圏外へ

著者 :
  • 小学館
3.41
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本棚登録 : 359
感想 : 42
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  • Amazon.co.jp ・本 (514ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093862547

感想・レビュー・書評

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  • ストーリーはいまいち説明できないが、彼の書く文章は文章というよりも「詩」であり、その言葉の使いかたの美しさと迫力といったら、ためいきものである。

  • ん~・・・・今まで読んできた本のなかで一番感想に困るなあ・・・

    ある作家が描いた「南新宿を舞台にした一場面。男女どちらともいえない親子が営む写真店」
    そこに実の娘や盟友、そして預言者ソボフル・・・・

    だめだ。自分でどう書いていいのかさっぱりわからない。
    誰か読んでみてくれませんかねえ・・・そして感想を聞きたい。あらすじ的なものをどう一体表現したらいいものか?

    自分の印象としては「夢」ですかね。まるで夢をみているような唐突さと場面展開。メタっぽいお話がお好きな方は・・・いやそんな結びでいいのかな・・?うーん・・

  • 『円田さんが昔から唱えてきたのは、どんなものにも「役割」と「詩」があるということ』-『まるで向こう側が透けて見えるかのよう』

    なつかしい名前が其処かしこに登場する。ただ単に再び昔の姿を認める、というのではない。最後に見た時から、それなりの年月を重ねてずいぶん容姿も様変わりしている。それなのに感じる「なつかしさ」。それは少し考えてみると実に不思議。例えばそれは幼馴染みに会ったときにも感じる思い。すっかり姿形が変わっても、何十年も月日の隔たりがあったとしても、否定しようもなく沸いてくるこの「なつかしい」という感情は一体どこからくるものなのか。もしかすると、吉田篤弘はその問いに対する一つの答えをこの本の中に示したのかも知れない。

    例えば、伊坂幸太郎や三崎亜記の作品にも以前の作品の登場人物が再び別な角度から描写される形で登場する場合はある。但し、その時に感じるものは「懐かしさ」ではない。もちろん、あっ、と気付いて、にやっ、とするような心理はある。しかしその時に思い描いているのは、どこかしら「閉じた世界」あるいは「凍結した世界」であって、その心理は箱庭を眺めている時の心持にも似ているような気がする。それを嬉しいと思う読者心理もあるけれど、それは吉田篤弘のこの本の中で見知った登場人物を認めた時の気持ちとは随分違うようにも思う。

    これはもっと真面目な「カタリテ」と「登場人物」の間に横たわる深くて暗い河の物語。読み手を嬉しがらせるために、かつての登場人物たちが再び現れたのではない。

    相変わらず吉田篤弘は言葉に対して絶妙な感覚を発揮する。言葉に一つ一つこだわっていちいち脱線してゆくのだが、その列車のポイントの切り替えが何となくアナログ的で、心地よい。知らず知らずに紺の制服制帽の一人の鉄道員が背丈ほどもある鉄のレバーをよいしょとと一方から他方へ倒している姿を連想してしまう。もちろん、列車は読者。鉄道員である作家が動かしているのは鉄のレバーではなく、小さなポイントの文字。繋がっている筈の線路に当たる言葉を一瞬にしてバラバラにし、音を探り漢字の意味を探り、列車が脱線してしまいそうになるまでひやひやさせたかと思うと、一瞬にして元に戻し列車を通す。

    しかし「元に」戻った筈の線路は実のところ元々の線路なのかどうか。カーナビの「再検索」後の青い線が出発点からは切り離されてしまうように、それは確かに目的地に向かう「本線」である筈なのにどこか別の「支線」を走っているかのような錯覚を呼び起こす。その不気味さと小気味よさの混在した感触。

    例えば、本の中の世界と外の世界が繋がってしまう話というのなら、エンデの「はてしない物語」のような本を思い起こしもする。エンデの本にあるような設定はファンタジー作品には決して珍しいものではないと思うけれど、二つの世界は「本」という「どこでもドア」のような扉を通して辛うじて繋がっているのみで、実のところは、きっぱりと分かれている。ナルニアの古い箪笥のケースも同じ。吉田篤弘が描く二つの世界の関係はもっと複雑に絡み合う。それは特別な挑戦のようにも思える。

    生み出した親である作家なしに登場人物は、物語は、存在し続け得るのか。そのことがとても真摯に問われ考察されるために、作家は本の世界に深く潜行する。しかし作家は当然生身の世界に戻って来なければならず、その考察には最初からある種の哀愁がつきまとう。例えばそれは逃がしてしまったセキセインコ。現実の定めは頭の中では理解しつつも、きっとどこかが生き延びてひょっとしたら番いになって雛を孵して、と感情は別の物語を紡ぎ続ける。吉田篤弘はその紡がれた物語の責任を負うことを試みる。しかし、物語は独立だ。現実のインコが、そして作者が居なくなってしまっても、物語は生き延びる。一人称でしか語り得ない筈と思われたことは、語る人を問わず存在し、語り終えた後も消えてなくならない。物語の意味は矮小化されることはない。

    『一人称のことです。貴方は、何故か一人称で語り始めると、必ず、三人称の深い憧憬を持ち始める』-『薄いガラスの被膜に覆われた目玉が』

  • デザインはやっぱりすごく好き。目次や章タイトルのシルエットのイラストとか、すごく好き。
    話というか文体も好きなんだけれど……ごめんなさい。途中でだれました。

  • 小説の中へ外へと漂っていて、視点や居場所がぐるぐるした。

  • 本を書いている人、カタリテが物語に干渉されていき、内側と外側の区別が曖昧になり、場面はあちらこちらに切り替わり、なんだかよくわからなくなる、とても抽象的な物語だった。
    これは、大人にならないと、あるいは詩の精神のことを理解しないと読めない。
    携帯電話を「圏外探知機」として登場させたり、サテ、ということば自体が人物となりカエルの姿を借りてやってきたり、徳という漢字の中になる「十四の心」を持ったコウモリ(傘)が人になって南新宿を飛び回ったり、支離滅裂で、南新宿にも亀裂が生じる。
    言葉の迷路、思考の迷路、その中に迷い込み、出られないし、出たくもないような、そんな気分になる。
    この本は、6日間の旅行にでかけるときに持っていった。旅にとてもぴったりな小説であった。
    吉田氏の小説を読んでいる人とは、みんな詩やジョークでつながっているような気がする。

  •  正直・・・よくわからなかったな。

     先が読めなくて、どうなるかもわからなかったのは、

     筆者自身もそうだったんじゃないかな。

     でもなんか、思いついたことをぽんぽんかかれて、

     それを「こういう話だから」ってまとめられても、

     わたしはもっと筋の通った話が好きだから、

     気持ち悪く感じてしまったな。


     ちょうど、エジンバラ先生の話し方みたいに。

  • 自分でも言葉を紡ぎたくなるような、心地よい文章が並んでいる。少し訳がわからなくて、混乱しているけど。

  • 2010.3
    1ヵ月かけて読了。
    章節ごとのタイトルが素敵で、それだけで吉田篤弘の言葉選びのセンスにはやられた、と思います。
    しかし、なかなか実験的というか、これまで読んだこともないスタイルの小説に四苦八苦しながら読みました。

    今までの吉田(クラフトや音名義も含む)作品を読んでおいた方が楽しめそうなので、それからもう一度じっくり味わいながら読み直そうと思います。

  • コトバが独自の命を持って虚実の境を行き来する。「揉みほぐし」のエジンバラ先生の口上がスゴイ。唯一越えていないと思われた境界を最後にきっちり越えて終わる。力作。

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著者プロフィール

1962年、東京生まれ。小説を執筆しつつ、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作、装丁の仕事を続けている。2001年講談社出版文化賞・ブックデザイン賞受賞。『つむじ風食堂とぼく』『雲と鉛筆』 (いずれもちくまプリマー新書)、『つむじ風食堂の夜』(ちくま文庫)、『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』『モナリザの背中』(中公文庫)など著書多数。

「2022年 『物語のあるところ 月舟町ダイアローグ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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