- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062883634
感想・レビュー・書評
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考えさせてくれるエピソードがたくさん。
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人が集まる文化の創生が重要
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劇作家・演出家として知られる平田さんの最新著。Aさんに勧められて読みました。
〈あたらしい「この国のかたち」〉と副題にあるように、これからの日本社会に対して、ご自身の活動(表現・文化)を通しての問題提起、興味深く読みました。特に、「文化の自己決定能力」に強い関心を持ちました。たくさんの表現に触れる機会を誰もが持つことができる経験を蓄積すること、その上で市民の自主的な活動を支える施策(場所の確保・資金等)を豊かに実施することが重要で、そういう中でこそ人は育つのだと思います。
音楽好きの僕としては、もっと機会があれば、ライブなどももっと安くいけたらと常日頃思っています。プレーヤーとしての活動はちょっとお休み状態ですが、どこかで再開したいですね。
本の中では、宮沢賢治の残した言葉が紹介されていました。
「誰人もみな芸術家たる感受性をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいえそのそのときどきの芸術家である」
大阪では公共施設が減らされ、活動をする場所が少なくなっています。この流れも変えないといけないです。
地域を見つめる目をもっと豊かに深く考えることが、自分の課題だなと思いました。
お勧めの一冊です。 -
日本人の私たちは三つの寂しさと向き合い、受け入れなければならない。日本はもはや工業立国ではないこと、日本はもはや成長しないということ、日本はもはやアジア唯一の先進国ではないということ。その寂しさを受け入れられない人々が、嫌韓・嫌中に走ったり、無邪気な日本礼賛をしたりする。
人は子供の頃から本物の文化芸術に触れることで「文化の自己決定能力」が育ち、この寂しさに耐えつつ新しい時代を生き抜く力を持てるのだ、と筆者は言う。筆者は演劇を通じて地方創生という課題に取り組む。演劇に限らず、文化芸術が社会に(特に子供たちに)対してやれることはまだ多い。
これからの時代は未来への下り坂をオロオロしながら下っていくしかない。それを認めることで、成長を捨てた代償として得る成熟の果実を、私たちは求めるべきではないか。 -
坂を下る寂しさを最も感じているのは著者を含め、我々の世代なのだ。戦争を知らないどころか、安保闘争や全共闘だって知らないに等しく、高度成長期の真っただ中で育った。日本経済が衰退し、人口減少に転じるなんて考えもしなかった。でも、下り坂を下りだして随分と久しいんだよ。上りがあまりに急勾配だったから、今は急降下に思えるけれど、それなりにそろそろ下っていると思う。それこそ「これでいいのだ」。小豆島、城崎、善通寺が「文化の自己決定能力」を向上させて、狭義的には演劇で地域活性化する事例はひとつの参考になる。ただ、文化抜きの地域自立はありえないって極論は、結局都会の模倣を促しているんじゃなかろうか。それにある意味、彼らは未だに上ろうとしてるし。
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心を豊かにするのは文化、芸術だ!
演劇指導を通して、文化人を育て、心を豊かにして、新しい、もしくはその土地ならではのアイデンティティを創造して、世界に発信する。
中央政権に依存せず、自分、チームを見つめて、オロオロと踏ん張るのが大事ですね -
2016年6月新着
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まあ言わんとしていることは理解できるし、
こういう考えが必要だと思います。
でも、大体がどこかで聞いた・読んだ話が、
多かったかなと。
後、司馬史観的(司馬遼太郎氏の歴史把握)なものが
中心となっていて、少し違和感があります。
司馬氏の小説はあくまで小説で、思想史や哲学、
人文系論を語るのには違うかなと思います。
正岡子規
”世の人は四国猿とぞ笑うなる。四国の猿の子猿ぞわれは”
出身ではないですが、子供のころ讃岐に住んでいました。