- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087206852
感想・レビュー・書評
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[ 内容 ]
一九九〇年代、大学から「教養」の名を冠した学部が次々に姿を消した。
それに呼応する形で専門知・実用知の優位性が喧伝されると、いまや「教養」はかつてのエリート達による懐古趣味のようなカビ臭い存在になってしまった感がある。
しかし、本来の教養は、行き過ぎた専門知の追究に対して物事を多角的に捉える視点を与えるものでもあった。
本書では、そうした意義に加え、人格的な豊かさを体現するためにも不可欠な教養の意味を問い直し、今の時代にも活きる新しい形を提示する。
東大教養学部で長年教えた著者が授ける教養の力。
[ 目次 ]
第1章 「教養」は変質しているか(教養人をイメージしてみる;「なんとか教養」の謎 ほか)
第2章 学問/知識としての教養(ヨーロッパにおけるリベラル・アーツの起源;中国から輸入した教養 ほか)
第3章 教え授ける/修得する行為としての教養(教養は誰がどのように授けるものか;高校の授業の余談における教養教育 ほか)
第4章 身につくものとしての教養(知識;知的技術 ほか)
第5章 新時代の教養(情報処理の今、昔;情報選別の基準その一―情報提供源の信頼性 ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
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教養の意義、効用、そして必要性を説く。東大駒場はさておき、ぼんやりとした概念にすぎないと思われた教養の持つ重要性が記されている。あとがきにある2011年の震災発生後のエピソードが教養とは品格に通ずるものだと雄弁に語る。
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学問や知識を身に着けることによって備わる心の豊かさ、理解力、あるいは人間的品格。人の立ち振る舞いに現れる。
知識は教養を獲得するうえでの必要最低条件であるが、知識だけではダメ。
文学でも単なる知識や娯楽として受け入れるだけでは、それ以上のものに昇華することができない。知識を教養とするには、また別の技術が必要。
自分が学んできたものを糧として、なんとか人としてより善くなりたいという意思を失ってはいけない。日々少しでも成長して、知情意の充実した全人になちたいと願う。 -
斜め読み。第五章の推薦図書、もしくは参考文献に手をつけていきたくなる、読書ガイドのような本。第一章、教養と修養の定義のくだりで「修養とは修身養心」(新渡戸稲造『修養』)を見て、自分の名前にもその字が入っていることに偶然以上のものを感じた。
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教養は高まり、学は備わる。
教養:学問や知識を身につけることで備わる「心の豊かさ」「理解力」「人間の品格」
情報伝達技術の発展と記憶力の価値の低下 -
文学を中心とした教養についての本でした。
『教養の力:東大駒場で学ぶこと』というタイトルなので、
もう少し幅広い学問分野から言及を期待していた。 -
教養ある人でありたいと、読んでみて感じたのは、良書を読めってことと、切が無いってこと。結局のところ今の時代、情報の9割以上は誰かの利益に繋がっているんだなと思った。違和感を少し感じつつも、より善い自分でありたい、と。
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「第一章」をチラチラ見ただけですが、
17ページの「英米の文化的支配を離れた
『国際語(あるいは世界共通語)としての英語』などと言ってはみても」
の段落を読むだけでも、この本は、価値あり、と思えます。
ちゃんと読むのが、非常に楽しみです。
(2013年6月14日)
この本に書いてあることは、「当たり前のこと」です。
「当たり前のこと」を、きちんと書くのが「教養の力」と
感じました。
【夏目漱石と英文学】(47ページから50ページ)
(2013年7月17日)
英語で読まなければ意味がない(160~161ページ)
新渡戸稲造の Bushido, the Soul of Japan
岡倉天心の The Book of Tea
鈴木大拙の Zen and Japanese Culture
日本人の手になる三大英文著作
(2013年7月18日)
読み終えました。この本を、お薦めします。
(2013年7月18日) -
一度だけでは理解しきれない。
再読の余地あり!