ヰタ・セクスアリス (新潮文庫)

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本棚登録 : 1982
感想 : 173
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101020037

感想・レビュー・書評

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  • 小さい頃に感じた春画や周りの大人子供たちに関する違和感が成長するにつれ確信に変わっていくことが、私自身も似たような経験があるのでとても共感できました。個人的には、寄宿舎の生活で硬派の逸見が金井を狙うところのシーンの描写に緊迫感があってハラハラさせられました。森鴎外の著書は、高校の時に「舞姫」を少しかじった程度だったので、その時にも感じてはいたのですが、やや読みにくいと感じてしまいました。

  •  実際は新潮文庫版でなく学研から出版されている全集もので読んだ。
     森鷗外といえば『舞姫』のような堅牢な文章を操るイメージがあったが、『ウィタセクスアリス』においてはかなり平易な文体で書かれている。内容は草食系男子の性にまつわる体験に関するものだ。性にまつわる体験といいつつ、露骨なものに関しては匂わせつつもほぼ描かれないので安心して読める。
     作中で「硬派」と「軟派」の2派が登場するが、読んでいるとどうも「硬派」というのがホモセックス野郎のことを意味しているようでド肝を抜かれた。寄宿舎生活の中で年少者は硬派の先輩の餌食になる。主人公が短刀を持って硬派の先輩から逃げ回り、アヌスの貞操を死守する場面がちょこちょこ登場するが、これが鷗外の自伝的性質を帯びた作品であることを踏まえると、男性読者なら当時の寄宿舎生活の凄絶さに恐怖を禁じ得ないはずだ。尻穴を狙う硬派から命からがら逃げ回る、そう、これはほとんど「ウォーキング・デッド」の世界なのだ。
     ところで「金井湛君は哲学が職業である。」という書き出しは端的で内容にスッと入れるいい書き出しだ。「石炭をば早や積み果てつ。」に並ぶぐらいのいい書き出しだと思う。

  • 子供のころ、このタイトルを見、不思議の国のアリスに似た、西洋の物語かなんか?と思っていたのに、自身の「性」についてだと知って、オイオイ・・

    気持ち悪いほどのドロドロだったらどーしよーと読み始めたが21世紀においては発禁にはならないから安心して読むが良い。

    自然主義への金井君の記述には賛成であるし、読みながら「ははは~」と笑いもした。

    高校生で舞姫を読み鴎外先生に偏見を持っていたが、おもしろ哀しくて朴訥な感じさえ。

    エリート中のエリートで冷酷無比な人という決めつけから異性のことに通じていない、人を深読みしたり、自分を誇大評価することもない、どっちかというと世間知らずなぼーっとした大味な男だなと思った。こんくらいのもの、出版する心の余裕が当時あったなら。

  • 大学で哲学を教える男の、性欲的側面から見た自伝的小説。解説を読むと分かるが、この男は鷗外自身に重ねられており、実質的に鷗外の自伝のようになっている。
    性欲的側面といっても、生々しいところはまったくなく、ほとんど受け身的に見聞きし体験したことばかりである。鷗外も同じように奥手だったのだろうか。
    本書そのものが自伝なのではなく、本書の中で主人公が自伝を書くというメタ的な構造になっている。しかも、主人公は最後にこの自伝をお蔵入りさせる。主人公はお蔵入りさせたが、鷗外は出版しているというところがなんとなく面白い。

  • 本書裏表紙のあらすじより
    「哲学講師の金井湛君は、かねがね何か人の書かないことを書こうと思っていたが、ある日自分の性欲の歴史を書いてみようと思いたつ。六歳の時に見た絵草紙の話に始まり、寄宿舎で上級生を避け、窓の外へ逃げた話、硬派の古賀、美男の児島と結んだ三角同盟から、はじめて吉原に行った事まで科学者的な冷静さで淡々と描かれた自伝体小説であり掲載紙スバルは発禁となって世論をわかせた」・・・と書いている。確かに発禁となっているが、何故発禁となったのか読了後に考えてみたけれど、理由がわからない。勿論巻末の解説にも書かれていない。
    明治期の性風俗のモラルについての嫌悪感があるかもしれないが、性描写や性欲描写の文言も出てこない。
    「ヰタ・セクルアリス」が執筆された時期は、鴎外の全盛期で、尚且つ多作、前後の作品を検討してみないとその真価がわからないのではないか。おそらく鴎外文学の魅力は、生への軽蔑と生への愛情との不思議な混淆にあるといえる。この作品は、それらが如実に現れているのではないかと思う。

  • 一般教養として森鴎外くらいは読んでおこうと思い読んだ。

    禁欲的生活という意味のラテン語からとられたタイトルだが、これは凄い皮肉めいてるように思われた。
    簡単にまとめてしまうと、哲学家である金井湛(しずか)が息子の教育のために、と自らの性欲的生活をつづっているだけの話。

    しかしその内容は明治という時代だからか、今の私にとって凄い奇異なものに思われる。
    学校生活では、女好きな軟派な男がいるかと思えば、男色に走る男もいて、名状しがたき感情に抱かれた。
    主人公は小説で恋愛という概念に触れたが、肉体的な性欲と恋愛が結びつかずに、ドイツに行くところで終わっているのがなんか尻切れ感が否めない。

    けれども、舞姫と異なりスラスラと読めたのは森鴎外の文体の魅力によるものだと思う。単に古典の教養がないだけともいうが。

  • 森鴎外らしい小説だが、その中でもチャレンジな作品だったと思う。
    明治の近代文学は、まさに動的な時代でもあり、森鴎外もその作風の変遷があるし、それが偉大な作家といわれる所以である。
    近代が、個人を見出す時代であるとすれば、特に西欧の哲学も学んでいた鴎外からすると、性を科学的に取り上げることは、ひとつの大きなテーマでもあったのだろう。
    主人公が哲学を学んでいる設定としているところも、その意図がより感じられる。(フロイトとか)

    鴎外の特徴が、登場人物を、少し離れた場所から、描写するところ。登場人物が、映像のように現れる効果。
    詰まり、傍観者的に観ているからこそ、その効果が出てくるのかもしれない。

    トーンとしては、理性が欲を律する、ということ。
    これが何を意味するのか。
    自然派に対する批判なのか。
    鴎外の小説の特徴は、”はっきり書かない”、ところ。
    それ故に読者が様々な判断を楽しむことができる。

    性を通じて、当時の社会風景が読み取れるところも面白い。
    男色については、江戸期も含めて、歴史的にみれば、珍しいことではない。
    却って、江戸以前の方が、性に対して、オープンで、近代、西欧化が進むことで、それがタブー視されるようになったのではないか。

  • こじらせて性生活がなんか上手くいかん男
    自伝体の小説
    これが発禁になる世の中むしろ気になるが
    私が拾いきれてないだけなのか?
    よくわからんが文章は最高
    きんとん食ってるシーンが好き

  • 私自身が十代の終わりを迎えようとして、自分の性のあり方について考えている時に偶然この本を読み始めました。

    この中で書かれている価値観のうちのひとつ、「恋愛と性が結びついていない」というものは私が自身に対して思っていたことと同じでした。
    なので、男女の差や時代の差はありながらも、共感して読むことができました。

    自分と近い価値観を持ちながら年齢的に私よりも大人になっていった金井の姿は、私の中にちいさな不安を残していきました。
    私が将来、恋愛と性を結び付けられないまま大人になり、そしてどちらかを経験してしまったらどうなってしまうのだろうか、という将来への不安が出来てしまいましたが、将来のことを考えるきっかけになる作品だなと思いました。

  • 鴎外萌え、ワンチャンあるで(適当)
    これ書いてるときめっちゃ気持ちよかったと思う。羨ましい。

著者プロフィール

森鷗外(1862~1922)
小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医。本名は森林太郎。明治中期から大正期にかけて活躍し、近代日本文学において、夏目漱石とともに双璧を成す。代表作は『舞姫』『雁』『阿部一族』など。『高瀬舟』は今も教科書で親しまれている後期の傑作で、そのテーマ性は現在に通じている。『最後の一句』『山椒大夫』も歴史に取材しながら、近代小説の相貌を持つ。

「2022年 『大活字本 高瀬舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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