- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062882255
作品紹介・あらすじ
来年の大河ドラマの主人公黒田官兵衛。その有能さは、豊臣秀吉、徳川家康をも恐れさせたと言われる、戦国から江戸前期にかけての大名です。本能寺の変で、信長が斃れ悲嘆にくれる秀吉に、「天下を取る好機です」とささやき、有名な中国大返しを実現させたなど、多くのエピソードが残っています。しかし、それらは主として江戸時代に作られたものがほとんどです。官兵衛といえば、「軍師」という言葉がついてまわりますが、この「軍師」という言葉も、戦国時代にはなく、後世につくられたものだったのです。本書は、信頼できる史料をもとに、黒田官兵衛の実像に迫る一冊です。
感想・レビュー・書評
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痛快! 黒田官兵衛と黒田長政の実像に迫る書
本書の特徴は、文禄慶長の役から、関ケ原の役までに、黒田親子に何が起きたのか、なぜ、天下の趨勢は、徳川家康に帰したのかを、分かりやすく解説している点です。
機を見るに敏、普段は堅実な黒田官兵衛は、時代の変革点を見事なまでに見抜き、わずか10石の豪族の家老職から、52万石の大大名へと変貌を遂げています。
九州の関ケ原攻防戦では、毛利や、島津を対象として、領土の拡大を図るしたたかさもあります。が、助けを求められると一転、両家のために一心に家康にとりなしをお願いするなど、利害を超えた男気があるところも、名軍師たる、ゆえんかと思います。
気になった点は次の通りです。
・官兵衛は攻めのみに終始していたわけではない。その持ち味は、交渉力であった。攻撃と和平交渉を交互に繰り返しながらできるだけ兵の消耗をさけていた。
・中国九州征伐では毛利島津が大身大名であったが故に、無益な戦いを回避したかったのだろう。秀吉は、両家については、一定の配慮を示している。
・秀吉に忠誠心を疑われると、北政所を介して家督を長政に譲っている。
・朝鮮出兵にて、三成は姻戚関係にあった熊谷直盛をかばって、黒田長政と、蜂須賀家政を罪に落とそうとした。このことが、関ケ原の役に、重大な影響を与えていく。
・近江の長浜以来の福島正則、加藤清正、藤堂高虎、細川忠興、浅野吉長、蜂須賀家政、黒田長政は、七将と呼ばれていて、朝鮮出兵時に三成から不当な扱いを受けていた。
・秀吉の死後、前田利家がなくなると、三成は七将から詰問され、家康の仲裁によって佐和山城へ隠退することとなる。その首謀者が、黒田長政と、蜂須賀家政と推測される。
・慶長5年、家康の養女、栄姫をめとった長政は、正室だった蜂須賀正勝の娘を離縁している。このときが黒田家にとって、豊臣家から徳川家を選んだ分岐点だと思われます。
・黒田家にとって、関ケ原は早くから始まっていました。
清州城にいた福島正則を東軍に取り込み、西への交通路を確保した。
吉川広家を介して、毛利家の内情に通じ、小早川家、毛利家を味方につけ、輝元の本領安堵をはかった。(それは、関ケ原後に、毛利家が西軍の味方を募集していたことが家康に知れ、長政の仲介でかろうじて毛利家存続ができた)
小早川秀秋の裏切りも、背後に、広家と、北政所があって、いずれも、長政の貢献であろう。
関ケ原合戦中は、加藤清正と黒田官兵衛の連携によって相互に応援をする手はずがととのえられていた。
・長政の遺言というのが後ろにあって、黒田家が西軍につけば、天下の趨勢は西軍に帰したといい、たとえ長政が徳川についたとしても、官兵衛が西軍についていれば、加藤清正とともに、天下は西軍に帰していただろうと述べています。
最後に、黒田官兵衛を題材にした小説の紹介がありましたので、付記します。
①長谷川伸 黒田如水軒 ②武者小路実篤 黒田如水 ③菊池寛 黒田如水 ④鷲尾雨工 黒田如水
⑤吉川英治 黒田如水 ⑥松本清張 軍師の境遇
⑦海音寺潮五郎 黒田如水 ⑧司馬遼太郎 播磨灘物語 ⑨坂口安吾 二流の人
目次は以下の通りです。
はじめに
第1章 黒田氏の出自と父祖
第2章 若き官兵衛 本能寺の変まで
第3章 秀吉の天下統一戦争における官兵衛
第4章 朝鮮出兵から関ケ原合戦へ
第5章 「名軍師像」誕生の背景
おわりに
主要参考文献詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今、麒麟がくるで明智光秀が描かれている。
ラストまで観ないと分からないが、冒頭を見ている限りは、ただ主人に弓を引いた家来という描かれ方はしなさそうである。
この本の主人公である黒田官兵衛も、優れた軍師として戦国時代を華々しく活躍したとのレッテルがある。
しかしながら、そのレッテルから見えてくる黒田官兵衛はあくまでも一つの姿であり、全貌とは大きく異なる。
そんな視点を多くの一次資料から解き明かしてくれた渡邊さんの解説は、21世紀を生きる我々に非常に示唆的であった。
特に、最後にある黒田家に対する官兵衛のメッセージには、現代の組織維持に通じるものがあり必読と言える。 -
2014年の大河ドラマ『軍師官兵衛』。予習をかねて、本書を読む。黒田官兵衛の本がいくつか出ているが、本書がいまのところ評価が高かった。戦国時代、「軍師」という名の職業は存在しなかった。後世に創られた虚像である。しかし、官兵衛が策士であったことは、紛れもない事実であったようである。
1990年代まで、戦国時代を取り扱った大河ドラマは、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三傑のほかに武田信玄を取り上げるなど、メジャーな戦国武将を取り上げることが多かったが、2000年の葵徳川三代以降、前田利家、山内一豊、直江兼続と、若干、マイナー路線に転じた。黒田官兵衛という人選も、その延長かもしれない。
山内一豊の『功名が辻』では、斉藤洋介が秀吉を天下取りへとそそのかし、関が原では九州を平定し天下を伺う姿勢を徳川家康に警戒される等、実に味わい深い演技をしていた。
<目次>
第一章 黒田氏の出自と父祖
第二章 若き官兵衛ー本能寺の変まで
第三章 秀吉の天下統一戦争における官兵衛
第四章 朝鮮出兵から関が原合戦へ
第五章 「名軍師像」誕生の背景
2013.11.18 2014年の大河ドラマの主人公。
2013.11.20 読書開始
2013.11.22 読了 -
気鋭の歴史学者によるクロカン研究の概説。各種資料に基づいてクロカンの事績を検討したのち、最終章にて"「名軍師像」誕生の背景"と題し、福岡藩の戦略としての官兵衛の神格化、伝説化があったのではないか、との視点を提示。
大河ドラマではどうも善人すぎる官兵衛さんですが、そのいわば作られた官兵衛ばかりでなく、各種小説でさまざまな描写がなされている旨の紹介あり。
九州征伐ののち、豊前半国を拝領した官兵衛さんですが、土着の宇都宮氏はこれを是とせず謀叛に及ぶ。ドラマでは、官兵衛は秀吉の意を汲んでやむなく謀殺したことになっていましたが、、、
○「城井谷崩れ」を題材として官兵衛の無慈悲かつ非人道的な人間像を描いた作品として、海音寺潮五郎「城井谷崩れ」がある。官兵衛の違った一面を描いており、誠に興味深い。
ほか、松本清張、坂口安吾、司馬遼太郎の官兵衛像にも言及あり。 -
官兵衛二冊目の新書。こちらも史料に基づき叙述している。軍師と呼ばれるようになった背景、長政の遺言の意味など興味深かった。
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「黒田官兵衛」、今度のNHK大河ドラマの主人公ですね。
戦国時代から江戸初期の武将、豊臣秀吉の側近として仕え、築城や城攻め、巧みな調略でその才覚を発揮したと伝えられています。「黒田官兵衛」といえば、竹中半兵衛と並んで卓抜した異能の“軍師”としての強烈なイメージを抱かせる人物です。
本書では、官兵衛を知るための編纂史料である「黒田家譜」を中心にしつつも、官兵衛による書状等数少ない一次資料による検証も踏まえ、官兵衛の実像を明らかにしていきます。
著者の考察の結果をここで紹介することは控えますが、その人物像がどうであったとしても、激動の戦国時代を生き抜き、長政とともに明治維新まで続く大藩福岡(筑前)藩の礎を築いたその官兵衛の才覚は尋常ではなかったのでしょう。 -
2014年の読了1冊目。
実は大河ドラマが始まる前に読了しようと思っていたのですが、仕事納の日に職場にこの本を忘れてしまい、越年させてしまったのです。とほほ・・・昨日、「軍師官兵衛」は始まりました。
博多生まれの博多育ちの私としては、福岡藩の開祖である官兵衛、長政親子について興味がありました。
この本は従来の名軍師像というイメージにとらわれずに、官兵衛に迫っているところが面白いです。
後世に編纂された軍記物語や家譜など(二次史料)ではなく、出来うる限り官兵衛の時代に作成された古文書や古記録(一次史料)をもとに人物像を探っています。
これを読んで大河ドラマを見ると違った視点で楽しめるだろうなと想像してしまいます。
さて、2013年の読書数は21冊。2012年は22冊、2011年は18冊。
目標は毎年30冊としているのですが、なかなか達成できず、意志の弱さを毎年痛感。
職場の昼休みを中心に読書しているのですが、積極的に読書の時間を作り出さなければと改めて思いました。
それと、ボリューム大の期待外れだった本への対応が課題。
巷で人気の読書術などでは、気に入らなかったら読むのをやめて、次の本に変えるとよく言われている。・・・貧乏性の私はこれがなかなかできない。読み始めた本は最後まで読まないと不安になってしまう。時間かかっちゃうんだよねぇ。
この点、皆さんはどう思いますか?facebookにコメントいただければ有り難いです。
ということで、今年もいい本との出会いを期待して。
次は「永遠の0」です。読み始めました。引き込まれます。 -
竹中官兵衛を軍師と称するには、いささかの無理がある。かれは、数々の大名との交渉を担当したことから、「取次」などと称するのが無難だ。また竹中官兵衛は、大名に取り立てられて以降は家の存続に腐心した様子をうかがうことができる。「取次」と「大名」と言う二面性がある。彼が「軍師」ではなくても、その存在価値が否定されることはない。