- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062749138
感想・レビュー・書評
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4部作の中では1番読みやすく、理解しやすい。
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羊をめぐる冒険
村上春樹
読み終わった時の、あの独特の感覚。
私はこれを過去に感じたことがある。
インセプションを始めて観た時、アンドロイドは電気羊の夢を見るか?を読んだ時、マトリックスを観た時だ。
しばらく戻って来られないような…きっと、"浸る"という言葉が適切だろうと思う。
さまざまな解釈があると思うが、
わたしの中でぐるぐると駆け巡る問い、それは、
本当に弱いのは誰?
という問いだった。
わたしは、鼠でもなく、元妻でもなく、元共同経営者でもなく、先生でもなく、黒服の男でもない。ましてや、美しい耳のガールフレンドでもない。
「ぼく」だと思うのだ。
『それは君の問題だよ』
と、「ぼく」は相手に問題を返す。
それは、本人の中では迷惑をかけないで生きるということなのだ。
しかし、迷惑をかけないで生きるということは実は相当わがままなのかもしれないと、わたしは思うのだ。
問題を返すことそれ自体は悪いことではない。実際のところ、感情や言動には自分自身しか責任を取れないし、自分が責任を取るべきなのだ。
ただ一方で、それは一般論に身を隠しているとも言える。
自分は一緒にそれについて考えるつもりはありませんよ、
あなたとはその議論について、どこにも旅に出るつもりはありません。
だって、あなたがやったんでしょう。あなたが、選んだんでしょう。
と、当事者になることを巧みに回避しているだけだ。
一般論を隠れ蓑にし、『人間はみな、弱い生き物だから』なんて言うやつに本当の"弱さ"など、わかるわけないのだ。
大事なのは一般論ではない。傷ついたり、面倒なことになるかもしれないことを承知した上で、当事者になりに行くことだ。そして、誰の人生の当事者になりたいかは、自分で決めることだ。
「ぼく」は、中途半端だった。
当事者になることは怖い、でも自分の人生に、ガールフレンドを引き入れたい。そんな半端な生き方が、全てを失わせることになる。
結局、自分はなんだ?自分は、どうしたかったんだ?と、自分の現在地も特定できなくなってしまう。
一般論という大衆の"正解"を選び続けることは一見賢く見えて、本当は実に薄っぺらいのだ。
なぜならそこに、"あなた"は存在しないからだ。
羊のような根源悪的存在。
鼠のような、どうしようもなく人生を愛おしいと思ってしまう弱さを自己認知している存在。
どちらも今、自分がどこにいるか、どうしたいのかをわかっている。
その意味では、両者は強烈に生命の輝きを放つ、生きている人間そのものである。
だから「僕」は、本書の言葉で言う『自分自身の半分でしか生きていない』状態だった。
全て失った。ここから新たなスタートを、「ぼく」はどう切るのか。 -
春樹の描くキャラって本当に全部いいんだよな
特にその人物の背景が描かれていなくても、描写次第でその人物を魅力的に感じさせる そういうとこ天才
物語はまあ んー -
青春3部作、完。
読み終えた後、爽やかな気持ちになった。
鼠はこれで報われたような気がするし、この終わり方じゃないと終われなかったような気がする。
下巻の途中までは情景描写が多めで、ちょっとイメージするのに苦労したけど、僕のリミットがあと1週間しかなくなってからは、物語の展開のテンポがよかった。
これで主人公は失うものは失い、どんな生き方をしていくのだろう。きっと20代よりいい人生を送るんじゃないかな、と思いを馳せる。 -
よく分からなかったな〜
1973年のピンボールが三部作の中で一番面白かった -
最後の鼠との会話はグッときた
村上春樹の作品でこんな気持ちにさせられたのは初めて
また、初めから終わりまでこんなに物語がわかりやすく、整頓されてるのも彼の作品ではこれだけだと思う
多分何回も読み直すであろう作品 -
最後に、こうあるべきだったのだなとだんだんと腑に落ちてしまう感じ。
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“羊に憑かれた男”や“羊男”に“鼠”など、登場人物が多彩で魅力的だ。“羊”を探す旅に北海道へ...その明確なロケーションが物語へと加速させた。人との繋がりを頼りに淡々と運命を受け入れた“僕”。全てを失ったが、掛け替えのない友情だけが清々しく残った...