- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087711844
作品紹介・あらすじ
望んで結婚したのに、どうしてこんなに苦しいのだろう――。
最も幸せな瞬間を、夫とは別の男と過ごしている翻訳者の由依。
恋人の夫の存在を意識しながら、彼女と会い続けているシェフの瑛人。
浮気で帰らない夫に、文句ばかりの母親に、反抗的な息子に、限界まで苛立っているパティシエの英美。
妻に強く惹かれながら、何をしたら彼女が幸せになるのかずっと分からない作家の桂……。
「私はモラルから引き起こされる愛情なんて欲しくない」
「男はじたばた浮気するけど、女は息するように浮気するだろ」
「誰かに猛烈に愛されたい。殺されるくらい愛されたい」
ままならない結婚生活に救いを求めてもがく男女を、圧倒的な熱量で描き切る。
芥川賞から15年。金原ひとみの新たなる代表作、誕生。
【著者プロフィール】
金原ひとみ(かねはら・ひとみ)
1983年東京生まれ。
2003年『蛇にピアス』で第27回すばる文学賞を受賞。
04年、同作で第130回芥川賞を受賞。
ベストセラーとなり、各国で翻訳出版されている。
10年『TRIP TRAP』で第27回織田作之助賞を受賞。
12年、パリへ移住。
同年『マザーズ』で第22回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。
18年、帰国。
感想・レビュー・書評
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繊細で壊れそうな感情が、綺麗に描写されていて好きです。
「確かなものに触れたかった。」
「人はどうしてこんなに不確実性の塊なんだろう。確かなものが欲しくて言葉や温もりや思考を積み重ねても一瞬で爆発して放射線状に散り散りになってしまう。だから私は信じられない。自分も人も人生も記憶も明日も今日もこれから起こることも。何一つ信じられないそして今に縋る。彼の背中に立てた爪は祈りのようだった。」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
金原ひとみさんは初読でしたが、今後別の作品読んでみたい!と思わせてくれる作品でした。女性の内面のおどろおどろしさをこれでもかというくらい、吐き出してくれて、個人的には英美パートにぐっと入り込んでしまいました。また、食材や料理に対する作者の知識量は感服。若干の、ハイソ感とリアリティを感じさせる現実が不倫の持つ日常と非日常を見事に描き出している。登場人物の女性のビッチなモノローグを見ていると末恐ろしくなるが、人間の内面を文字にすると、これくらい普通なのか?とも思ってしまう。笑
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金原ひとみは全巻初版を持っているオタクですが、今回は抜群に面白かった。愛を求めたり、与えたり、拒絶されたり成長したり拗れてしまったり様々な人達の群像劇。最初オチの一つに「またこのネタか…」と思ったけれども、最後の2ページで一気に話がひっくり返され、その鮮やかな話運びに感動してしまった。オチだけでなく、一つ一つの章がそれぞれ物語として確立していただけあってその絡みようがまた見事。本当に面白かった!
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「結婚」
それは守られた城なのか、囲われた檻なのかー。
世間一般的に結婚=祝福であり、誰も眉をひそめて「これから大変だね、せいぜい頑張って」とは大抵言わないはずだ。
とはいえ「結婚は人生の墓場である」なんて言葉は誰だって一度は耳にしたことがあるだろうし、既婚者の愚痴は日頃からよく聞く話、芸能人の不倫だ離婚だとスキャンダルが後を絶たないのが人の世だ。
どんな理想を描き、実際どんな結婚生活を送っているかは人それぞれ。理想と現実のあいだで、心穏やかに暮らしている人はどれほどいるのだろう。
「アタラクシア」というのは、ギリシャの哲学用語で心の平静という意味。本作の登場人物は皆アタラクシアを求め、承認欲求や存在意義、つまりは生きていく意味を求めてもがき足掻いている。
結婚生活で満たされず平静を保てない時、人は、新たな居場所を見い出し逃げ場にするのかもしれない。
シーソーの片側がどこまでも落ちていくのを感じた時、もう片側に乗り上げるように逃げる。
どちら側にも傾き過ぎてはダメ。
アンバランスでとるバランス。
砂上のような地で砂漏に埋もれないように、逃げ惑って這い上がって息をするような人たち。
誰もが孤独にまみれて「理解されたい」「愛されたい」と欲求にもがき交錯し、結婚相手への期待や要求は一心に過度なものとなっているのかもしれない。
いくら生涯を共にしようと決めた相手だろうと、互いが互いの全てを理解し満たすことは不可能だ。
ましてや、その相手本人が原因でえぐられた傷や、ぽっかりと空いた穴であるのならば尚更のことだ。
たとえ理解しあえない状況下でも、暴力を振るわれようがモラハラを受けようが、結婚相手以外に手を差し伸べては、それは「不貞」なのだ。それが結婚制度。
そのような括られた結婚制度の中、自分の置かれた環境で、自分がどう在るべきか。
肯定するわけにはいかない「不倫」が、平静も不安定も、良くも悪くもある意味では影響を及ぼしている様を、圧倒的な筆致で見せられたような気がした。 -
書かれているすべてに共感した。読みながらあまりの共感に震えた。金原ひとみ、もっと言ってくれ!と思った。
人間の歪み切ってぐちゃぐちゃになった感情の海に沈むあてのない叫びを、底の底まで執拗にさらったような恐ろしい小説だ。
クラウドガールを読んだときにもほとんど同じ感動を覚えたが、それを遥かに上まわる精度で言葉が尽くされていた。全身で読んだ。
★5つじゃ到底足りない。
〈真奈美〉
だって、好きか嫌いかだけを基準に生きていたら、どんな我慢や忍耐もできなくなり、好きなものだけを食べ好きな仕事だけをして好きな人とだけ付き合って、ただひたすらに快楽や悦楽に溺れてしまうじゃないか。人生には忍耐や我慢が必要で、人のために自分の感情を殺したり我慢したりすることも必要だ、そういう認識で生きている自分は間違っているのだろうか。そんなはずはない。それは必ず、人間として生きる上で、自覚的に生きる上で必要な認識だ。
「愛してるよ。大丈夫」
私のこの大丈夫は、何にかかっているのだろう。私は不倫しているけれど私たちは大丈夫、あなたの音楽はもう人々を夢中にさせないけどあなたは大丈夫、あなたは嫌なことがあるとすぐに酒に逃げて暴れたりもするけれどこの家庭は大丈夫。どれを取っても、こんなに無責任な大丈夫はない。私は大丈夫ではない。俊輔も絢斗も、この家庭も、大丈夫ではない。逃げ場のない今、本当に居たいのは荒木の腕の中だった。大丈夫でも大丈夫じゃなくてもどうでもいい、どうにでもなれ、そう思えるのは荒木の腕の中しかないのだ。今すぐこの家から逃げ出したかった。
結局恋愛というのは、どこかが痛い時に治療が必要だと医者や薬に頼る対症療法と同じで、寂しい時愛されたい時に同じ思いを抱えた誰かに手を伸ばし満たし合う行為で、その満たされた感覚が愛されている、相手を満たす行為が愛しているという幻想にすり替わっているだけなのではないだろうか。だとしたらその寂しさと愛されたさをぶつける相手を、私は二人同時に失うわけで、それは普通にとてつもなく辛いことだと分かる。塗り薬も飲み薬も頓服薬だって欲しいのに、薬も処方箋も全てこの手で捨てるのだ。
〈枝里〉
どうして私はこんな出がらしみたいになってしまったエイヒレをもう一度もう一度と求めてしまうのだろう。ヒロムにあの時と同じ言葉を言われたとしても、もうそれをあの頃のように無邪気に信じることなどできないのに、枝里は俺の、俺は枝里の、ともう一度でいいから嘘でいいから言ってもらいたいと願ってしまうのだろう。言葉を信用できない人を好きになるのは地獄だ。信用できないのに好きでい続けられる才能を持った私は、きっと永遠に地獄の住人だ。
〈英美〉
どばどばと血が流れ出る様子は、何か自分が工場にある一つの道具になったような気持ちにさせる。感情が抜け落ち、ただ生理的に機能している肉体になるということは、道具になることと等しい。若い頃は感情だけを感じていた。体内の卵子が毎月一つずつ流れていく感覚など、全く感知できなかった。でも今は逆だ。感情は麻痺し、ただその機能としての肉体感覚だけがある。今の私は排卵痛も分かるし、生理が一週間後に迫っているサインである腰の鈍痛と胸の張りも分かるし、こうして生理がくる予兆を数時間から半日前に感じ取る。私は人としての機能を、役割を少しずつ終えていっているのだと、今はどこかで安堵すらしている。
〈由依〉
「結局モラルを人の心の中に求めるのは不可能だから、モラルを外部化しようって流れの方が主流だと思うよ。人の外にあるルールとして、例えば監視カメラが記録してる、SNSもネットも監視されてる、そういう形で人の生きやすい世界の秩序を管理する世の中になってきてるんだよ。私は世の中なんてそれでいいと思ってる。他人に対する優しい気持ちも大切にしたいって気持ちも、モラルからじゃなくて抗えない感情から生じるものであって欲しい、私はモラルから引き起こされる愛情なんて欲しくない。この人を愛するべきだ、なんて思われて愛されるのは嫌だし、モラル的にこの人を傷つけるべきじゃないと思われて、心は離れてるのに一緒に居られるのも嫌。真奈美だって、いくらモラル的にこの人を裏切りたくない傷つけたくないって思っても、結局感情に流されて不倫を始めたんでしょ?」
結局人生はこうした瞬間、事実の連続に過ぎない。それは連なりではなく、それぞれが独立した事実であって、過去から未来に向かって連なる自分自身があるのではなく、すべての瞬間が写真のように、いやX線写真のように、無機質に無秩序に山積しているだけなのではないだろうか。私はそれぞれ思い出される瞬間と瞬間の間に、何かしらの連続性を見出すことができない。こうだからこうなったと説明することができない。一足す一は二、のような法則を見出すことができない。なんて不安定で、なんて不愉快な事実なんだろう。昨日の自分と今日の自分に、連続性を見出せないということは。
人はどうしてこんな不確実性の塊なんだろう。確かなものが欲しくて言葉や温もりや思考を積み重ねても一瞬で爆発して放射線状に散り散りになってしまう。だから私は信じられない。自分も人も人生も記憶も明日も今日これから起こることも。何一つ信じられないそして今に縋る。彼の背中に立てた爪は祈りのようだった。カットソーの裾から手を入れたくし上げながら胸、背中、首筋に触れる彼の手は救いのようだった。
「ずっとこうしてたい」
私の言葉は嘆きのようだった。
〈桂〉
「人ってさ、常に因果関係に縛られた必然性の世界の中に生きてると思ってるでしょ? でもさ、実際には必然性っていうのはルールでしかなくて、人間はその必然性の外側にいた、そのルールをどんどん変化させていく存在なんだよ。必然性で固められた世界に、偶然性をもたらす存在ってこと。」
「いや、由依は俺にとって象徴なんだよ。これは神格化じゃないよ。由依はドーナツの穴なんだ。ずっと考えてきたことだよ。由依には実体がない。俺はその輪郭を、ドーナツをなぞることで掴もうとしているドーナツ愛好家でしかない。これは本当のことなんだけどね、俺がドーナツを食べたら、君はいなくなる。でも君は最初からいなくもある。つまり君は不在の象徴で、だからこの世に存在する不在は俺にとっては全て由依なんだ」
「私が象徴なら、私の実体なんて別にいらないんじゃない?」
「実体のある不在だから、由依は象徴になり得るんだよ。由依がいなかったら、存在と不在っていう概念が消える。存在も不在も存在しない荒野に投げ込まれるんだ。由依がいなければ俺は何が存在していて何が存在していないのか、自分さえ存在しているのかしていないのか全く分からなくなってしまうってことだよ」 -
「蛇にピアス」以来2冊目の金原ひとみさん。
中野信子さんと三浦瑠麗さんの対談で取り上げられていたので読んだ。男と女のすごく苦しい物語。やっぱり女の方に共感する部分が多かったものの、理解不能な部分も多かった。 -
途中でやめたので評価しません。
由依のカッコいい女感が、好みではなかった。
なんだろむしろ安っぽいというか…
不倫してるだけやんけ。
恋人や夫婦の会話も実際こんな会話してたら、一緒に居てつまんないだろーなーと感じてしまい、合わなかった。
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作者による、「私の言いたいことわからない奴は容赦無く置いていくぞ!」感がすごい。笑
この本の女性たちは男に利用されるばかりでなく
自分も男を利用しています。
自分の寂しさの穴埋め、パパ活、語学、晩婚…
そこに彼女たちの生き抜く力を感じました。
だから苦しいだけにならず読み進めることができました。
要所要所で男性への罵りも見られるのが、
これ金原さんの日頃の思いなんだろうなって。笑
金原さんの感情が投影されてるなと体温を感じます。
特に印象的なのは「人の気持ちが分かる男というのは、自信のない男かブサイクだけだと思っていたけれど、〜」のところです。
内容としては予想していたよりは読みやすかったです。
金原ひとみさんは私の中で「ぶっ飛んでる」という印象が強いので怯えていましたが。笑
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登場人物それぞれの気持ちや言動は、ちょっとずつ共感できるけど、ちょっとずつ理解できない(理解したくない)。そのちょっとずつの割合が、読む人によって異なるのだろう。「アタラクシア」は「心の平穏」の意味だそう。アタラクシアを求めて、でも近づけなくて、彼らはこの後どこへ向かうのだろう。