廃藩置県: 明治国家が生まれた日 (講談社選書メチエ 188)

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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062581882

感想・レビュー・書評

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  • 続けて廃藩置県ものですみません。2000年代に入っても本書によれば明治維新史研究のなかで廃藩置県が注目を浴びているとのこと。基本的には本書の構成や内容は,先日紹介した松尾正人氏の中公新書と似通っている。巻頭に日本地図があり,巻末に都道府県の推移の図がある。
    まずは目次から。

    序章 藩が消えた日
    第一章 維新政権が誕生した時
    第二章 版籍奉還と藩体制
    第三章 中央集権化への道
    第四章 一大飛躍としての廃藩置県
    第五章 廃藩置県の衝撃
    第六章 明治中央集権国家の誕生
    終章 岩倉使節団の出発

    本書で学んだ一番大きいのは,「藩」というものが明治以前には一度も公式に定められた行政単位ではなかったという指摘。確かに,廃藩置県によって中央集権国家が成立したという時,単に藩が都道府県に置き換わっただけでは大した変化ではない。都道府県という行政単位を全て横並びに政府が管理するというところに意義があるのだ。江戸時代における藩は幕府が管理する統一的な行政単位ではなく,個々で独自に独立した地方行政単位という色彩が強い。となると,廃藩置県の前に府藩県三治体制という時代があるのだが,そこで改めて,「藩」というものが因襲的な性質を継続しながらも統一的な行政単位をにらんだものとして公式なものとして再設定されていることに意義があることになる。
    とにかく,こういう歴史ものは複数の著者によるものをいくつも読んで,少しずつ史実が身に付いていくという側面もあるので,同じ著者による角川ソフィア文庫版『廃藩置県』もあるようなので,また期間をあけて読むことにしよう。

  • 明治になってから行われた改革は多くあると思いますが、その中でも大きな改革は廃藩置県だったと思います。藩主が今までの権力を手放す改革がスムーズに起きたのは奇跡に近いのではないでしょうか、もっとも新政府が昔の負債をすべて肩代わりするという裏事情もあったようですが。

    この本を読むことで、廃藩置県の前に、藩と並列して府(初めは10府)や県が直轄地等を中心に設置されていたこと(p209)や、府県の序列があった(p9)ことを知ったことが驚きでした。

    以下は気になったポイントです。

    ・廃藩置県の実行日(1871年7月14日)には、版籍奉還を率先した長州藩(毛利)薩摩藩(島津)肥前藩(鍋島)土佐藩(山内)の知事が呼び出された後に、名古屋藩(徳川)熊本藩(細川)鳥取藩(池田)徳島藩(蜂須賀)が呼び出された(p6)

    ・廃藩置県において、3府41県261藩が、3府302県になり、知藩事は罷免されて旧藩地を離れて東京への転居を明示された、これにより幕藩体制は完全崩壊して中央集権国家が誕生した(p6)

    ・明治4年11月に3府72県に統一された後、12月には序列が発表された、東京、京都、大坂、神奈川、兵庫、長崎、新潟県の後は、関東、近畿、東海、東北、北陸、山陰、山陽、四国、九州の順(p7)

    ・政府の直轄地を、府・県とし、その他の大名領を藩とした、府には府知事、藩には諸侯、県には知県事を置いた(p31)

    ・明治元年12月(慶応4年9月8日に明治と改元)には、朝敵諸藩の25藩が処分、領地の没収高は103万石(合計:232万石)、会津(23万石)、請西(1万石)は全領地を没収、長岡藩、仙台藩、盛岡藩、庄内藩、米沢藩が大きく削減(p40)

    ・戊辰戦争によって藩主の威信が低下していたので、天皇権威による身分保証がされた版籍奉還は藩主にとって魅力的であった(p62)

    ・明治維新が諸務変革令を出したときに含まてい重要なものとして、1)家老以下の藩士をすべて士族とした、2)知藩事の家禄を歳入の1割とした(=家禄と藩政の分離)こと(p79)

    ・版籍奉還により、藩主の領有権が否認されて、藩が府県とおなじ地方行政単位となって府藩県三治体制が制度的に確立した(p84)

    ・明治3年の諸藩の借金(藩債と藩札の合計)の平均は、収入の3倍、小藩(5万石未満)は3.5倍と財政は窮迫していた(p86)

    ・藩名を廃して州、郡、県を置いた、15万石以上の藩は州、5万石以上の藩は郡、2万石以上は県、それ以下は統廃合するという「建国策」があった(p125)

    ・知藩事は租税を全て中央政府に奪われたが、廃藩と同時に、藩内で流通していた藩札をそのときの相場で政府貨幣と交換することが布告されたので、借金から解放されつつ家禄は保証された(p167)

    ・旧藩名がそのまま県名につけられたのは、鹿児島、山口、高知、佐賀をふくめ、山形、静岡、宇都宮、秋田、和歌山、広島、岡山、鳥取、福岡の13県(72県中)である(p204)

    ・府藩県は、明治1年閏4月の、10府23県277藩に始まり、廃藩置県(3府302県1使)、県治条例(3府72県1使)を経て、明治21年には3府43県1道となった(p209)

  • 廃藩置県、と一言でいうのは簡単ですが、国の仕組みを変えることはものすごい力がいります。この本は、一筋縄ではいかなかった廃藩置県の過程をいろんな出来事の順を追って解説していて、とても興味深く読めました。
    明治維新後の薩長土肥に頼った府藩県三治体制から、その体制の実体化を図るための版籍奉還、そしてその後の政府の停滞から起死回生を狙った廃藩置県と続く流れは、躍動感がありました。中央の力が弱いながらも、意思決定までの時間が短く、今の停滞感から見れば見習うところも多々あるのではないでしょうか。
    いくつか面白い点を抜き出すと、戊辰戦争の時に木戸孝允の言った「戦争より良法はない」という言葉、これは非常時には制度改革を進めやすいということかと思います。既存制度の壁でなかなか改革が進まないことも、ピンチをチャンスに変えて、改革をしていく必要があるんでしょう。
    また、内務省より前の流れは初めて知りました。大蔵省が財政も内政も司る巨大官庁で、そこから内務省の分離があったとのこと。ただ、地方政府への出向は廃藩置県当時から現地とは関係の無い他人を使っており、「よそものほど改革ができる」というのは今も昔も変わらないことなんだろうと思いました。
    あとは政策の運用と企画を同じ人が考えている現在の官僚制度が果たしていいのだろうかということも考えさせられました。
    2011/4/12

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著者プロフィール

1952年生まれ、国士舘大学文学部教授

「2010年 『小野梓と自由民権』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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