宇宙はなぜこのような宇宙なのか――人間原理と宇宙論 (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
3.84
  • (45)
  • (105)
  • (56)
  • (6)
  • (4)
本棚登録 : 930
感想 : 84
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062882194

作品紹介・あらすじ

科学書の名翻訳で知られる青木薫、初の書き下ろし!

「この宇宙は人間が存在するようにできている!?」
かつて科学者の大反発を浴びた異端の考え方は、なぜ今、支持を広げているのか。

最新宇宙論の世界で起きつつあるパラダイム・シフトの全貌をわかりやすく語る、
一気読み必至のスリリングな科学ミステリー。


【目 次】

第1章 天の動きを人間はどう見てきたか
第2章 天の全体像を人間はどう考えてきたか
第3章 宇宙はなぜこのような宇宙なのか
第4章 宇宙はわれわれの宇宙だけではない
第5章 人間原理のひもランドスケープ
終 章 グレーの階調の中の科学

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 2015.7.102015.7.15

  • 視点を変えることの面白さがよく伝わってくる。意図して選んだわけではなかったから、多宇宙論に話が進んだときにはビックリした。『<a href="http://mediamarker.net/media/0/?asin=4150503893">隠れていた宇宙</a>』よりは多宇宙を直感的に想像しやすいかも。こうなると、インフレーション領域と泡宇宙領域との界面がどうなっているのか気になる。

  • 本書で出てくるワードをネットで検索しながら何とか読み終えました。
    人間原理、コインシデンス、ひも理論、多元宇宙論、その単語の意味や概要はわかりましたが、その論理展開や発見された方法は難しくて、正直半分も理解出来ませんでした、、

    これからは私立文系らしく、理系の新書には手を出さないようにします、、、

  • 2022.10.21 社内読書部で紹介を受ける。フェルマーの最終定理。定数はなぜそのように決まっているのか。円周率や自然対数の底。

  • 【書誌情報】
    宇宙はなぜこのような宇宙なのか――人間原理と宇宙論
    著者:青木 薫(1956-) 理論物理学。翻訳家。
    発売日 2013年07月18日
    価格 定価:946円(本体860円)
    ISBN 978-4-06-288219-4
    通巻番号 2219
    判型 新書
    ページ数 256
    シリーズ 講談社現代新書
    NDC:443.9
    [https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210705]

    【簡易目次】
    まえがき [003-007]
    目次 [008-010]

    第1章 天の動きを人間はどう見てきたか 011
    1 権威ある学問としての占星術 012
    2 惑星の運動メカニズムを知りたい! 025
    3 誤解されたコペルニクス 036

    第2章 天の全体像を人間はどう考えてきたか 057
    1 三つの宇宙像 058
    2 ニュートンの宇宙が抱える深刻な問題 070
    3 変化しない宇宙像 vs. 変化する宇宙像 088

    第3章 宇宙はなぜこのような宇宙なのか 109
    1 コインシデンス(偶然の一致) 110
    2 人間原理の登場 130
    3 弱い人間原理 145

    第4章 宇宙はわれわれの宇宙だけではない 157
    1 強い人間原理と「多宇宙」 158
    2 指数関数的膨張 168
    3 宇宙は何度も誕生している 178

    第5章 人間原理のひもランドスケープ 189
    1 素粒子物理学の難題 190
    2 真空のエネルギーをめぐって 203
    3 ひも理論が導いた無数の可能性 222

    終章 グレーの階調の中の科学 231

    あとがき(二〇一三年六月 青木薫) [250-253]

  • ☆━━…‥・企画展示・‥…━━☆
        宇宙(そら)をよむ
    ・‥…━━☆・‥…━━☆・‥…━━☆

    この宇宙は、なぜ今このような形になっているのだろう?
    一つ一つの偶然によるものか、あるいはすべてを説明できる日が来るのか、人間という存在をポイントに論じる。

    ・‥…━━☆・‥…━━☆・‥…━━☆

    OPACはコチラ!▼
    https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000016379

    貸出期間 1週間

    ・‥…━━☆・‥…━━☆・‥…━━☆

  • 「フェルマーの最終定理」や「宇宙創造」の翻訳者で、ご自身も理論物理学の博士という著者による、宇宙についての考え方の変遷についての解説です。特に、人間原理という人間を作るために宇宙が存在するという、ちょっとトンデモ理論に思える考え方について焦点を当てているところが面白い。
    人間原理というのは人間が登場するために無から宇宙が誕生し進化するという説で、それを為すのは神のみだろうということになり、科学者からは敬遠されてきました。ところが、近年になって、量子論や真空におけるエネルギー論などから、様々な宇宙が無数に作られており、その中のたまたま一つに我々が住んでいると考えるのが理論的に自然である、ということになってきた(これもまたなかなかスゴイ発想ですが)。人間は人間が存在できる宇宙にたまたま存在しているだけである、というように、新たな人間原理が言われるようになってきたのだそうです。
    昔から、勉強や仕事、人間関係に疲れると、気分転換に宇宙に関する本を読んできました。視点が抜本的に変わって、落ち着くことが多いのです。それでも、近年の宇宙論の変化は刺激的すぎて、ちょっと興奮してしまうかも。この分野の読書、少し掘っていきたいと思います。

  • この世の物理法則や宇宙は、それを観測できる人間の存在が理由で存在しているという人間原理。最初読んだときアンチ科学主義か?と思ったほど馬鹿げた理論だと思い込んでいたけど、実際に科学者たちによって一定数支持されているとわかった時は驚いた。

    確かに物理定数や、原子のサイズが仮に少しでも違う値だったら、この宇宙を維持することはできず、人間は存在しえないのだから、こういった理論にも妥当性があるのだろう。とても文系脳では追いつくことはできないが、一見、科学の考えと思えない説が存在するのは興味深い発見だった。

  •  「人間原理」なんて当たり前じゃないか、と思っていたが、僕はどうやら「弱い人間原理」と「強い人間原理」を区別して理解できていなかったようだ。
     人間原理というのは、20世紀半ばにケンブリッジ大学の物理学者ブランドン・カーターによって提案された、宇宙物理における原理である。その背景には、物理定数の様々な組み合わせから10^40という無次元量が見られる「コインシデンス」があった。些か数秘術じみている気もするが、それはともかく、この理由を考えていくうちに生まれたのが人間原理であった。
     人間原理には、弱い人間原理と強い人間原理の二つがある。前者は「宇宙における私たちの位置は必然的に、観測者としての私たちの存在と両立する程度に特別である」(三浦俊彦『論理学入門』p.153)というもので、後者は「宇宙は、その歴史のどこかにおいて観測者を創り出すことを許すようなものでなければならない」(同、本書には一般的な形の人間原理のステートメントが書かれていなかったので、三浦から引いた)というものである。
     簡単に言えば、前者はこの宇宙に観測者(人間)がいるという事実から物理定数の値がなぜそのような値なのかを説明する立場である。例えば、もしも重力の値がこの宇宙での値より大きければ星はグシャッと潰れ、人間どころか如何なる生命も生まれないだろう。一方で、重力が弱くても、宇宙にあるのはガスばかりで生命が生まれそうにない。弱い人間原理は、現代の言葉で言えば「観測選択効果」の一種として説明される。「実験家ならば誰しも、観測選択効果のことをつねに念頭に置いている。例としてよく持ち出されるのは、湖に網を打って魚を捕るという話だろう。もしも網目が直径5センチもあるような粗い網だったなら、小さな魚は網にかからず、漁師は、「この湖には胴回りの直径が5センチ以下の小さな魚はいないようだ」と結論してしまうかもしれない。一方、もしも直径5ミリほどの目の細かい網を使ったとしたら、メダカのような小さな魚もどっさりかかるだろう。どんな網を使うかによって、見えるものがちがってくるのである。」(p.151)言ってみれば当たり前のことで、実際殆どの物理学者は弱い人間原理に関しては問題にすらしていないそうだ。
     一方で、如何にも眉唾で、発表当時多くの物理学者から反発を受けたのが強い人間原理である。というのも、その主張から、人間中心主義、或いは「目的論」が透けて見えるからだ。勿論それはカーターも分かっていて、そこで彼はこう述べた。「物理定数の値や初期条件が異なるような、無数の宇宙を考えてみることには、原理的には何の問題もない」(p.159)これが、人間原理におけるマルチバースである(世界アンサンブル、多宇宙ヴィジョンとも)。
     マルチバースという概念がまともに取り上げられるようになるには、宇宙論・素粒子論の発展を待たねばならなかった。宇宙論ではインフレーション+ビッグバン仮説が有力視されるようになっているが、この理論からはマルチバースという考えが自然に出てくる(この見方では、マルチバースではなくメガバースと呼ぶ方がより適当らしい)。また、素粒子論において究極の理論の最有力候補であるひも理論では宇宙は11次元であるとされており、宇宙のあり得る可能性は膨大なものとなる。
     宇宙(universe)が一つのものだという考えの下では、強い人間原理は確かに目的論に堕してしまうが、宇宙が複数(それも膨大な数が)存在する事を認めてしまえば、強い人間原理も単なる観測選択効果となるのである。
     ただ、本書でも指摘されていることだが、他の宇宙というのはこの宇宙から観測不可能であり、その存在を認めることは「検証可能性」を大前提とする近代科学と呼べるのかという疑問がある。マクロ(インフレーションモデル)とミクロ(ひも理論)から、ともにマルチバースの可能性が示唆されているのだから、気持ちとしては、非常にありそうだと思えるのだが、未来永劫存在が確認できないものを仮定して良いのかというところにやはり抵抗がある。今よりもっと研究が進み、マルチバースの(間接的な)裏付けが続々と上がるようになれば、例えばブラックホールやクォークのように、いつかはマルチバースなんて当たり前になるのだろうか?

  • 「人間原理」というのだそうだ。
    そんなことを、とやかくいう発想というかこだわりがそもそもわからないというか、演繹と帰納の問題だと思うのだが違うのかな。

    現に人間は存在する。存在するための条件があるわけで、別にそれは人間を存在させるためにあるわけじゃなくて、意思のない現実なだけで。

    いずれにしろ、物理と人間を取り巻いてきた科学史の一面として面白く読める。

全84件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

(あおき・かおる)
翻訳家。1956年、山形県生まれ。Ph.D.(物理学)。著書に『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』(講談社現代新書、2013)。訳書に、S・シン『フェルマーの最終定理』(新潮文庫、2006)、ハイゼンベルク他『物理学に生きて』(ちくま学芸文庫、2008)、J・スタチェル編『アインシュタイン論文選「奇跡の年」の5論文』(ちくま学芸文庫、2011)など多数。2007年、数学普及への貢献により日本数学会出版賞受賞。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

「2023年 『科学革命の構造 新版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

青木薫の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ケヴィン・ダット...
スティーブン・ピ...
ヴィクトール・E...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×