- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101014036
作品紹介・あらすじ
江戸文学のなごりから離れてようやく新文学創造の機運が高まりはじめた明治二十年に発表されたこの四迷の処女作は、新鮮な言文一致の文章によって当時の人々を驚嘆させた。秀才ではあるが世故にうとい青年官吏内海文三の内面の苦悩を精密に描写して、わが国の知識階級をはじめて人間として造形した『浮雲』は、当時の文壇をはるかに越え、日本近代小説の先駆とされる作品である。
感想・レビュー・書評
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小説神髄の理論を支える作品。
「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」の実践。冒頭の髭の描写など、遊び心がある。
おもしろかったのは文三が恋するお勢の母、お政が文三をまくし立てるシーン。
文全体を貫く落語的テンポとあいまって飛ぶように読める。人情的庶民(お政)と論理的知識人(文三)の対立を見ることができ、ぼろ負けしている文三が笑える。声を出して笑ってしまった。
二葉亭四迷は新時代を迎えた世の中の「人間」を自分も含めて信じていなかった。夏目漱石と同様の問題意識がある。
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関川夏生原作、谷口ジロー作画の「坊ちゃんの時代」の二葉亭四迷、長谷川辰之助の眠るような死の場面。あの船上のシーンを読んで以来、四迷を読もうと思っていた。谷口ジローさんのカバーの本書を店頭で見つける。
達者だなあ、という印象は巻頭から最後まで。言文一致の初めと云われるが、むしろ戯作調だと思う。意外なくらいスラスラ読める。調子の良さにホント感嘆する。多少、不明な言い回しもあり、巻末の注のお世話になるが。
でも、読んだなと思っても、意外にページが進んでいない。文章の濃さと昔の言葉遣いに手間取ったのかな。
失職した若手官吏、内海文三が主人公。作家の分身と解説にあるが、作家は冷たく突き放しているように思う。大体、お勢ちゃんにチャンとプロポーズしていないよね。それで裏切ったのなんだの言うのは筋違いじゃないかな。まあ、彼女も昇ごとき助平にふらふらするのは底が浅いとは思うけど。
未完といわれるが、これで充分完結していると思う。
しかし、これほどの作家が文学に執着しなかったんだなと思うとなんだかねえ。
前に読んだ吉本隆明はロシア文学の影響で文学を否定していた。だから、現在も人気がないと解説していた。そうなんだろうね。複雑な人だったんだな。
「其面影」「平凡」もいつか読もなければ。 -
本作で二葉亭四迷が試みた、言文一致と言われる大胆な文章改革は、明治文学史上初のことであり、当時の画期的事件だったという。
言文一致と聞いて、話し言葉で書かれた小説かと思っていたが、作者の二葉亭四迷によれば「普通の話し言葉ではなく、感情をこめて、一つのリズムをもってトントンと運んで行くように特に作られた文体」だという。
近代文学を読み慣れていない私は、本書を手に取ったときに大量の注釈をみて躊躇し、読み始めてからも硬い表現や知らない言葉に困惑した。
少し諦めて、英語の多読をしている気持ちで読み進めていくうちに、いつの間にか、リズミカルな文章に心地よさを感じながら、明治時代を生きる人々の生活や文明開花の影響を色濃く受けた思想に惹きつけられた。
また、真面目で高潔な人物が世渡り上手な人物に敗北する現実、恋が人を盲目にしてしまい哲学を失うことは、現代でも共通することで、それに対する二葉亭四迷のキレのある皮肉、人間を鋭く洞察した文章は面白かった。
現代では使われない言葉、西洋語を日本語として定着させようとした工夫も沢山あり、言葉って人間と共に生きていて、変化し続けているんだなあと、今使っている言葉にも愛着が湧いてくる。
近代文学に興味を持ったので他の作品にも挑戦してみたい。 -
二葉亭四迷は言文一致を心がけたという。これが本当なら、言葉は変わっていくものだと実感せざるを得ない。わたしの使う日本語と異なるから、ゆっくり、しっかり読む。 また、会話であって会話でない文が多い。相手の返答の書かれていない、一方の発語描写のみで成り立っている会話表現。相手の言葉は読者の想像に委ねられる。 情景描写は少ない。舞台設定も詳しくは書かれていないし、風景に心情を映す描写もない。 うーん、面白い。これがくたばってしまえと言われた男の書く小説か。
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「くたばつてしめへ」こと二葉亭四迷は今年が生誕150年であります。たぶん。
彼の出世作『浮雲』は、明治も20年を経過した時分に登場し、当時の読書子を感嘆させたといはれてゐます。
周知のやうに、言文一致で書かれた最初の小説といふことで、一大センセエションを巻き起こした作品。今では当り前すぎることですが、何でも最初にやつた人は苦心するものです。
江戸文学の戯作調を残しながら、日本現代文学の嚆矢となつた『浮雲』。文体のみならず、近代人の苦悩を描いて余すところがありませぬ。後半になるに従ひ戯作調は影を潜め、それまでの国産文学に馴染の薄かつた心理小説としての面が強くなります。無論現在から見るとそのぎこちなさは否めませんがね。
主人公の内海文三くんは役所から暇を出された若者。免職ですな。どうやら組織の中で働くには向いてない男のやうです。一方友人の本田昇くんは、意に沿はぬことがあつても上司のご機嫌を窺ふことが出来る、そつのない人間であります。
内海くんは止宿先の娘さん「お勢」に気がありますが、はつきり言へません。彼女のフルネームはどうやら「園田勢子」といふらしい。
内海くんは自らの狷介さもあつて、お勢との仲がまづくなります。それどころか彼女は本田くんに心を寄せてゐるやうに見える。内海くんは懊悩するのであります。傍で見てゐると、まことに面倒臭い男と申せませう。
ラストに於いては、明るい兆しを感じさせて幕となりますが、この後事態は好転するかの保証はないのであります。(未完といふ説もあり。)さういふ面に関しても、従来の小説(物語)とは一線を画してゐますよ。要するに、何から何まで斬新な作品であつた。
文庫版では「現代かなづかい」に改められてゐることも手伝ひ、案外現代人にも読みやすいと思ひます。少なくとも「読書好き」を自任する貴方なら、すらすら読める筈であります。
さあ、本屋へ行き(ネット書店でも好いけど)本書を入手しませう。
では、さらば。
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-181.html -
言文一致の文体で書かれた作品。
それでも最初は難しく感じましたが、慣れてくると引き込まれました。言葉のリズムも良くて面白いです。
未完とのことで、良いところで終わってしまいます。続きが読みたかった。
大人になった今これを読むと、文三もお勢もまだまだ若くて、若いが故に浅はか。
叔母がうるさくいう気持ちも、少しだけわかりました。
もし、学生時代にこれを読んでいたら、文三やお勢に対して感情移入していたかもしれません。 -
家に転がっていた新潮社版日本文学全集第1巻(1974年第4刷)所収で再読
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授業で取り扱ったので読んだ
久々に本を読んだので冒頭かなり読みづらくて何度もめげかけたけど読み切れて嬉しい
落語を見ているみたい リズムが小気味良い
描写する全てを馬鹿にしている 馬鹿にしてないのは風景ぐらい
笑われる文三、笑うお勢、政、昇、鍋
だが傍から見れば彼らだって十分可笑しい
みんな真剣に生きているのに滑稽に映るおかしみ
人って愚かだけど、そこがなんだか愛おしい -
二葉亭四迷 「 浮雲 」 表紙 谷口ジロー
プライドが高くて、恋も仕事も 不器用な主人公 文三を 世渡り上手の本田と対照的に描いた人間小説。途中までは恋愛小説っぽかったが、著者は 恋の行方ではなく、文三という人間を 描きたかったのだと思う。読みにくいが 綺麗な日本語
「浮世の塩を踏まぬ(世間の苦労を知らない)」という言葉が印象に残った
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非常に軽い感じにさらさら読める.当時としては非常に新しいスタイルだったのであろう.
主人公の文三さんにはいろいろ同情するところあり.古い人たちとの衝突は,いつの時代も同じなのか. -
四迷は、評論「小説総論」を著して、現実をそのまま写し取るのではなく、現実の奥に潜む本質を説いた後、言文一致の文体で書かれた「浮雲」を発表。内容も文体も新しい近代小説の先駆的作品となる。「浮雲」は未完のままに終わるが、第三篇の末尾には「終」と明記されている。それでも未完とされるのは続編の構想と思われる作品メモが発見されたからであり、二葉亭の意思として未完であったかどうかはわからない。本田がお勢を弄んで捨て、文三は失望と身辺の不幸が重なって身を持ち崩し、精神的に追い詰められていく予定だったという。
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近代文学始まりの作品。
旧思想と新思想の合間の日本人を描いた文学。
江戸文学から離れて新文学が出始めたころ、明治二十年に発表された、言文一致によって書かれた二葉亭四迷の処女作。
内海文三の内面の苦悩を描写したこの作品は、日本の近代小説の先駆とされます。
この時代にこの描写、この内容、本当に驚きです。
巻末には用語や時代背景などについての詳細な注解がついています。
これを見ても、言文一致とはいえ、まだまだ知らない言葉が沢山あるなと思います。 -
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/683367 -
情景、人物の姿、そして何よりも心理の描写が精緻で引き込まれる。何度か使われているリズム感のある叙述は軽妙。序盤は恋に落ちた主人公の心理や言動に共感でき、読みながらにやついてしまうほど。しかし、そこから徐々に主な登場人物たちの心は壊れ、言動も常軌を逸していく。状況は緊張感を増しながらエスカレートしてゆく。何の変哲も無い設定なのに、描写の力で最後まで引っ張りきられてしまった。この作品は日本文学史上の最初の言文一致の小説で無かったとしても、傑作であると思う。今まで、読んでいなかった自分を愚かだとさえ思う。
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わたしにはまだはやい
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言文一致との事で興味本位に手を出したが、辛い読書になった。
書き手もさぞ大変だったろう。
話し自体は、興味をそそるものではなかった。
やはり、心描写を追えなかったからだろう。 -
聞き慣れぬ言葉の多さに戸惑う、もう一度腰を据えて読みたい
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自分で悪い方に考えがちだけど、他人の考えていることは分からない。分からないことを考えて負のループに陥ってしまうけど、話したら一発解決ってこともあるよね。
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日本文学史上、必ず名の上がるこの本。やっと読めた。現代仮名遣いで読みやすい。明治時代の文体の試み、文化としても興味深いし、読み物としても面白い。ただ、未完なのが物足りない。本当に、意味深なところで終わって、なんで最後まで書いてくれなかったのだ、、、
文章は、明治時代の言い回し、当時の流行りなどはあるけど、注解を読めばわかりやすい。でも、たまに全然わからないオノマトペとか出てくる。
p35 「尤も曾てじゃらくらが高じてどやぐやっと成った時、今まで嬉しそうに笑ッていた文三が俄かに両眼を閉じて…」
内気で、苦労している文三の、恋の悩み。罷免された苦しみと、学問はできるが口達者でなく媚びへつらうことのできない、不器用なプライドと悔しさ、あとであれこれ反論を考えて一人怒ること、なんだ今でも共感できるし、100年前の人もほぼ変わらないんだなと思う。
p131「そりゃどうとも君の随意サ、ダガシカシ…痩我慢なら大抵にして置く方が宜かろうぜ」
「内の文さんはグッと気位が立上がってお出でだから、そんな卑劣な事ァ出来ないッサ」
「モウ席にも堪えかねる。黙礼するや否や文三が決然起上ッて坐舗を出て二三歩すると、後の方でドッと口を揃えて高笑いをする声がした。文三また慄然と震えてまた蒼ざめて、口惜しそうに奥の間の方を睨詰めたまま、暫くの間釘付けに逢ッたように立在でいたが、やがてまた気を取直おして悄々と出て参ッた。」
口語体というので、落語や講談のような漢語混じりで長くて話しことばの言い回し、場面説明から入って当時の流行の小ネタを散りばめ、そして本題に入っていくところ、すらすらと流れるように読めて、文章として面白い。
p77「勿論お政には殊の外気に入ッてチヤホヤされる、気に入り過ぎはしないかと岡焼をする者も有るが、まさか四十面をさげて…お勢には…シッ足音がする、昇ではないか…当ッた。」
p176「こう信ずる理由が有るからこう信じていたのではなくて、こう信じたいからこう信じていたので。」
p210「お勢は眼前に移り行く事や物やのうち少しでも新奇な物が有れば、眼早くそれを視て取ッて、直ちに心に思い染める。けれども、惜しいかな、殆ど見たままで、別にほう煉を加うるということをせずに、無造作にその物その事の見解を作ッてしまうから、自ら真相を看破めるというには至らずして、動もすれば浅膚の見に陥いる。」 -
文言一致体で書かれたこの作品は、三角関係の物語で、上手い具合に恋の渦に飲み込まれてしまうような芸術性がそこにはあった。
恋をすると誰もが飲み込まれてしまう「渦」。
その苦しさが読者にも伝わってくるような作品であり、主人公、文三の気持ちを投影してしまう、そんな作品だったと感じる。 -
思いの外作品に入れて楽しめた。
終始ソワソワしました
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言文一致とよく言われるけど違うらしい。
戯作寄りなのかな。 -
信念を貫く余りに不器用な生き方をする文三と、八方美人で世渡り上手な昇の生き方が対照的に描かれている。未完の大作と賞賛されるだけあって続きが気になる結末となっており、写実小説の特徴でもある主人公の心の葛藤がありありと表現されていて面白い。