- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101001197
感想・レビュー・書評
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囲碁史上、類を見ないほどに圧倒的強さを誇った本因坊秀哉名人の引退碁観戦記。代表作とはまた違った面白さがあって力が入った。囲碁に留まらず時代や潮流が大きく変わっていく息吹きが感じられた。諦念とも希望とも違うクールな視点も良い。
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将棋の次は、囲碁の小説です。
本因坊秀哉の引退戦の観戦記がベースとなったストーリーなのですが、これ、実話?っていうくらい、病と対局の中で夢現する名人が、凄まじい。
「こんなにしてまで打たねばならないのか、いったい碁とはなんであろうかと、私は名人がいたましかった」
病のため、お互いの持ち時間を40時間(!?)と設定し、対局日も間を5日あけるという。
いや、私、将棋の2日制でも、よく集中力続くなー、しんどくないのかなー、と思ってたのに。
旅館缶詰めが月単位で続くって……。
碁に無知なのでこの対局について、いろいろネットを漁ってみたのですが、本因坊秀哉は世襲制最後の名人なのですね。
ここから、いわゆるタイトル称号としての名人に変わっていくのだということ。
そして、この対局で相手が封じ手の採用を求めて、その中での黒百二十一の「封じ手」の動揺が生まれたのか……というのも、ちょっと戦慄だな。
「この碁もおしまいです。大竹さんの封じ手で、だめにしちゃった。せっかく描いている絵に、墨を塗ったようなものです」
先に書いたレビューで、盤上から棋風や思想を見いだすことに触れたのだけど、それは邪道と言われてしまった(笑)
では、「碁そのものの三昧境」とは?
羽生先生の言う、行き過ぎてはいけない領域であり、藤井三冠は「無の境地」と記しているっけ。
勝負の決着までにある、深淵。
作品の名人の姿から、その淵を垣間見る思いがする。 -
2019年3月30日、13頁まで読んで返却。
●2022年8月3日、追記。
川端康成さんの著作の文体は、平易で素直で読みやすいようである。
「耳できいて解る文章を書くこと」を主張されていた、とか。 -
実際にあった本因坊秀哉名人の引退碁試合をベースに描かれた小説とのこと。名人の死を微細に描く始まりから、時間を引退碁興業試合時点にまで戻し、その死に至る試合をなぞることで、碁の盤面上の世界を無機質に表現している。
ここで描かれる秀哉名人は、物腰が柔らかい半面、囲碁・将棋・連珠・競馬といった勝負事に狂う餓鬼道一直線の人物である。いにしえの芸道の頂点としての「碁名人」として、そのクライマックスを賭けて戦う姿は、勝負と芸能美が一体となった前近代の達人そのものだ。
これに対する大竹七段は、現代碁の試合を生きる繊細で研究肌の人物として描かれ、名人最後の試合相手として対称となっている。
半年にわたって継がれた一局の対戦を、秀哉名人の前近代名人の発想と死と隣り合わせの病気、そして試合の申し合わせを簡単に反故にすることの憤りから対戦停止を言い張る大竹七段という図式の中で、とにもかくにも進んでいく。
あまり囲碁を知らなくても読めるかなと思ったのですが、終盤は試合内容の細かい描写が続くので、やっぱり囲碁を知っていないと少し苦しかったです。(笑)
死を賭けた無機質な勝負の世界を、人間世界の思わくに彩られながら、筆者自身が仮託した人物の目を通して硬質な文章で描く。ところどころに挿入される色彩感覚も見事です。 -
世襲制最後の本因坊、本因坊秀哉。
本書は秀哉が引退碁の前後と人柄等を
記者の視点から描いてる。
実力制になってから自分の名前一時プラス自分で選んだ雅号を名乗っている。 -
名人と同様、挑戦者の大竹七段もまた、難しい立場で、懊悩しながら碁を打っていたことが印象に残った。
碁界の最上位に位置する名人は、棋士として有終の美を飾らんと、病を押して打ち続ける。文字通り命を削って碁盤に臨む様には頭を垂れずにはいられない。その反面、自身の碁をとりまく周辺環境に関しては自らを中心に廻っていたと言っても過言ではない。対局日や場所等、全てが名人の意向をまず忖度される。些か身勝手と思われる要望も道理を除けて通っていたりと、碁を打つことそのものに対するストレスは殆ど無かっただろう。
一方、大竹七段にしてみれば、真剣勝負の最中にあっても相手の体調への気遣いや配慮の情を持たざるを得ず、やり辛くて仕方なかったであろう。かといって、次代を担う数多くの棋士達の代表としてその場に臨んでいるという義務と自負もあり、浦上記者が言う通り、おいそれと勝負を投げてしまうわけにもいかない。大病ではないものの、常に身体不調を抱えていた七段もまた、極限状況の中で戦っていたといえるのではないだろうか。
それでも、決着に向けて歩みを止めない、止められない両者の姿は、求道者が持つある種の神々しさすら感じさせる。碁に命数を捧げ、碁を取り巻く係累から脱けられなくとも、一意に前へ進まんとするそのストイックさには只々敬服するばかり。 -
死の近い名人の引退碁を観戦記者として見つめる。著者曰く「碁は素人」だから、視線を棋士に注ぐというが、勝負の趨勢は疎かにされていないし、両対局者の描写と著者の所感は、客観的で抑制が効いている。半年間というゆったりとした対局の中、淡々と記述は進むが、終わり近く、「降りる」という挑戦者を著者が留める場面、そして敗着となった名人の一手、そこにまつわる考察は、クライマックスを劇的にしている。一人の名人を描いた事でこれは文学作品なのかもしれないが、囲碁を全く知らない人にも、そこで何が起きているのか直ぐに腑に落ちるほど文章が明解で、かつ観戦記に留まらない叙述性がある。川端康成を読みたい人は、有名な「雪国」等より、この作品から入るのも良いと思う。
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碁打ちでなくとも楽しめる、ヒカルの碁のような作品。
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ひりつくような美学尊厳
囲碁のルールも
当時の社会情勢も
知識ゼロの私でも
「読ませる」事の
出来る筆力...!
さすがだなぁ -
碁がわからないなりに読んでみたけど、
名人に対する尊敬の念が溢れている書き方だった。
私の祖父も囲碁が強かったけど
教えてもらえずに亡くなってしまって
祖父を思い出しながら読んだ。