わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881777

感想・レビュー・書評

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  • 6年ほど前に読んだかな?確か。
    20代に読んだ当時、結構、新鮮な気づきと価値観を貰えた気がした。

    人とのコミュニケーションって分かりあうためにするもの、もしくは分かり合っている前提で、信頼の下で、通わすものだと読む前は思っていた。

    けれど、他人は自分と同じ経験はどんな人にも成し得ない。
    想像を働かせて共感は出来るけれど、そもそも、分かり合えないことが当たり前だから(自分とは違うから)、やりとりのなかで、共通項に花を咲かせたり、新しい思考を貰って価値観の幅が広がるんだな、と。

    みんな違って、みんないい

    どこかで聞いたフレーズのように、個性をそれぞれで光らせるのは素敵だけど、
    やっぱりともに過ごす大切なひととは、分かり合える(好きなものが同じな数が多いといいな)部分を増やしていく。そんな営みが毎日の幸せの積み重ねに思う。

    感性が合うひとになかなか出逢えなくて毎日泣いてしまうけれど、世界のどこかで巡り合いたい。

    分かり合える、ということは信じ合えると同義でしょうか。
    信じ合う、そんな気持ちからまず、初めてみようっと。
    また再読しよう。

    あ、最後にひとつ。

    誰かと会話をするとき、完全には分かり合えない。(だって、わたしはあなたと同じ経験は出来ないから)
    その前提を押さえた上で、じゃあ、ちょっと君の物語聴かせて貰えない?
    そんなふうな心持ちからの挨拶の始め方だったら、のしかかってた肩の荷も幾らか軽くなる気がした。
    分かりあおう!相手を理解して、役に立てれたらいいな!そんな気張りがあるコミュニケーションは長い信頼関係には結びつかないのかも?
    平田オリザさんは、そんなメッセージ、伝えたかったのかなと思いました。
    前者の方が、互いに気楽で、楽しい感じする。

    すぐには打ち解けないけれど、時間を重ねて、お互いの荷物を分け合って、夢を与え合えたら。
    なんか、arrows聴きたくなってきた。
    ついでに
    真っ赤な空を見ただろうか
    も。
    ため息の訳を聞いてみても自分のじゃないから、分からない。
    でも、知りたがる。
    そこから弓の橋がかかるのかもしれない

    いま、わからなくても
    知りたがる気持ちを忘れずに抱きしめていけますように。

    (この言葉、わかるひとには分かるでしょう)

  • コミュニケーション能力が足りないということの背景や理由を、内面ではなく外の事象から解き明かしている。すごく明快でわかりやすい。そしてその裏付けとしての演劇を通じた実践が、新鮮で説得力あり。

  • 発売して間もなくAmazonのウィッシュリストに入れてそのままになっていた本。昨日、池袋のジュンク堂で見つけて、手に取ったらもう買わずにはいられなかった。

    私は、全部読み終わらない限り、本の良し悪しや評価を言わないことにしていて、それが礼儀だろうと思っている。
    でもこの本は「まえがき」の4ページから、もう既に、どう考えても、良すぎて、早く「いい本!」って言いたくて仕方なくて、急いで急いで急いで読んだ。
    書かれていることが、すっと刺さって、納得がいって、よく分からないけど、新書なのに読みながら涙が出て仕方なかった。

    平田オリザさんの方法論は、国語の教科書にも取り入れられている。
    本著は認知心理学の知見、演劇の経験、また大学での講義や小中高での出張コミュニケーション教育の体験などに根ざして書かれている。
    筆者の「話し言葉」、特に「対話」(「会話」とは異なる)の言葉への感覚の鋭さは、プロとしか言いようがない。
    たった230ページの平易な言葉で、これだけを語れることが、とにかく凄い。
    言葉の教育に携わるなら、読んでみる価値のある本だと思う。
    できるなら、高校生の自分に、この本を読ませてあげたかった。

    第一章 コミュニケーション能力とは何か
    第二章 喋らないという表現
    第三章 ランダムをプログラミングする
    第四章 冗長率を操作する
    第五章 「対話」の言葉を作る
    第六章 コンテクストの「ずれ」
    第七章 コミュニケーションデザインという視点
    第八章 協調性から社交性へ

  • 後半の主張はその通りだと思った。価値観や!生き方が多様化しているからこそ、「わかりあえないことから」スタートする必要があると思う。そのすり合わせとして、戯曲を用いるっていうのが面白い。職場でも試してみたい。

  • 社会への視座として私にはないものを感じた。演じるときに障壁となること、普段の何気ない生活がさまざまなところに影響を及ぼしているということはなかなか考えたこともなかったので、面白かった。
    最後の方で述べられているシンパシーからエンパシーへ、というのはこの本が書かれてた2012年にはもう言われていたことだったのか、と愕然とする。最近、ベストセラーになったブレイディ・ミカコの『僕はちょうどホワイトでイエローで時々ブルー』にも出てくる。かつては学校でも「相手の立場に立って」というのがよく言われたものだが、最近ではそのような余裕もなくなった。
    だからこそ、一度立ち止まって「主体的・対話的で深い学び」について考えなくてはならないだろう。しかもこの本で、筆者は「対話」が日本にはほとんどないと言っている。確かにそうだ。対話とは何かを知らずして、対話的な学習など絵に描いた餅に過ぎなくなる。
    演劇など芸術を軽視している今の日本に果たして「対話的な」学びができるのか、忙しすぎる学校現場にそれを求めるのは過酷すぎるのではないかと考えてしまう。文科省はじめ、この教育改革を進めようとしている人たちにはよく考えて欲しいと思う。


  • 会話(コミュニケーション)はキャッチボールだと言われます。自分のメッセージ(ボール)を相手が取りやすいように投げて,うまく取ってもらえたら会話が成立。うまく取ってもらえなかったら,あるいは,うまく投げれなかったら会話は不成立。従来はこのように考えてきたと思います。
    
    会話のキャッチボールモデルでは,うまく投げ合う,あるいは,うまく取り合うことが前提となっています。逆にいうと,うまく投げれなかったり,あるいは,うまく取れなかったりしたら,ダメだという烙印を押されることになります。つまり,必ず通じ合わなければならない(キャッチボールできなければならない)と想定されているわけです。
    
    でも果たして,我々は必ず通じ合うことはできるのでしょうか。むしろ,通じ合わないことが普通だからこそ,似ているところを見つけると嬉しくなったり,なんとかわかってもらえるようにする必要があったりするのではないでしょうか。通じ合わない相手だからこそ会話が必要なのではないでしょうか。
    
    私たちがこれまで考えてきた「コミュニケーション観」を根底から考え直すきっかけになる刺激的な本でした。何回も何回も読み直そうと思いました。
    

  • コミュニケーション能力が採用シーンで言われるようになってから久しいですが、

    ●コミュニケーション能力とは何なのか→単なる慣れ、だれでもできる。
    ●でも慣れなければいけない→日本の言語が対話を育みやすいようには進化してこなかったから。日本語には、尊敬語・謙譲語はたくさんあるが、「対話」の言葉、つまり対等な関係の褒め言葉があまり見当たらないらしい。
    ●なぜ必要なのか→多文化共生社会では、バラバラな個性を持った人間が、全員で社会を構成していかなければならない。だからアウトプットは、一定時間内に何らかのものを出す、そのための対話。
    ●必要なのは協調性ではなく社交性。その場だけでも、何らかのものを出すために関われる力。

    そして、「伝えたい」という気持ちは「伝わらない」という経験からしか来ない。

  • 人付き合いが苦手でコミュニケーション能力と聞くと悪寒がします。そのため本書の副題「コミュニケーション能力とは何か」に興味を惹かれました。

    本書はコミュニケーションのハウツー本ではなく、劇作家としてのバックボーンを持ち学校でコミュニケーション教育を行っている立場から世間のいわゆるコミュニケーション能力というものを批評したものになります。

    筆者はコミュニケーション能力が求められるようになった背景として、多文化共生の時代になり、異文化理解能力が必要になったからだと述べています。そしてそれは欧米と日本のコミュニケーションの優越ではなく、あくまで欧米が多数派であることが原因だとしています。

    しかし、実際の人事採用者、企業の求めるコミュニケーション能力の定義は曖昧であり、社員は自主性を求められる一方協調性を求められるなど矛盾した指示がされているという問題があります。また、学校の教育では正しいコミュニケーション教育が行われていないという問題があります。

    本書で特に印象に残ったことは、社会で必要とされるコミュニケーション能力は生まれつきもった性質ではなく、慣れの問題であるということです。

    今まで私は、生まれつきコミュニケーション能力の欠落した人間だと思っていましたが、この筆者の見解から自分ももっと人と関わる機会を持てば、人並に人付き合いができるようになっていくのだと勇気がもらえました。

    コミュニケーションのハウツー本よりも的を射た良書です。

  • ・コミュニケーション教育と、人格矯正は全然別物
    ・体験することの重要性
    ・無意識の「違い」を認識すること


    電車で「旅行ですか?」と話しかけるにも、日本とその他で文化の違いがあること、自分の当然は少数派である可能性があること。これを認識した上で意識的に行うこと、それがコミュニケーションと第一歩。
    演劇とコミュニケーションがどう関連していくのか、読んでいくうちに理解できた。

    ただ話し合わせて体験させても、学ぶこと向上することは少ない。いかにそれを伝え、教えていくか、だということに納得した。
    そんなに演劇でうまく良くなるのかよ、と思う部分もあるけれど、やはり目的を持った体験というのは違うと思う。この人は意味付けが上手いのだなぁと思う

  • 演劇界で活躍し、現在はコミュニケーション教育にも携わる著者が、世の中で求められている「コミュニケーション能力」に疑問を投げかけた1冊。
    日本社会において、人々は異文化理解能力を求められるとともに、実は輪を乱さない同調圧力も求められている、というダブルバインドにあっている。
    職場でのコミュニケーションで「上手くいかないな」と感じるもやもやの、根っこの部分を指摘されたようで、ぱっと視界が開けたような気持ちになりました。

    日本社会ではわかりあう、察し合うことが文化になっているけれど、そもそも「わかりあえない」中で共有できることを見つけていくのがコミュニケーションなのだ…というコミュニケーションの原点にも光をあててくれます。
    読み終えたときに、少し気持ちが明るくなりました。

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著者プロフィール

1962年、東京都生まれ。劇作家・演出家。芸術文化観光専門職大学学長。国際基督教大学在学中に劇団「青年団」結成。戯曲と演出を担当。戯曲の代表作に『東京ノート』(岸田國士戯曲賞受賞)、『その河をこえて、五月』(朝日舞台芸術賞グランプリ受賞)、『日本文学盛衰史』(鶴屋南北戯曲賞受賞)。『22世紀を見る君たちへ』(講談社現代新書)など著書多数。

「2022年 『撤退論 歴史のパラダイム転換にむけて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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