新しい須賀敦子

制作 : 湯川 豊 
  • 集英社
3.75
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本棚登録 : 109
感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087716320

作品紹介・あらすじ

没後17年を過ぎてもなお、多くの読者を魅了し続ける須賀敦子氏の文学。類まれな知性のうつくしさともいうべきその魅力を読み解く。江國香織、松家仁之、湯川豊の三氏の対談、講演、評論を収録。

感想・レビュー・書評

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  • 一昨年秋に神奈川近代文学館で「須賀敦子の世界展」が開催されましたが、私は終わってから知って、とても残念な思いをしました。
    この文学展に付随するようなかたちで対談や講演がホールで行われ、その記録を加筆修正、さらにすばるでの対談および新稿を加えたのが、この本です。

    すべて興味深く読んだのですが、今回とても面白かったのは須賀さんが活躍された当時新潮社で編集者だった松家仁之さんのお話。
    私が須賀さんの本を読み始めたのは4年前なんですが、その14年前に彼女は亡くなっていて、「ミラノ霧の風景」が刊行された、それよりさらに7年前の彼女を私が知るはずもありません。

    当時の様子を、編集者8年目の目線から松家さんが語ってくださった、それがまず面白かったです。
    そしていままで見たことなかった、須賀敦子さんが友人にあてた手紙の内容を引用して解説してくださいます。
    今の自分の心にのこったいくつかをメモ。

    あるアメリカの建築家についてイタリアの評論家が書いたものを訳す仕事をした須賀さん。彼女は建築についても詳しいのです。
    「こんなものをする気はないけれどたのまれたので仕方なくやってしまった。
    ずいぶんあたりまえのことを言うのに難しい言い方をする人がいるのだなァ、これはやっぱりデカダンスではないかと言う気がしました。古典の簡潔さを求めること、簡潔な文章を書くことの勇気を持ちつづけたいと思いました。」

    1977年頃の手紙。SPAZIOで「イタリアの詩人たち」の連載を始めた頃。エマウスをやめた二年後です。
    「もう私の恋は終わりました。その人をみてもなんでもなくなってしまった。これでイチ上り。一寸淋しいきもちだけど、しずかで明るいかんじも戻ってきました。今はふうふう言って本読んだりしています。」
    須賀さんが恋をしていたなんて、知らなかった。亡くなったペッピーノ一筋だったのだと思っていました。そしてそのあと頑張って本を読んでいる。私もいろいろ心が苦しい時あれこれ一人で考えるよりやっぱり本を読もうって改めて思いました。

    続いて湯川豊さんの「新しい須賀敦子」五つの素描から。
    「まがり角の本」の冒頭で、須賀さんは書く。少女時代に読んだ『ケティー物語』がそれです。
    《自分をとりかこむ現実に自信がない分だけ、彼女は本にのめりこむ。その子のなかには、本の世界が夏空の雲のように幾層にも重なって湧きあがり、その子自身がほとんど本になってしまう。》
    以下湯川氏。「とりかこむ現実に自信がないのは、本を読む読まないとはかかわりなく、『若さ』につきまとうことである。『その子自身がほとんど本になってしまう』ことで、現実に向かいあって生きる力が生まれる。それが本を読む少女がもっていた才能だった。」

    彼女はエマウスの活動(廃品回収ボランティア)を4年ちかく頑張ったあと、責任者を退く。
    それは、狂おしいといっていいほどの速度と体力を必要とした仕事だった。いまになって思えば、数多い自分の試行錯誤のひとつにすぎなかったのではあるが。とにかく全力を注ぐ対象ではあった。そして次のように言葉をつづける。
    《…あの精力と、当時、じぶんが愛情と信じていたものとを文章を書くことに用いていたら。そう考えることが、稀ではあっても、たしかにある。時間が満ちていなかった。いや裸なじぶんに向かいあうのを、避けていたのかもしれない。》
    彼女もずっと悩みながら、でもその地位にいるあいだは頑張って活動していたのだと思ったのです。

    今、この本を読むことができて、良かった。

  • 確かに、何度も読みたくなる文章というのはあんまりないし、それが ”いい文章” ということだと思う。

    須賀敦子の文章は、時々読み返したくなるし、何度でも読みたくなる。

  • 繰り返し,繰り返し,須賀敦子さんの文章の魅力を解き明かす。でも全部がわかるわけでもない。「古いハスのタネ」というエッセイ,私は読んだ時によく意味が読み取れなくて,どう読んだものかと思っていたのですが,この本でも難しい,と評されていてちょっとホッとした。宗教的なバックグラウンドや想いはやはり,ちょっとやそっとではわからない。でも,この本を読んであらためて,須賀さんの文章の魅力が言語化されて,自分でも少しすっきりした。事実を書いていると思われているエッセイに宿る,小説性,物語性とそこから感じられる,登場人物への共感(もしくは投影)と。
    いつも,須賀さんの文章を読むと,映画のようにすっとその人物の話に入り込めるので,なぜだろうと思っていたけれど,人物の「物語」が語られているので,知らない人のことでも読めてしまうんだな,と。あとはその独特の文体について。須賀敦子さんの文章は,読むこと自体が心地よい。そう感じる理由につて,色々書かれていた。
    うまく言えないけど,須賀敦子さんの文章の魅力を感じることができる自分を,少し誇らしく思った。

  • 須賀さんの魅力がぎっしり詰まった本書は、2014年に神奈川近代文学館で開催された
    「須賀敦子の世界展」に付随するかたちで行なわれた対談や講演を軸にまとめられたもの。
    文章を書くためには「ある種の力が湧いてくるまで」ひとりで考えること。それがはやくから分かっていた須賀敦子さんだったからこそ、執筆にとりかかるまでに時間が必要だったのかもしれないけど‥作品を通じてもっともっとお会いしたかったと思う。

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著者プロフィール

1964年、東京都生まれ。1987年「草之丞の話」で毎日新聞主催「小さな童話」大賞を受賞。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2010年「真昼なのに昏い部屋」で中央公論文芸賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、2015年に「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」で谷崎潤一郎賞を受賞。

「2023年 『去年の雪』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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