- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087732627
感想・レビュー・書評
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トマスとサリーのラヴ・ストーリーなら簡単だった。
白と黒。支配と隷属。規律と自由。
相対するものが惹かれあい、内包し、反発し、消滅する。それだけ。
生まれ変わっても惹かれあい、内包し、反発し、消滅する。だけだったかもしれない。
愛しているから全てを支配したい。または全てを委ねたい。
愛しているから全てのことから解放してあげたい。または全てのことから自由でありたい。
しかし、モナが、ウェイドが、エッチャーが、サリーの娘ポリーが、ゲオルギーが、時間も空間もランダムに、現れては消えていき、消えたはずなのに現れる。
アメリカ人作家エリクソン(本人?)すら、登場してはさくっと殺されてしまう。
なに、これ?
誰が、何に、どう係わっているの?
消失したところから始まる存在。
娘より幼い母。
ひと廻りして最初に戻ってしまう話は、けれど同じ最初にはならず、メビウスの輪のようにねじれていく。
これはマジック・リアリズムなの?
それともSF?
科学と詩は隣同士にあると湯川博士が言うのなら、純文学とSFも隣同士にあるのかもしれない。
日本の純文学では見かけない構造だよね。
強いて言うなら古川日出男?←彼が純文学なのかもよくわかりませんが
一ひねりして最初に戻った物語が、もう一度巡ってきたときはひねりが二つになり、さらにもう一度…。
どんどんひねりの間隔が短くなってきたとき、それが消失した一日Xなのか…な。
“時間の虫食い穴の向こう側に何が現れるか。それは科学の領分であるのと同じ程度に、想像力の領分でもある。”
Xの彼方に救済はあったのか?
空漠の中にも、救済はきっとあったと信じたいのだけれど。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
サリーという女性を巡る、摩訶不思議なおはなし。
突然のタイムスリップに戸惑ってはいるが、
エリクソンの力技は素晴らしい。
1文は短いのに、描写が素晴らしく良い。
言葉でビジュアルを想像させる作家さんです -
「リープ・イヤー」と同じく、出直してまいります。