- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062880503
感想・レビュー・書評
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ようやく、『精神現象学』のあらましが分かりました。人類の「精神」の成長の歴史を俯瞰し、人類思想史の流れを追う、というような壮大なプロットを(猛烈に難解な言葉で。。)語っている、ということのようです。ようやく『精神現象学』が読み進められそうだ。。
気に入ったのは「行動する良心」。ちょっと引用。
「「良心の人」は、生活のなかのさまざまな場面で、そのつどどういう態度や行為を取るのがもっとも「良心的」だろうか、と考える。彼は、もはや宗教的権威も、習俗のルールの権威も善の基準足りえないことをよく知っている。・・・しかし、にもかかわらず、結局正しいことの基準などないのだとは考えず、いかに判断し、行動するかについて、必ず「自分のほんとう」があるはずだと考えるのだ。「道徳の人」は、自分の信念の基準を、いわば理性の論理、つまり「かくあるべし」という論理的判断からの要請においている。これに対して、「良心の人」は、その基準を「もろもろの衝動と傾向」にしたがう「自然的な意識」においている。」
うん。これはいい。カントの道徳哲学がいかに批判されるべきものか、ということも良く分かりました。(ちなみに、長らくカントを読めなかった理由は、カントの伝記的紹介文で必ずと言っていいほど引かれる、彼の格率の言葉にどうしてもうさんくささを感じたからだと思う。カントは(彼の意には反しているとは思いますが)やっぱり道徳哲学(実践理性批判)ではなく、純粋理性批判が一番大事な仕事だと思う。)
ところで、この「もろもろの衝動と傾向」で「よきこと」を自分の「よろこび」のために行う人、と読めば、おぉ、これはまさしくスピノザの倫理ではないんでしょうか。スピノザの理神論、実体の概念は、もはやナイーブには信じられないにせよ(もちろん、これは形而上学なので、それを「信じる」ということは、誰しもに留保されている、とは言え)彼の「善悪の彼岸」にある「よろこびの倫理」は、今日的な意味があると思うんです。というより、有体に行って、好きなんですねー。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これは、意識が絶対知に至るまでの物語。
人類の歴史が、個人の精神的成長過程に重なって見える。
だからだろうか、私には成長記録あるいは観察日記に近い印象を受けた。
意識が辿る道を追体験できる感覚が面白い。
ただ、「どうすべきか」という問いへの「応え」を示してくれているようには感じなかった。
以下、印象に残った文章を抜粋
人間の欲望の本質は、「自己価値欲望」という点にある。したがって、「自己の欲望」はまた、本質的に他社による「承認の欲望」を含む。さらに、人間は社会生活を営んでいるため、どんなことであれ、「他社の承認」なしに実現する欲望は存在しない。このため、人間社会は、まずは「承認をめぐる闘争」のゲームとなる。
・・・291頁より
カント的「道徳思想」の底には、「道徳的な人間ほど幸福であるべきだ」という暗黙の要求があることが分かる。しかしじつはこの要求は、不道徳な人間が幸福になるのは「不正」である、という理由からではなく、ただそういう人間に「幸福」をもたらしたくないという「嫉妬」から現れていると言えないだろうか。
・・・214頁より -
これは、ある意味でヘーゲルの主著と呼ばれる『精神現象学』の入門書。近代に生まれた「自由な内面をもつ個人」。その「自由のゆくえ」の問いが『精神現象学』を貫く全体的なモチーフだという狙いを定めて、この本は解読を進行して行く。
「意識」を主人公にしたこの小説風哲学書は、あくまでも経験(個人、社会、歴史)に即しながら、超越的飛躍をおさえながら、「良心」「絶対知」にたどりつくという、全網羅型の構想からみて、僕はヘーゲルが19世紀のはじめに、その天賦の才能でもって、近代から現代へとつなげる哲学的インフラの大構築をやるべくしてやったんだなあという感を強くもつ。
そして、今こそ、20世紀を総括し、混迷極めるこの地球世界の未来を牽引する「哲学書」の登場が俟たれるというのは、勿論哲学ミーハー故の発言故、お許し願いたいのだが、率直な願いである。 -
精神が感覚的確信から始まり絶対知に行きつくまでの物語。
意識の経験という弁証法的運動に興味をそそられた。 -
難しい。書いてあることも、哲学的用語も、とにかく難しいです。もう少し、この手の本を読むためのリハビリをしないと……(汗)