- Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087466072
感想・レビュー・書評
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南アフリカとその隣国を中心にそこに住む人たちのごく一部にアプローチしたノンフィクション集。全11話。各話とも、およそ一部から全体が見えてくるようなつくりになっています。なぜそのようなつくりになっているかと言えば、環境や背景がインタビューした人物の周囲に漂っていて、そこを省略していないからだと思います。
アフリカのほとんどは植民地支配を受けていた土地柄です。もともとオランダ人やポルトガル人の家系だったのがアフリカに移住してその土地に根差すようになり代を重ねたアフリカーナーという白人や、現地人との混血、そして現地人たちがいて、複雑な人間関係や支配・差別の社会を作り、生きている。また、現地人のなかでも、その氏族によって力関係や差別がありますし、氏族ではない場合でも、ルワンダのツチやフツのような差別的な民族の分割がある。
そのような環境を作ったひとつには、たとえばダイヤモンドや金などの利権を独占するべく、英国人などが乗りこみ、自分たちの武力や文化の強さをつかって自分たちに有利な仕組みをつくりそこに現地人を閉じ込めてしまった、というのがあります。アフリカは人類発祥の土地だけれども、欧州からの植民地化によって(ある意味では、文明化を果たしアフリカを忘れた人類による傲慢な帰還によって)、そんなアフリカにずっと暮らし続けてきた現地民族は翻弄され蹂躙され搾取されてきたし、今もその影響下から抜け出せていない。
以前読んだ『はじめてのゲーム理論』によれば、人々の思惑にもとづく戦略的操作とは無縁の社会を、私たちは作ることが出来ない。思惑と戦略的操作に長けた欧州人が、アフリカにその論理と世界観を持ちこんで、別の世界観にいたアフリカの現地人をそこに強制的に詰め込んだ。賽は投げられてしまった、というわけ。それはすごく長いタイムスパンで考えればまた変わってきて、違うといえるのかもしれないけれど、ごく穏当に言って不可逆的な出来事になった。このあおりを現地人に食わせるだけ食わせる文化人たちの文化は、本当に成熟しているといえるだろうか。読んでいて、そんな問いが脳裏に浮かぶのでした。
社会の、「苦しむアフリカの人たちを助けよう、そのために寄付しよう」という動きについては、アフリカだけじゃなくてアジアなどでもそうですが、よく目にしてきたと思います。多額にせよ少額にせよ、寄付したことがある方はけっこうな数いらっしゃるかもしれない。僕も、募金箱に100円玉を入れたりなどしたことがあります。
本書でも後ろから二つ目の章である「『お前は自分のことしか考えていない』」にて、このような、他国の困っている人を助けることについて、著者の考察と葛藤が書かれています。困っている国に援助金をもたらしても、困っている人たちにわたるまでに官僚などが中抜きをしがちだったり、そもそも困っている人たちが無料で食料を与えてもらうことでその文化のギャップに大きく戸惑うことがあるともありました。
たとえば、彼らアフリカの人がうまくとうもろこしを育てることができても、食べられる量はわずかだったりします。貧しい食糧事情の中、その土地の人たちはそれでも自活して生きている。ある年、作物が育たなくなり食糧危機の支援で他国から無料で食糧がはいってくる。それは何日分かの食糧でしかないし、でも彼らはそれを遠慮なく食べるのですが、そこで空しさを感じるといいます。これまで苦労しながらわずかな食料を得てなんとか生きてきたのですが、でもそこにはある種の充足感があったのです。しかし、危機になって与えられた無料の食べ物は、無料なのに普段の食生活のレベルを凌駕する豊かさの食べ物だった。そこにみじめな思いが生じるのです。食糧や援助を受けるくらいなら、農業の助けや仕事を作ってくれたほうが、困っている人たちの尊厳は守られるのです。
また、困っている人を助けることについての人々の浅慮を指摘する部分にも大きく考えさせられました。
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そして実際に金銭も時間も心情をも彼らのために費やした。(p222)
→ 人を助けるためには、自分のあらゆる部分を削り取られる覚悟が必要で、それはたとえば介護も同じだなあと僕なんかには考えられるのでした。
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一人のアフリカ人でもいい。自分が親しくなったたった一人でいい。貧しさから人を救い出す、人を向上させるということがどれほどのことで、どれほど自分自身を傷つけることなのか、きっとわかるはずだ。一人を終えたら二人、三人といけばいい。一般論を語るのはその後でいい。いや、経験してみれば、きっと、多くを語らなくなる。(p225-226)
→ ここでも述べられていますが、人を助けようとすると、そのために自分が傷つき、損なわれる部分も少なからずある。すなわち、犠牲がどうしても払われることになるのですが、援助や助けに対して、一般にそのあたりに対するイメージや思慮に乏しいことの指摘になっているのでした。
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このほか、第二章の「どうして僕たち歩いてるの」も、重くのしかかってくるテーマではありますが、考えさせられる内容でよかったです。人種差別の世界を見抜いた自分の子どもとの対話からあぶりだされる苦しい葛藤についての話です。本章から答えは得られませんが、南アフリカ世界の仕組みに触れることで、人間の心理の難しさや社会の仕組みの難しさについて考えるきっかけが得られると思いますし、そもそも気付けていなかった人間存在の困難な問題を知ることにもなるでしょう。
といった中身です。本書のなかでは、ノーベル文学賞を受賞した南アフリカの作家、J・M・クッツェーの名前や作品、その人がたびたび登場します。興味深かったですし、そのうち彼の作品に触れてみようかという気持ちになりました。難しい世界の、日常に現れるさまざまな難しい案件であったり瞬間であったりを経験して、屈せずに、力強く創作へと昇華したその「人の力」にまずすごいなあと思います。もちろん、クッツェーという知性でこそのなせる技なのでしょうが、エネルギーのほうに今の僕は惹かれるのでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「助けるということは無償のようでいて、実は助けられる側に暗に何らかの見返りを求めている。援助には目に見えない依存関係が隠れている。誰かがごく自然に「アフリカを救わなくては」と考えた途端に、その人はアフリカを完全に対等な相手とはみなさなくなる。」
アフリカに携わる者として、耳の痛い言葉でした。読後、何度も何度も反芻しています。
とはいえ、自分がアフリカに関わりを持ちたいと思うようになったのは「助けたい」気持ちが先行していたのは疑いようもない事実。現地に住んでみて、実際に目にした貧困。そんな中、想像していたよりはかなり楽しそうに、私よりもはるかに幸せそうに暮らしていた人たち。
それを目にしてもなお、解釈することを拒んで、「自分のために」助けたいと言い続けている自分が、とてもナイーヴな人間に思えました。
もう少し、じっくり、身の振りを考えよう。 -
アフリカという耐陸の見方を変えてくれる本。
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貧しいアフリカの子どもをメディアで見ると、つい募金したくなる。その心理を、著者は事実を知らない故と言う。戦後の日本に、貧しくて可愛そうだと救援物資がバラ撒かれていたら、今のような発展があっただろうか。
無知は恐ろしい。
アフリカ諸国について書かれた本は少ないが、本書は著者が現地で実際に体験したこと、現地の人々にインタビューしたことをもとに書かれたノンフィクションなので、貴重だと思う。
とは言え本書も2005年に書かれたものなので、今はまた事情が異なるかもしれない。何事も情報を鵜呑みにせず、きちんと精査して判断し、行動することが大切だと思った。
それにしても、アフリカはなんと未知なのだろう。 -
アフリカってアフリカとしてまとめて考えてしまいがちだったけど、少しだけそれぞれの国の形を浮かび上がらせてくれた。
旅行記と違って、実際に暮らして職業として取材した内容なのでしっかりしてる。何より、土地を歴史を文化を人の感性を理解しようという意志がしっかり伝わってくる。
文章はとりとめない気がしないでもないが、わかりやすいテーマ性やメッセージ性を付与するのが好きじゃないと文中で述べているので、まあ恣意的なんでしょう。
多くの不幸は無知と偏見から生まれる。つまりは無関心。納得。 -
大自然と野生動物に囲まれた雄大な大地。そして、それと対を
なすように語られる貧困と支援。アフリカ以外の国の人たちが
思い浮かべる典型的なアフリカのイメージ。
だが、それだけでアフリカを語っていいのだろうかという問題提起が
なされている。
先進国が考える援助が、本当にアフリカの為になっているのか。
現地で支援を受ける人たちは、本当にそれを必要としているのか。
例えば日本から自衛隊も出動したソマリア海賊の問題がある。彼らを
退治したり、彼らから輸送船を守るだけで問題は解決するのか。
そもそもは欧州から持ちこまれた産業廃棄物がソマリア沖に不法投棄
されたことで漁場が荒れ、漁民たちの収入が経たれたのではないか。
例えば子供の労働力の問題がある。学校にも行かず家計を助ける
為に働く子供たち。それを児童虐待だと先進国が騒ぎ出す。
子供たちは職場から締め出されるが、学校に戻るのではない。もっと
環境の悪い路上での商売を始めるのだ。
貧しいから可哀想。それはモノが溢れる地域の傲慢な思いなのかも
しれない。貧しくとも幸せな生活はあるのだろう。
著者が特派員生活の中で感じたことや、アフリカの人々から聞いた
話をエッセイ風にまとめている。読みやすいが読後には心にずしりと
重い何かを残す作品だ。 -
メディアなんかで盛んにアピールされていて、植え付けられた一般的なイメージが払拭された一冊。
当たり前だけど文化や思想の多面性、歴史的背景などなど、新鮮でした。あまりにも一辺倒な情報だけ垂れ流されていて、それでアフリカを理解した気になっていたのかもと気づかされた。 -
表題作となっている「絵はがきにされた少年」というタイトルから、何か不幸で悲惨なイメージを思い浮かべたが、読み進めていくと、そんな気持ちが見事なほど打ち砕かれた!
通り過ぎの見知らぬ英国人が、気まぐれに撮った一枚の写真が、ロンドンで絵はがきとなり、南アフリカに出回り、11年の歳月が経ち、偶然訪れた雑貨店で、自分が写ってるモノクロ写真を目にし、その1枚を借金をし、手に入れた。儲けたかもしれないその英国人を恨む訳ではなし、対価を求める事もない、むしろ感謝してる、家宝として大事にしてると、語る老教師カベディ・タジキさん。
ピュリッツアー賞を受賞したカメラマンは、絶賛と共に、なぜ、真っ先に少女を助けなかったのかと報道のモラルを問われ「すべてを、結局、自分自身であり続けることがすべてを台無しにしてしまった」と、遺書の末尾に記し命を絶った・・・・・etc.
著者が、新聞社のアフリカ特派員だった当時、取材で出会った人々の肉声を基に11編の物語が綴られたもの。
人間としての誇り、ポジティブに生きる息づかいにが伝わってくる良書である。