- Amazon.co.jp ・本 (444ページ)
- / ISBN・EAN: 9784086172028
感想・レビュー・書評
-
上巻を読んでオチが読めてしまった上、
内容自体も先が見える展開だったので
すんなり物語に入っていくことができなかった。
だが、下巻の展開が上巻で感じていた違和感を
見事に覆してくれた。
大人のエゴと子どものエゴ。
大人は「そんなふうに育てた覚えはない」と嘆き、
子どもは「なんにもわかってくれない」と甘えた言葉を口走る。
身勝手なもの同士がぶつかり合ってもそこからは何も生まれない。
「自分を好きになりなさい」とか「自分に自信を持って」なんて
胸の悪くなるようなことばを吐く人がいるけれど、
そうじゃない、そうじゃないんだ。
一度も愛されたことのない人間が人を愛することなんて
できるわけないじゃないか。
和希はハルヤマに出会い、「愛」を知る。
母親に愛されていない、望まれて生まれてきた子どもじゃないと
感じていた和希は愛を知ることで初めて
母親を少しずつ認めることができるようになるのだ。
なんかみんな大人になっても下手くそで
歩みよりながら生きていくしかないんだなあ。
としみじみ思ってしまった一冊。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
暴走族かあ…今の時代に読んでも…でも名作らしいし…と思って読み始めた
痛いくらいにまっすぐな二人、親との関係、イラストの持つ繊細な空気、あの時代にしかかけないんだろうな。眩しい。 -
日本の少女マンガ文化が1番偉大だ、という気持ち。超ド級によかった。友情の描きかたに信頼がある。かっこいいひと、かわいいひとが本当に絵としてマンガにいるので、ため息ついちゃうくらい魅了された。
-
(01)
彼女ら彼らが出現する場所がまず注目される.ロードというテーマでもあるので,それは圧倒的に路上である.単車に乗っていてもいなくても路上である.もちろん学校内,住居内,店舗内,病院内という場面が混じりはするものの,路上に勝るものではない.路上であるからこその交通と友好(*02)が結ばれている.
路上であるが,昼間は言うまでもなく太陽にホットに照らされていることが多いが,夜間も照らされている.この夜間の光,テールランプ,ヘッドライトは作風を印象づけているが,そのほかの街の様々な光に照らされていて,主人公たちの眼(*03)はおそらく闇に安らぐことがない.余白の大きさや白さが,露出オーバーやフラッシュを思わせる,光の過剰を際立てている.
それら光たちの勝利は,そのまま,本書のテーマでもある戦後の日本人の家族と生活のパラドキシカルなありようを指示している.
(02)
路上にたむろしているその姿は,いわゆる集会に代表されるが,立位もあるがときに座位も見られる.いわゆるヤンキー座りも前面的ではないが描かれている.おそらく80年代の湘南あたりではまだ,路上が汚れていたせいか,それとも立位の労働等に慣らされていたせいか,10代の彼女ら彼らも路面レベルにそのまま腰を落として座るということはない.または,次の出走などの運動に備えているのかもしれない.座っても堤防の上であるとか,路面からのわずかな立ちあがりに腰を掛けている様が80年代の都市風俗として記録されている.
(03)
瞳の中の妙な光,それはモノローグによって「夜景」と解説されることもあるが,この瞳の描き込みも人物造形や風景描写を大きく担っているが,一方で,指の描き方も心に残る.注視していると,手や指のデッサン集のようにも見えてくる.この描き込みの意味は,本書のテーマでもある生活に関わるものだという予感がある. -
実はそんなに斬新なお話ではないと思う。でもまあ、当時は受けたんだろうね。
-
大好きだったホットロード。
あの頃は完全に同世代で、共感したり、憧れを感じたりした和希。
その頃の自分に戻って、ああ懐かしいな…と思ったりもするけれど、今見ると和希も春山も、なんて純粋で痛々しいのだろう。
駄目だよもっと自分を大事にしなきゃ!…って、春山のお母さん目線ですな。
悪い子と見られる(見られても仕方がなかったりする)和希たち、
自覚なく人を傷つけたりする普通の子たち、
彼らを取り巻いて力になろうとしたり、自分の事情に精いっぱいになってしまったりする大人たち。
それぞれみんな、真剣な思いを抱えていることが今になるとよく分かる。
時代を越えてやっぱり名作なんじゃないかな、と思う。 -
ハルヤマが優しいときゅんとするな。和希が何を捨てることもなく大人になっていくのがうれしい。
-
一巻を読むのに結構時間かかっちゃったけど、二巻はリズムに乗れてスラスラ。
和希の変化と、春山の変化が感じられました。