- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062585590
感想・レビュー・書評
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歴史好きの母のすすめで購入して、正月の息抜きに読む。
筆者はまず戦国時代の大名は「国家」であったとする。大名に戦国法の制定権があり、彼らは自領を「御国」「国家」と表現し、そしてポルトガル人宣教師たちは諸大名が王であるとして本国に報告をしている。
そして大名、すなわち当時の国家間での外交の一部を、古文書を読みやすい現代文に書き下すという手法も用いて、華麗に再現してみせた。
当時の取次はつまり現代の外交官であり、起請文は条約文であり、書札礼は外交(儀典)プロトコルであり、手筋はチャネルである。現代の外交と本質的な違いはない。
一方で当時の外交官(取次)は、現代の職業外交官と違う点もある。和平交渉の相手方から知行地を与えられたり、独断でうごいたりする。また電話もメールもない時代であり、甲斐と今川ですら数日のタイムラグが発生する。
当時の外交の手順の中でも、第三者に書簡をよまれないよう暗号が用いられていたと想像するが、その点については本書では触れられていないのが個人的に残念であった。
最後に2点本書がよかったのは筆者があとがきに少しだけ吐露するようにまず本書には細分化し矮小化していく個別の戦国大名研究へのアンチテーゼとして外交という視点から複数の大名を横断して分析を行ったところがよい。そして「専制的で」武力による領土拡大しか頭にないというイメージの強い戦国大名像を打ち破るものとして新鮮さがある。
2014/03/19追記
ほとんど博論と一緒か。
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00100104-20090300-0103詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本はいわゆる新書、選書、学術書の順で難しくなる。難しくなるのは、お約束ごとが増えるからであるが(いちいち説明してられないので、専門用語に頼ることになる。)、この本は、お約束ごとを出来るだけ丁寧に解説しょうという著者の意図もあって分厚くなってる。
戦国大名を「外交」の作法から見て行くことになるので、馴染みのない作法の解説が読者の負担にならないようにとの配慮がある。しかし、選書を読むような読者は、新書レベルの本はかなりこなしているのである。
汎戦国大名論として成功しているかどうかは専門家でないので判断できないが、「中央の儀」などの用語が、戦国大名の「外交」というコンテクストの中で語られると非常に説得力をもつのは間違いない。 -
大名たちの熱いネゴシエーションと時代を動かした
取次=外交官の実態。合戦だけが戦いではない。
武田、北条、今川、織田、島津、戦争と安全保障の
舞台裏
序 章 戦国大名という「地域国家」
第一章 外交の作法
第二章 外交による国境再編
第三章 外交書状の作られ方
第四章 取次という外交官
第五章 外交の使者
第六章 外交の交渉ルート
第七章 独断で動く取次
第八章 取次に与えられた恩賞
終 章 戦国大名外交の行く末
戦国大名の外交を理路整然と解り易く解説している。
タイトルには「外交」とあるが、内容は大名間の外交
にとどまらず、一門衆、国衆との関係など内政部分に
も関連している。読んでいて今まで断片的であった色
々なパーツが組み合わされるような快感が得られた。
最新の戦国期研究の成果がここにあるという文句に偽
りはなく戦国好きには必読と言える。1700円でこ
れだけの知識を得られるとは。おススメの1冊である。 -
戦国大名を地域国家に見立て、その間の交渉を外交とし、外交書面の書式や儀礼が説かれ、直接交渉ではなく、一門・宿老や側近が務める取次を介して進められる様が描かれれる。研究者ならざる身には各大名のケーススタディが興味深かった。島津義久の命令を無視してでも豊後に攻めこもうとした取次島津家久、上井覚兼。北条氏康・氏邦ラインの外交とは独立して上杉氏の取次に立候補した北条氏照。その過程で描かれる、一般的な「義」の武将とは懸け離れた、上杉謙信の相手がたの条件だけ積み上げるけど自分は全く譲歩しない、やらずぶったくりな外交。武田信玄の駿河侵攻にあたり、一族の女性が保護されなかったことに激怒し開戦した北条氏康、など。作法としては、同盟破棄を通告してから攻めるのが通例だったこと。境目の国衆の両属は、美濃遠山氏のように承認されていたケースもあった。また武田北条境目の村が半分ずつ年貢を納めるようなケースもあったこと。取次は制度的に決まったものではなく、書状を受けた家臣が、では私がと名乗り出て主君が追認するケースもあり、私的な契約が公的な外交関係に用いられた。その過程で相手国から知行を与えられることがあり、それは自国への外交交渉を有利に運ぼうという思惑から行われたと推定されるが、主従関係の発生にまではいかなかった。また当時の考え方で、取次が独断専行してしまったものでも、面目を潰してしまうから、と追認されるケースがあったこと、取次は「外聞が大事」なあまり独断専行を取るケースがあったことなど興味深い知見が得られた。島津家久・上井覚兼のケースが一番興味深かった。「島津家久は、国衆を従属させる際には、独断で事前交渉を行ったばかりか、場合によっては虚偽の報告をすることも辞さなかった。上井覚兼は、国衆を保護するためには、大名である島津義久の意向にさからって、指揮下にある軍勢の出陣を中止させたうえ、独断で援軍派遣を実施しようとまで考えた。これはすべて、取次としての外聞を重んじた結果である。」(p.209)「取次にとっての交渉相手は、何度も接触を重ねて契約を結び、保護を加えることを誓った対象であったのに対し、大名にとっては、いまだ従属を果たしていないほとんど無関係の相手であった」(p.209)。終章では、「戦国大名は、自身が家中の支持を得て、家中によって支えられた存在であることを、取次を通じて対外的にアピールすることで、権力の存立と安定を図ったと評価することができるであろう。」(p.236)とされる。