人間のしわざ

著者 :
  • 集英社
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087716016

作品紹介・あらすじ

男は元戦場カメラマン。逢瀬の夜、女に語り始めたのは、長崎の町で掘り出した喉仏の骨、黒こげの殉教者の記憶、30年前の雪の日の爆心地での教皇の祈りだった…。戦後70年、紛争の世紀に切り込む衝撃作。

感想・レビュー・書評

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  • 2015.7記。

    むごたらしい殺戮の現場を撮りつづける戦場カメラマン、息子はその写真をネットで売りさばき、原発へのテロを夢見ながら引きこもっている。
    広島で教皇が演説した時にいったという「戦争は人間のしわざです」という言葉は、原爆さえ神の御心による試練だと信じようとしていた長崎出身の主人公に動揺をもたらす。

    主人公がみる幻覚の形で描かれる江戸期のキリシタン弾圧のすさまじさ、島原の乱における籠城戦の悲惨さ(これはバルガス・リョサの「世界終末戦争」を彷彿とさせる)。
    そして息子とともに撮影に赴いたぬかるんだ干潟に溢れる生命。

    表面的なところでいうと、意外と文体に村上龍との共通点がある気がした。すなわち、グロテスクを正面から強調する表現、句点ではなく読点でつなぎながら延々と長い一文。

    「干潟に流れ着いた兵士たちのうつぶせの死骸もだんだんと崩れてしまい、シオマネキが毛の生えた耳をつついて、流れていく皮膚や体液をバクテリアはさらにこまかく崩してしまい、シャミセンガイやふしぎなかたちの二枚貝も融けた肉をすすり、ひとつの死とひきかえに微細な数億、数十億、数え切れないいのちが沸騰してきて、あれらが氾濫して、それは潟のなかの兵士の亡骸だけのことでなく、世界中でぼくが見つめてきた兵士たち―――すかっとした青空のもとにある後頭部が吹き飛んだ兵士の死体だけでなく、砂漠や、廃墟にいる彼らの身の上にも起きていたことで、あれは自然のしわざで、神のみわざであろうはずがない。」(P.163)

    上手な朗読とかで聴いたらすごく感動するのではなかろうか。私としては、小説というよりは詩に近い感覚で読み終えた。

  • 戦争でどんな地獄絵図になろうとも、神様は助けてはくれない。何故なら戦争は“人間のしわざ”だから。

  • 『戦争は人間のしわざであり、誰も望まなくてと人間は秩序を求めるのと同じくらいに混沌を求めており、なにもしなくてもアンテナは錆びついていき、コンクリートは剥がれ落ちはじめ、土台の鉄骨でさえだんだんと傾いて、いつかは壮麗な天主堂の崩壊のときは必ずくるだろう…』ー『人間のしわざ』

    青来有一が書くことの根源には長崎という土地に幾重にも堆積した命と信仰するものへの揺れる気持ちがあるとは感じていたが、ここまで率直に語られるとは思わなかった。例えば「てれんぱれん」とこの「人間のしわざ」はほとんど同じことを書いているようにも思えるが、神のみわざを遥かに上回るかのような人の生み出す力、そしてその力が犯してしまうもの、そんなことを青来有一は書き続けていると思う。

    自分は信仰を持たないモノ故、分かるとは到底言えないが、信仰心は時に神の不在によって掻き乱されるのだろう。何故この苦しい時に神は奇跡を起こして我らを救済してくれないのか。一方で、神は惜しみ無く与えもするが奪いもする。最初の殉教者であるステファノ以来、その人の死が信仰心の証しであると解釈され、苦しみに耐えることが信仰心を試されているのだと受け入れなければならないことまで、信仰の条件とされてしまうことに戸惑いもあるのだろう。始まりであり終わりでもある万能の神は何故人の信仰心を試す必要があるのだろう。そんな小さな躓きが信仰心を支えていた小さな小石の一つを動かしてしまう。そして人間のしわざは、想像を遥かに越えて残忍な結果をもたらす。それが本当に必要な死であったと誰が言えるのか。そこに作家の思いは常にあるのだろう。

    信仰のもたらすものが地の平和であり心の平穏であるなら、この地で起きていることはどう解釈したらよいのだろう。心の平穏だけを大切にするのなら隠遁し、世の中の出来事から自分自身を隔離して、心の中の泉の水面に小波を立てさせないという選択肢もある。過去の歴史や遺跡を見れば、そのようにして篤い信仰心を保った集団もいたことは明らかだ。しかし、そこにあるのは矯正され矮小化された人間の姿であることも事実ではないのか、と青来有一は綴っているように思う。

    ヨハネ・パウロ二世の長崎での殉教者記念ミサの言葉を巡り、信仰心を持つものの心の内を赤裸々に描いて見せた後半の「神のみわざ」は、遠藤周作の「沈黙」と同じくらい信仰心を持たぬモノにも信仰に内在する葛藤を描いた秀作であるようにも思うが、それはやはり前半のどこまでも一般人の視点による主人公の描写があってのことなのだろう。雷雨のエピローグが何も示唆しないことに好感を覚える。

  • 正直、消化不良。近いうちにもう一度読み返したい。

  • 「人間のしわざ」と「神のみわざ」という2編から成るが、両者は内容的に連続している。個人的には、混沌とした前者よりも、主人公あるいは作者の思索や主張がより明快な後者の方が好みだが、前者を読まなければ後者は理解できず、要するに2編で1編なのだろう。
    30年前の学生時代に分かれた男女の邂逅から話は始まるが、結局、男女がどうしたということではなく、戦場カメラマンという道を歩んだ男の思索が主題となる。惨たらしい戦場、被爆地であるとともにキリシタン殉教の地である長崎、長崎を訪問したローマ法皇ヨハネ=パウロ2世、ゴルバチョフ、ワレサ議長といった一見脈絡のない場所と人が、自然、神、人間というキーワードの中でつながっていくのは中々見事。いわゆる純文学であり、読んで面白いという小説ではないが、その割にとっつきやすく、そして内容が深い。
    久し振りに、小説とか文学が持つポテンシャルを感じた。

  • 逢瀬において語られる嫉妬、紛争、殉教そして息子の煩悶。目まぐるしい転換の中で、男の幻想と覚醒の境界は定まらない。ヨハネ・パウロ2世の言葉「戦争は人間のしわざです」っていうのは「神のみわざ」ではない、すなわち責任はすべて人間にあって神は関せずという「神擁護」なんだろうか。ともかく、作為的な叙情描写を連ねる純文学もどきとは素直に向き合えない

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