- Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062753616
作品紹介・あらすじ
美しい女が消えた夜へ
幻影の森を歩き続ける
雨の音を聞きながら、静かな森の中を進んでいく大学時代の同窓生たち。元恋人も含む四人の関係は、何気ない会話にも微妙な陰翳をにじませる。一人芝居を披露したあと永遠に姿を消した憂理は既に死んでいた。全員を巻き込んだ一夜の真相とは? 太古の杉に伝説の桜の木。巨樹の森で展開する渾身の最高長編。
感想・レビュー・書評
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神秘的な美しい森の中で、過去の自分と向き合い自分探しをする物語は、ひたすら続く会話とともに、ダークな世界にどんどんはまり込んでいくようです。
第一部の利枝子から、彰彦、蒔生と続き、梶原憂理の謎がすべて明かされます。
「麦の海に沈む果実」との繋がりも見え、恩田陸さんらしい独特な世界も味わえますが、最後に節子が、しっかりと現実に引き戻してくれます。
Y島から離れてもまだまだ続く、現実という名の旅。
それはまるで自分たちの森をどこまでも歩いていくかのようです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
理瀬シリーズのスピンオフ。下巻は、蒔生、節子が語り部。最終章は縄文杉への登山、経験者には懐かしい。
シリーズのオリジナルストーリーとは異なるテイストが楽しめました。最後は、50歳で再び、同じメンバーで屋久島を再訪することになり清々しいエンディングでした。 -
なんだろう。
面白い話しじゃないのに、おもしろい。
登場人物の心の内を読んでいると、尊敬や非難、共感したり、でもそれを全て曝け出し過ぎずに振る舞うのが大人のねーと思ったり。
孤独な環境で読むのに似合う本。
上巻より謎解きが少なくなったのは、残念でしたが満足感のある読了感でしたっ。
次は『黄昏の百合の骨』へ -
続けて、下巻に入る。
蒔生の章。
相変わらず“美しい謎”と蘊蓄や警句の混じった話が続く中、周りから『いつも「寛いで」いる』と見える男の中身はやはり複雑。
紫織という明彦の姉も大概だが、この男も上巻で見てきた人物像からはがらりと印象が変わる『人でなし』ぶり。
何かの拍子に思いもかけない記憶が甦るというのはままあるし、結構大事なことでも忘れていることはあるとは思うが、この男の場合、あそこまで用意しているのに覚えていないということはあるのだろうか…。
上巻の感想にたくさん付けた「?」への答がここで語られたたが、どこまでが本当でどこが嘘かの疑心暗鬼は続く。
結局、あたしとこの世との橋渡しをしてくれたのって、あなただけだったんですものね。
節子の章。
旅の最後のJ杉を目指すトレッキング。
ここまでびっしりと“謎”を湛えて引っ張ってきたのに、最後の章があんないい話風にまとめられるとはちょっと肩透かしを喰らった感じ。 -
これ!学生の時に読んで大好きだった本です。美しい謎たち面白すぎる。構成が秀逸ですよね。絶対最終章はマキオだと思ったけど、節子で終わる。
その時も同じ感想持った、いつか屋久島行きたい〜。 -
これ4人を出す順番が絶妙だと思う。
利枝子・彰彦はまあ順当として蒔生が3番でちょっと驚きつつ、
その前段階あたりで節子って実はどうなのと匂わせ始めるから
締めが節子ってのも納得。
色々謎に満ち満ちてた割には
ものすごい事件が何にも起こらない所がまた最高。
屋久島に凄く行きたくなる本だし、好き。 -
自分がどの登場人物に投影しているか考えながら今回は読んだ
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何か起こるわけではなく旅行に行って話をするだけだが、面白い。やっぱり恩田さんは男女に対する表現が豊かでなるほど!と感情移入できるところが良い。
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上巻に引き続き再々読了。
上巻のレビューにも書いたが
Y島の太古から続く深い森と
登場人物たちの持つ過去との濃密さに
”ずぶずぶ沈んで”いきそうになりながら読んだ。
3度目でもこれだけ作品の中に入り込まされるのはすごい。
初読は確か10年くらい前に妹から借りて。
とにかく高密度で夢中になって読んだという記憶しかない。
2度目は5,6年前か?読み返したくなって購入。
この時も夢中になって読んだ記憶はあるけど、1度目と大きな印象の違いはなかったように思う。
3度目の今回は、多分かなり違う。
前に読んだ時はレビュー等を残していないので比べることはできないが。
登場人物と読んでいる自分とのキャラクターや置かれている環境があまにりも乖離している時、私はその”役”に入り込んで読む。自分の中に彼らを投影させて疑似体験しているような感覚で、その際、感情もシンクロすることが多いので違和感や反発を覚えることは(もちろんあるけれど)少ない。
まだ20代だった1度目、
30代になったばかりの2度目、
利枝子や彰彦の章ではひたすら共感・共鳴し、蒔生の章では女として多少の反発を覚えるものの”そういう人間”として情報処理し、節子の章では一番現実を生きる彼女の生き方・考え方に理解しやすさを覚えていた。
今回は3度目だからなのか、彼らとほぼ同年齢になったからなのか、”役”に入り込んでいると同時に意識の半分は彼らの世界を俯瞰で捉えながら読んだ。
すると行間に違った景色も見えてくるから不思議だ。
30代後半は当時の私が思っていたより大人じゃない。
私が未熟なせいもあるだろうし、
作中の彼らは自我が確立されていて現代の30代後半よりはずっと大人だとは思うけれど。
でも、モノローグが真実とは限らないんじゃないだろうか。
自己分析が好きだという節子に呆れてみせ、自分には必要ないと言う蒔生だが、彼の章で展開されていたのはどう考えても自己分析であると思えるし、自己や他者の心理分析を全くしない人間なんて多分(ほとんど)いないと思う。
同様に実は誰よりも”三顧の桜”に執着していた蒔生のその理由は別の所にあるような気がしてならない。
いつだって自分のことしか考えず好きなように生きてきた自分に疚しいことなど無いと言いきっていたが、
自覚か無自覚か、彼の森の深いところには”疚しさ”や”罪悪感”が亡霊のように見え隠れしているような気がする。
と、ここまで持論を展開して気づいたのが、
憤りや不快感を感じながらも読み手の私自身もやはり(歪で不完全)な蒔生という男に惹かれているのだな、ということだ。
解説に、登場人物の4人と恩田陸さんは同世代だと書いてあったが、仮に作者と同年齢だとるすると、彼らの2度目のY島ツアーはおそらく今年(蒔生の誕生日が早ければ去年のうちか)行われているわけだ。
その旅を想像してみるのも面白い。