はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062880046

感想・レビュー・書評

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  • 「ルールを理解する」のと、「ルールを記述する」のは違う。

  • ヴィトゲンシュタイン本。むずかしい・・

    前期:論理哲学論考→世界と言語は1対1に対応している。

    後期:言語ゲーム→「そうではないのかもしれない・・」
    ある規則に従った、人々の振る舞いのことを言語ゲームと呼ぶ。
    言語は私的ではなくパブリックであり、人々の間の振る舞いの一致を司る。
    机を指さして、「これが机だ!(直示的定義)」と世界が決まっているわけではなく、
    一定の特徴を持った群を「これを机と呼ぶことにしよう」として、そのように振る舞うこと。
    その「環世界」を傍からみる、エイリアン的または幼い子供は、最初何をしているのか理解できない。
    そのうちに、あぁ、彼らはあれをツクエと呼ぶのだな。その言語を発すると、そのように行動するのだ、などを理解し、同様にそのゲームに加わる、つまり環世界に参加する。

    理解することと、記述されていることはイコールではない。これは草野球とプロ野球の違いのようなもので、明確なルールブックがない草野球にも当然にルールがある、から成立する。参加者はみなそのように振る舞い、そこからよりルールを明確にするためにルールブックが出来、プロ野球が生まれた。


    「解釈」という不思議な行為。
    例えば裁判などで法律を解釈するというシーンが有る。不思議な話で、人間が作った法律を人間が解釈するのだ。やはり変である。
    解釈者は、何を拠り所に解釈をするのだろうか。これを特定の言語ゲームから外れて見ないといけないのではないだろうか。
    言語ゲームに参加しながら、その言語を解釈すると言う矛盾は成立しない。仮にそうした場合、裁判における被告・原告・裁判官はすべてが異なる環世界に置いて、同時共有する法律をそれぞれの言語ゲームに則って解釈するということか。うーんすっきりしない。

    逆スペクトルの懐疑


    仏教
     悟りがあるから、悟りを求めるのではなく、悟りを求めるから悟りが存在する。

  • さらりと読めるけど、脱線も多いので。

  • ウィトゲンシュタイン『言語ゲーム』の解説書
    ウィトゲンシュタインのバックボーンから始まり、『論理哲学論考』にも触れている

    ウィトゲンシュタイン自体が難しいので当然解説書も難しい
    ウィトゲンシュタインが示そうとした試みについてはわかった(各論はわからなかったところ多し)

  • ずいぶん「俗っぽい」雰囲気だなあ、と思いつつ読む。身も蓋もないというか、難解なウィトゲンシュタインをここまで噛み砕いて解説するとは、とその(著者らしいといえば著者らしい)知的な野蛮さに呆れるやら感心するやら。だが、ここで開陳される私たちがどうしたって外に出られやしない「言語ゲーム」の本質は、この本が指し示した地平を更に超えてもはや個々人が自分自身の閉じた「言語ゲーム」の中を生きている時代だからこそ、ある種の苦味とともに読み返して肝に銘じなければならないのかもしれない。「哲学」したい人にはうってつけの一冊だ

  • 今まで取っ付きにくいと思っていたヴィトゲンシュタインの言語ゲームがわかりやすく、おもしろく解説されていた。加えて、言語ゲームの考え方を応用して現代社会を紐解いている。
    橋爪さんの四大文明を解説している本のバックグラウンドとなるアイデアを学べた。

  • 蔵書整理で手放すので、再び出会い読む日もあるか

  • 言語ゲームでは、人々はふるまいの解釈で言葉を理解する、としている
    そして先駆ける論考で、私の言語の限界が私の世界の限界を意味する、とも語っている
    これらに基づくと、世界の枠(構造)を拡げるには、多くの[ふるまい→解釈]に触れる事が必要と考えられる
    その手段のひとつに読書もあるだろうが、自身の枠(あたりまえ)を把握していないと、他の枠も把握し得ない
    自戒しながら読書に臨もうと思った次第

    以前、週刊プレイボーイのグラビア担当編集の方のインタビューでこんな事を言っていた
    数多ある写真からグラビアを選んでいると自分の好みの傾向が分かってくる
    読者を惹きつけるには直感的な良さが必要だが、自分の好みを理解していないと、直感が単なる好みなのか、別の良さなのかを区別できない
    卑近だが枠の解釈の一例かと思う

  • 哲学

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著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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