)。これは波の性質の一つである 干渉縞 というものです。光の波が背表紙の間を通るときに重なり合って、縞模様ができるのです。光が波だからこそ起きる現象です。

    物理学はこれまで、自然界という大きな「玉ねぎ」の皮を一枚ずつ 剝 くようにして、そこに働いている法則を明らかにしてきました。当初は原子が「玉ねぎの芯」(基本粒子)だと思われていましたが、よく調べてみると、それは一枚の「皮」にすぎませんでした。そこからさらに、原子核と電子→陽子と中性子→クォーク→……と次々に皮を剝いて、新しい構造を発見してきたわけです。  玉ねぎのそれぞれの層には、そのレベルの現象を説明する法則があります。大まかな性質を知るためにはその法則さえ理解すればよく、その皮を剝いてさらに深い層を調べる必要はありません。たとえば原子の性質は、原子核が陽子と中性子からできていることを知らなくても、ある程度までは計算できます。というのも、原子核の直径は、電子の軌道半径の一万から一〇万分の一程度にすぎないからです。したがって原子内部における電子の運動を理解するときは、原子核を「点」と見なしてもかまわないのです。  実験技術が発達すると、原子核の皮を剝くことが可能になって、そこにより深い法則を見つけることができました。原子核が陽子と中性子からできていることがわかり、それを結びつける「核力」が問題になりました。これを説明したのが湯川秀樹の中間子論です。  陽子・中性子・中間子についても同様でした。これらの粒子の皮を剝くと、その中にクォークがあって、より深い法則にしたがって運動していることがわかったのです。  このように、自然界にはマクロからミクロへの階層構造があり、よりミクロな世界の法則ほど基本的なものであると考えられています。

    ブラックホールはアインシュタインの一般相対性理論における重力方程式の解の一つで、そこでは重力が極限まで強いため、光さえ飲み込まれてしまいます。たとえば私たちの地球を、質量をそのままにして圧縮していくと、重力がどんどん強くなります。半径が九ミリメートルになるまで圧縮すると、重力に逆らって地球表面から脱出するために必要な脱出速度は光の速度と等しくなり、さらに圧縮すると光さえ脱出できなくなります。すると地球もブラックホールになるのです。脱出速度が光速になってしまう表面のことを「事象の地平線」といいます。光速でも脱出できないのですから、それを超えてしまえば、もう誰も戻ってくることができません。

      量子力学の思考実験といえば、箱の中の猫が生きているのか死んでいるのか量子力学的に不確定になるという「シュレディンガーの猫」も有名です。これもその後、低温実験やレーザーなどによって、猫ではまだ無理ですが、代わりに数個の原子や光子を使って実質的には同じ実験ができるようになりました。

    ウィリアム・トムソンは一九世紀英国の指導的物理学者でした。熱力学などへの貢献に対し爵位を与えられたので「ケルビン男爵」としても知られています。

    日本の物理学界には、かなり早い段階で「拡がりを持つ素粒子」のことを考えた研究者がいました。日本人として最初にノーベル賞を受賞した湯川秀樹です。  湯川は大学を卒業して研究者として歩みはじめたとき、すでに二つのテーマを見定めていました。一つは陽子と中性子を結びつける核力の解明。もう一つは、電磁場のような「場」に量子力学をあてはめる「場の量子論」の問題です。  核力の起源は、その数年後に、中間子理論によって解明されました。しかし湯川の第二のテーマであった場の量子論は、無限大の問題に直面します。湯川は素粒子を「拡がり」のあるものと考えることでこの問題に取り組んだのですが、当時はまだ数学的な手法や場の理論に関する理解などが未熟だったこともあり、なかなか解決に至りませんでした。  それに対して、同じ問題を「くりこみ」という暫定的ながら実用的な方法で解決したのが、朝永振一郎でした。湯川と朝永では、同じ問題へのアプローチがまったく違ったわけです。

    現実的な解決策を開発した朝永に対して、湯川のほうは、時代に先駆けたビジョンを追究するタイプの科学者でした。後年には哲学的な思索に傾いたようで、たとえば湯川の著した教科書には、中国盛唐期の詩人である 李白 の「夫天地者萬物之逆旅、光陰者百代之過客(それ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり)」という文章が引用されています。

    しかし弦理論をよりくわしく調べていくと、実は弦も、それどころか弦が振動する空間さえも、何か別の、より根源的なものから現れてくることが明らかになるのです。でもその話は第9章までお待ちいただき、まずは弦がすべてのものの基本単位であると考えて話を進めましょう。 開いた弦はタリアテッレ、閉じた弦はペンネ  弦は一種類ですが、その状態は二通りあります。両端のある「開いた弦」と、両端がくっついて輪になった「閉じた弦」です。次の図3‐4を見ています。

    物質の基本単位を点粒子と考えると、電子が光子を放出したり吸収したりする様子はファインマン図では図3‐5の右列のように表されます。これに対し、基本単位を弦と考える弦理論では、「電子に相当する弦」の振動状態から「光子に相当する弦」の振動状態が放出されるファインマン図は、図3‐5の左列のように表されます。この図を横割りに切っていくと、一つの弦が二つに分かれたり、また、二つの弦が一つになったりする様子が連続写真のようにわかります。

    ところが、数学の世界では、この常識がいつも通用するとはかぎりません。同じ数どうしをかけると、答えがゼロになってしまうという不思議な数があるのです。ここで、そのような数を θ と書くことにすると、      θ × θ =0 となってしまうのです。もちろん、普通の数では(それ自身がゼロでないかぎり)このようなことは起きません。こうした奇妙な性質を持つ数のことを「グラスマン数」と呼びます。

    しかし、そんな答えが出る不思議な公式を見つけた数学者が一八世紀にいました。レオンハルト・オイラーです。世の数学者に「歴史上で最も重要な数学者を五人選べ」と言えば、オイラーの名は必ず挙がるでしょう。数学のあらゆる分野で画期的な成果を残し、数学史上最も多くの論文を書いたといわれる超人的な研究者です。その論文を集めた『オイラー全集』は現在、七二巻まで刊行されていますが、まだ編纂は終わっていません。

    そのオイラーが残した数多くの驚異的な公式の中の一つが、これです。  信じられるでしょうか。正の整数を無限に足していくと、負の数になるというのです。 (1+2+3+4+5+…)は、どう見ても「無限大」です。しかし無限大だからこそ、その値には正も負もないという考え方もできます。無限大とは、正か負かもわからないような、つかみどころのないものです。  オイラーの公式は、その無限大に「意味」を与えたと言っていいでしょう。オイラーがこの公式を導くまでの計算方法は、現在の数学の考え方からすると無限大や無限和の扱い方に問題があり、厳密さに欠けます。しかし、彼はその自由な発想によって、数学的な真実を見いだしたのです。数学者の黒川信重はこの公式を「滝に打たれたような衝撃」と評しています。

    先生は樋口の下へ私の手をおいて、冷たい水が私の片手の上を勢いよく流れている間に、別の手に初めはゆっくりと、次には迅速に「 水」という語をつづられました。私は身動きもせずに立ったままで、全身の注意を先生の指の運動にそそいでいました。ところが突然、何かしら忘れていたものをおもいだすような、あるいはよみがえってこようとする思想のおののきといった一瞬の神秘な自覚を感じました。このとき初めて私は WATER はいま自分の片手の上を流れているふしぎな冷たいものの名であることを知りました。この生きた一言が、私の魂をめざまし、それに光と希望と喜びを与え、私の魂を解放することになったのです。  ヘレン・ケラーは『わたしの生涯』(角川文庫)のこの有名な一節で、「ものにはすべて名があること」を認識したときの感動的な経験を語っています。

    電磁場は金融市場に似ています。

     さて、この電場や磁場の働き方を決める原理を説明するために、ちょっと飛躍しますが金融市場のたとえ話を使うことにします。電子の動きが、お金の動きと似ていることに着目するのです。  金融市場では、利益の上がるような方向にお金が動きます。このお金の動きは、電子が電位の高い方向に引きつけられることと似ています。また、「お金を回して利益を上げる」ということがおこなわれます。これは、磁場の中で電子がクルクルと回るということと似ています。

     先日、都内の金融業者の前を通りかかったら、外貨預金を勧める広告を見かけました。日本の定期預金金利は一年で〇・五パーセントにもならないのに、スイスでは三パーセント、南アフリカでは一一パーセントにもなる。そこで「南アフリカで外貨預金をしよう」という宣伝でした。

     さて、このような仮定のもとで、二つの国の定期預金金利が異なると、お金を移動することで利ざやを稼ぐことができます。すると必然的に、金利が高い国にお金が集まることになる。これは電磁場の理論で、電位の高いほうに電子が集まることに似ています。つまり、金利=電位というわけです。

     その前にもう一つ、電磁場と金融市場の似ている点をあげておきます。  マクスウェルの電磁気理論では、電場と磁場の間に関係がありますが、金融市場でも、金利相場と為替相場の裁定機会の間には深い関係があります。  たとえば、日本の金利よりも米国の金利のほうが高くなると、金利の高いドル建ての預金をしようと米国にお金が流れるので、円とドルの為替レートが影響を受けます。また、たとえば円に比べてドルが高くなると、ドルで持っているだけで、円に換算したときのお金が増えるため、あたかも金利を稼いでいるかのよう見えます。このように、金利相場と為替相場は、お互いに影響を与えながら変動しています。  これは磁場の変動が電場を引き起こし、電場の変動が磁場を引き起こす「電磁誘導」という現象とよく似ています。電磁誘導の発見は、電場と磁場がマクスウェル理論で統一されるきっかけとなりました。これと同様に、金利と為替も、金融市場という一つのシステムの中で関連しながら変動しているのです。

     ワイルが発見したのは、マクスウェルの電磁気理論にも金融市場と同様の原理が働いているということでした。金融市場では各国が独自の通貨を持ち、それがものの価値を測る単位であるように、電磁気力も時空の各々の点に仮想的な「通貨」があって、その通貨についての金利や為替の裁定機会に対応するのが、電場や磁場であると考えたのです。

     しかし、ワイルは数学者だったので「電磁場の通貨」が物理的に何を意味しているのかまでは問うていません。何か仮想的な通貨があれば、マクスウェルの方程式が説明できると指摘しただけでした。  ワイルが仮想的なものとして考えた「電磁場の通貨」の本当の意味が明らかになったのは、その一〇年後に量子力学が完成してからのことです。量子力学では、すべての粒子には「波」としての性質と「粒」としての性質があると考えます。そのため、電子にも波としての性質があります。

     湯川秀樹は、自伝『旅人』(角川ソフィア文庫)に   未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅人である と記しています。科学の研究はオアシスを求めて砂漠をさまようようなものです。地図がないので、どちらに行けばオアシスにたどりつけるのかわかりません。

     たとえば標準模型には〔アップ/ダウン〕、〔チャーム/ストレンジ〕、〔トップ/ボトム〕と、クォークが三世代あります。彼らはこの「世代の数」が、カラビ‐ヤウ空間の幾何学的性質で決まる、具体的には「オイラー数」と呼ばれる数が、世代の数を決めることを導きました。  このオイラーとは、第4章で登場した数学者オイラーにほかなりません。彼は「トポロジー」という数学の一分野の創始者でもありました。図形を連続的に変形しても変わらないものは何かを考えて、図形を大雑把に分類する方法を編み出したのです。  その説明によく使われるのが、コーヒーカップとドーナツです(図6‐9)。両者は一見するとまったく違う形ですが、表面を連続的に変化させると、カップがドーナツになることがわかります。一方、球面はどうがんばっても、持ち手のない湯呑み茶碗にしかなりません。表面を連続的に変化させるとき、「穴を空ける」という操作はできないからです。つまり、トポロジー的に見ればコーヒーカップとドーナツの表面は同じ種類ですが、球面は別な種類なのです。

     素粒子研究者がもっとも美しいと考える答えは、数学的な整合性から「このカラビ‐ヤウ空間でなければいけない」と一意的に決まる(1)です。その対極にあるのが、「人間原理」を持ち出す(3‐B)でしょう。

     超弦理論が大きく飛躍した一九八四年は、私自身にとっても思い出深い年です。少年時代に湯川秀樹の伝記を読んで以来、素粒子論に興味を持っていた私は、一九八四年の春に京都大学大学院に進学し、素粒子研究室に配属されました。その年の夏、グリーンとシュワルツがアノマリー相殺を発見し、第一次超弦理論革命が起きたのです。  大学院に進んだばかりのタイミングで、突如としてこのような新しいフロンティアが拓けたのは、実に幸運でした。それまでは誰も手をつけず、シュワルツがほぼ一人で取り組んでいた分野ですから、研究者の卵にもできることはたくさんあったのです。

     一方、チェコッティはその後、イタリアの政界に身を投じます。彼はイタリア北部のフリウリ語を話す少数民族の出身で、民族独立を訴える党を創設し、当時躍進していた北部同盟と連携して、フリウリベネチア・ジュリア自治州の知事になりました。のちにはフリウリ地方の中心地ウディネの市長にもなり、およそ一五年間政界で活躍しましたが、最近引退して物理学の研究に戻りました。  ベルシャドスキーは私たちとの共同研究のあと、カナダのトロント大学の教授になりますが、金融界に転進し、現在はニューヨーク近郊のヘッジファンド会社の重役になっています。「くりこみ」の株式市場への応用も研究しているようですが、企業秘密なので教えてくれません。

     このような面接を経て、一九九四年末からバークレイ校の教授になりました。そこで再会したのが、東京大学で一緒だった村山斉です。彼は大学院卒業後、東北大学の助手になり、ポストドクトラル・フェローとしてバークレイに滞在していたのです。その翌年には村山も助教授に採用され、それから六年間、私がカリフォルニア工科大学に移籍するまで彼と私とは同じキャンパスで切磋琢磨しました。現在も彼は機構長、私は主任研究員として、同じカブリ数物連携宇宙研究機構に関わっています。

     私は研究をするときに、そのプロジェクトがどのようにして決着するかについて、あらかじめ予想を立てないようにしています。研究とは地図を持たずに砂漠の中を歩き回るようなものなので、早くオアシスにたどり着きたいという気持ちが強くなるのは確かです。しかし、あまり早くに「落としどころ」を見つけると、研究が小さくまとまってしまいます。  私は理論物理学者ですから、数学の方法を使って研究します。論理に導かれるままに数学の世界をさまよい歩くと、思いもかけない、見たこともない場所に行き着くことがあります。しかし、  「いくら恐ろしいといつても それがほんたうならしかたない」のです。

     この問題について深く考えたウィッテンは、思いがけない結論にたどり着きます。そして、彼の発見は、私たちの空間概念を根本から覆すことになるのです。

     たとえば水蒸気、水、氷は、化学記号で書くとどれも同じ ですが、温度や圧力を変えると、気体から液体、固体へと変化します。五種類の超弦理論も、それと同じようなものでした。見かけはまったく違うものの、そこにはのような共通の起源がある。ウィッテンは超弦理論も実は一種類で、五種類の理論はその現れ方が異なっているにすぎないことを発見したのです。

     どんな世界にも、多数派が目を向けない問題に魅力を感じる人はいます。とくに英国人には群れるのを嫌う気質があるのか、第一次超弦理論革命によって超弦理論が主流になっても、「道なき道を行こう」と超重力理論に取り組む研究者がいました。  英国の科学者にはアマチュア精神の伝統があるように思います。彼らを見ていると、趣味の素人芸なのに、たまたま収入を得て職業になってしまったようにさえ思えます。アマチュアだから、自分の分野にこだわる理由もない。知らない分野にいって失敗しても、素人なので困らない。そのため、分野の垣根を越えた研究をしやすいのです。趣味としての研究なのだから、流行の話題を追いかけるより、自らの道を開いていこう。このようなスタイルが、英国で独創性の高い研究が多く生まれる理由になっているように思います。

     ウィッテンの超弦理論の研究は、物理学だけではなく、数学の発展にも大きなインパクトを与えてきました。そのため彼は、「数学のノーベル賞」と呼ばれるフィールズ賞も受賞しています。  数学と物理学とは、歴史的にも密接な関係にありました。たとえばニュートンは、力学と重力の体系を完成するために、微分や積分の方法を開発する必要がありました。科学の進歩によって私たちの経験世界がひろがると、それを理解するために新しい数学の言葉が必要になるのは、むしろ自然なことです。

     そもそも、素粒子論や超弦理論の新しい発展が、既存の数学ですべて理解できるとはかぎりません。研究をしながら、新しい数学をつくっていくことも必要になるでしょう。そして、このような研究から新しい数学分野が開けていくこともあります。たとえば、私たちの開発した「トポロジカルな弦理論」の方法が、現在では世界各地の数学教室で盛んに研究されているのも、そのためだと思います。

    「超弦理論の研究をしている」と人に言うと、なぜ物質の基本単位は一次元の弦でなければいけないのか、二次元の面や、三次元の立体ではいけないのかと聞かれることがあります。一九九五年以前には、このような質問をされると、「物質の基本単位を拡がったものとして考える試みとして、うまくいっているのは弦しかない」と答えていました。  しかし、ウィッテンの発見によって、弦を基礎とする理論だと思われた超弦理論に、さまざまな次元に拡がった物体が現れることがわかりました。こうなると、もはや弦は超弦理論の主役とはいえません。弦とは、物質の基本単位がさまざまな次元に拡がったものの一つにすぎない。ウィッテンの「双対性のウェブ」は、弦の「降格人事」になったのです。

     もちろん、私たちの日常生活では、温度というのは便利な概念です。私たちの世界では近似的に意味がある。それと同様に空間も、ある近似の範囲では意味がある。重力を感じることもできる。しかし、ミクロな世界の基礎理論までいくと、温度も、空間も、その中に働く重力も、本質的なものではない。すべては、マクロな世界の私たちが感じているだけの幻想なのです。

     前章では、温度の概念が分子の運動から現れてくるように、空間自身も弦の運動から現れてくるものにすぎないという話をしました。ウェルズがいうように「時間と空間の三次元の間には、われわれの意識が時間に沿って移行するという点以外には、何らの差がない」とすると、時間も何かより根源的なものから現れる二次的な概念のように思えてきます。  空間が幻想だとすると、時間も幻想なのでしょう。

     では、そもそも空間とは何なのでしょうか。これまで物理学の立場から考えてきたので、数学者に意見を聞いてみました。  私 「空間とは何ですか」  数学者 「集合の一種です」  数学者に質問をすると、よくこのように木で鼻をくくったような対応をされます。集合とは物の集まりのことです。数学では、空間とは点の集まりなので、集合の一種なのは確かです。だから間違った答えではないのですが、これではあまりにも漠然としています。  私 「空間とは、どのような種類の集合なのですか」  数学者 「近いものと遠いものの区別がつくような集合です。

     超弦理論は、素粒子物理学における究極の統一理論の候補です。しかし、まだ実験や観測によって十分に検証されていないので、自然の法則として確立しているわけではありません。

     超弦理論が自然の基本法則として確立されるかどうかは、検証を待たねばなりません。しかし現状では、重力と量子力学を含み、数学的につじつまが合った唯一の理論です。    重力と量子力学を統合すると何が起きるのか    素粒子の標準模型は、そのような理論からどのようにして導けるのか    そのような理論では、ブラックホールの謎はどのように解かれるのか    宇宙の始まりのような問題に、どのようにアプローチしたらよいのか    時間や空間の本性は何か  このような根源的な問題に、超弦理論は数学的につじつまが合った枠組みの中で考える 術 を与えてくれます。超弦理論の研究から得られる、重力や量子力学に関する深い理解は、仮にこの理論が自然の法則として採用されなかったとしても、生き残るものが多いはずです。

     研究が始まってから四〇年、いまや空間やそこで働く重力についての考え方にも大きな影響を与えている超弦理論の発展はどこまで続くのでしょうか。難しくなりすぎているのではないか、そもそも究極の統一理論の発見など、人知を超えた目標ではないかと心配する向きもあります。  しかし、私は、この分野は今後さらに力強く進むと思っています。  そう思う根拠のひとつは、学生が大学院に入学してから超弦理論の論文を書けるようになるまでの年数が、私が大学院生だった三〇年前も現在も、変わっていないことです。この三〇年間で超弦理論は大きく進歩しました。当然ながら、若い研究者が自前の論文を書くまでに学ぶべきことは、昔よりも大幅に増えています。にもかかわらず、新入学した学生は以前と同じ年数で、この分野の最前線に出ることができています。それは理論についての私たちの理解が深まったために、若い人々がこれまでの成果を効率的に学べるようになったからでもありますが、超弦理論の研究が、まだまだ人間の知力の限界に突きあたっていない証拠でもあると私は思います。もし限界に近づいているのなら、学生が最先端に追いつくのにはどんどん時間がかかるようになるはずです。いまのところそうした兆候は見られないので、さらなる進歩が期待できるのです。

     ブルーバックスは今年で創刊五〇周年ということで、私とはほぼ同い年です。私は小学校高学年の頃、都筑卓司さんが当時著されたばかりの相対性理論や量子力学、統計物理学の本を読んで物理学に興味を持つようになりました。そのため物理学の研究を職業にするようになってからは、いつかはブルーバックスで自分の研究のことを書きたいと思っていました。

     自然科学の現場にいる者としては、科学の方法とは、次のような手続きだと考えます。  一、この世界を説明するあらゆる可能な仮説を考える  二、この世界で起きている現象についてのデータを集める  三、仮説の中から、データにもっともよく合うものを集める。

     本書の表紙は、書名がブルーバックス創刊五〇年にして初めての「縦書き」になっています。

     超弦理論のような基礎科学の研究が可能なのは、国の支援のおかげです。基礎科学の研究者は、各国の納税者への感謝を忘れてはいけないと思います。本書も、その感謝の気持ちで書きました。  四〇年前の私がブルーバックスを読んで科学への道を志したように、本書によって、若い世代の方々が科学への興味を高めてくださることを期待します。

  • うーん、これはダメなタイプの本だと思う。
    大事なところとかを詩で誤魔化した怪しい教養本のように感じてしまう。ただ、友人はこの本を褒めていて、超弦理論の世界観を楽しめたようなので、彼とは少し違う感想を持った。
    「金融市場にもある電磁誘導」というキーワードが来た時点で、そりゃないだろと。何かまやかしか、アナロジーかわからないけど、そういうものが含まれているような感じがしてしまった。


  • 日本においてヒモ理論といえば大栗さんですが、私自身まだまだ理解が追いついていません。
    Newtonなどでは断片的に理解していましたが、本書ではなぜ次元を高次元にし、そして点ではなくヒモでなければ成立しないのか?がよく理解できます。
    一方で、これを完全に理解するためのトポロジカルな見識が私には不足していて、ところどころ不明な部分もあります。
    他の専門書と合わせてまた読み直したい1冊です。


  • 私たちは習慣によって、
    重力があったり、
    次元があったり、
    空間があったりすると思うが、
    現実に存在するのは……
    (p.248)”

     『重力とは何か』、『強い力と弱い力』といった優れた啓蒙書を世に送り出してきたカリフォルニア工科大学カブリ冠教授 大栗博司。本書のテーマは、まさに彼の専門分野である「超弦理論」だ。

     超弦理論に関しては、「物体は極微のひもから出来ている」、「空間は三次元ではなく実は九次元」といった何ともワクワクさせられる煽り文句(?)が広く人口に膾炙していると思う。一方で、その内実、つまり「『なぜ』物体がひもから出来ていると考えるのか」、「九という数字は『どのように』導かれるのか」といったことはほとんど知られていないのではないだろうか(もちろん僕も知らなかった)。超弦理論は現代物理学の最前線にある理論で、当然かなりの難解さを誇るわけだが、本書は、専門家が理論のエッセンスを噛み砕いて一般向けに易しく、しかもなるべく誤魔化しを入れずに解説してくれている貴重な一冊だ。また、当時の研究の現場の活気溢れる様子を紹介できるのも、第一線で活躍してきた筆者ならではだろう。

     扱われているのは次のようなトピック。
    ・標準模型の限界
    ・なぜ点ではなくひもなのか
    ・超対称性とは何か
    ・空間の次元はどのようにして決まるのか
    ・双対性のウェブ
    ・AdS/CFT対応
    ・時空とは一体何なのか
     個人的には、九次元がコンパクト化されて三次元になる、六次元多様体「カラビ-ヤウ空間」のオイラー数から素粒子の世代数が決定されるというのが興味深かった。

     ただ、これだけ難解な理論を数式を用いず言葉だけで説明するというのにはやはりどうしても限界がある。「なるほど!」と腑に落ちたこともあったのだが、正直なところ、僕には理解が追いつかない箇所が多かった。特に、空間次元D=9を導く過程で、例の
    1+2+3+4+5+…=-1/12
    という式を使っているけれど大丈夫なのか?(Re s>1でしか成り立たないはずのζ(s)=Σ1/n^sという関係をs=-1に適用しているが…)
    多分問題ないのだろうとは思うが、モヤモヤが残る。

    1 なぜ「点」ではいけないのか
    2 もはや問題の先送りはできない
    3 「弦理論」から「超弦理論」へ
    4 なぜ九次元なのか
    5 力の統一原理
    6 第一次超弦理論革命
    7 トポロジカルな弦理論
    8 第二次超弦理論革命
    9 空間は幻想である
    10 時間は幻想か
    付録 オイラーの公式

  • 物資の基本は、点ではなく、ひも、とする超弦理論(Super String)の解説ですが難解です。空間は弦の運動から現れる、集合の一種です。重力は、空間や時間の伸び縮で伝わる、とか、時間も幻想かもしれない、という辺りは、理解が追いつきません。とはいえ、138億年前の宇宙の始まりが、理論的に解明されるようになった時代の統一理論を追いかけている大栗先生の良くわかる超弦理論の説明。あまり良くわかりませんが、★四つです。

  • 超弦理論については、何冊か本を読み、ネットでも参考となるものを見たりしました。超弦理論の入口はとても興味深く、何とか、この不思議な世界をイメージとして、もっと理解したい!と思っていました。
    今回、この分野の第一人者である大栗先生の解説本を読み、超弦理論の全体像について、何割かでもいいので、納得したいと思ったわけです。

    読み終わった結果は・・・・。
    完敗でした。
    書いてある事が、さっぱり分からず、頭の中で意味を持って咀嚼する事はできませんでした。

    いま、私は、大きな絶望感の中にいます。
    もっと時間がたてば、また、あらためて超弦理論を理解したいと思えるのでしょうか?
    もっとも、本書で書かれた通り、「時間」も「空間」と同様に幻想にしか過ぎないのであれば、超弦理論を理解する事自体が幻想なのかもしれないとも思えます。

    他の方の感想を読むと、わかりやすいという声も多いので、ちょっとびっくり。
    確かに、この理論を取り巻く、大栗先生を含む物理学研究のこれまでの歴史などに関してはとても面白いと思いました。
    ただ、わたしが知りたかった、超弦理論をイメージとして捉えることは、できなかった。

    とりあえず、しばらくは「超弦理論」には触れないでおこうと思います・・。

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著者プロフィール

カリフォルニア工科大学フレッド・カブリ冠教授/ウォルター・バーク理論物理学研究所所長
東京大学カブリIPMU主任研究員
米国アスペン物理学センター所長

「2018年 『素粒子論のランドスケープ2』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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