河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101025063

感想・レビュー・書評

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  •  「大導寺信輔の半生」「玄鶴山房」「蜃気楼」「河童」「或阿保の一生」「歯車」の六作品が収録されています。
     「大導寺信輔の半生」は、主人公の半生を人物や商品などを通して描かれていますが、著者によるともっと書きますと言ってました。
     「玄鶴山房」は、この山房に係わっている人物たちの生きざまを書いています。
     「蜃気楼」は、主人公と友人が蜃気楼を見に行ってその土地での住民たちとの話などによって、主人公たちの一休みがドンでもない事になる。
     「河童」は、精神病院の患者が看護婦などにいう話として、まとめられています。
     「或阿保の一生」は、ある人物によって五十一章にもなる話しを当人の経験風に書かれています。
     「歯車」は、友人の結婚式へ出席した所から始まり、主人公の善悪の心の葛藤が書かれています。

  • 人生の敗北の芸術の完成?
    自殺直後の遺稿として発表され芸術の完成という見方をする人もある。
    20歳からの一生を振返り自殺を決意し、決意した後の死を平和と考え心安らかになるまでの過程が、作家芥川の最後の文学の芸術性なのかと考えました。
    確かに、この作品は遺稿ですが遺書ではなく、飽くまで自殺を覚悟しての回想であるから、この作品をもって人間芥川を詮索しようとは思わない、唯僕は作家芥川の作品の真価を感じたいだけである。
    本当の遺書は、『或旧友へ送る手記』と『遺書』でしょう。(私見です)

    さて、この作品はまず、久米正雄氏に宛てた心情の吐露を除いて回想として執筆され「作家芥川」の51の断章は、51の回顧による敗北宣言だろう。
    「彼を動かしたのは十二三歳の子供の死骸だった。彼はこの死骸を眺め、何か羨ましさに近いものを感じた「神々に愛せらるるものは夭折す」」と書いているが、本当の自殺の決意文ではない。
    何故なら、『澄江堂雑記』(大正7年~13年)の中に「誰が御苦労にも恥じ入りたい告白小説など作るものか」と書いているからだ。勿論、断章八「火花」の中に「彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、---凄まじい空中の花火だけは命と取り換えてもつかまへたかつた。」と書いていることから創作の欲求だけはある。
    何よりも、作中に「自殺」という文字が出てくるのは四ヶ所だけで、それも「彼」ではなく他人又は対比だけで自殺の宣言ではない。
    晩年の作家芥川は、病に侵されつつあるからだにも拘らず、一瞬の輝きのうちにすべてを込める閃光が、彼の芸術の生命で自分を燃焼させるものこそが自分自身の憂鬱から逃れるために見つけたのであると思う。
    時は過ぎゆき、次第に病は進行し作家人生を振返った時に、芸術の技巧の行き詰まりによる枯渇を感じ始め、制作欲はあるがそれは生活欲を無意識に感じていたのでしょう。そして自殺を考え始めたのではないかと思う。
    断章6と41は「病」です。
    「不眠症に襲われ出した、のみならず体力も衰へはじめた」、技巧の枯渇と病が原因で遂に芸術家芥川の敗北・・・。
    技巧の枯渇による苦痛は、病による苦痛を超えた。作家芥川の敗北は、人間芥川の存在価値さえも無にしてしまい、最早自殺しか選択肢がないと告白したかったのではないかと思う。
    我慢の限界を超えてしまった。後は発狂か自殺。
    以上の「心情の吐露」が「死を意識した美しい芸術の完成」、無二の芸術・自殺の実行によって完結する。
    生を長らえて「唯ぼんやりした不安」を拭い去ることは出来ないがために、死を選択する事以外は作家芥川の芸術は永遠の価値を生み出さない。

    確かに、作家芥川の一生は幾多の挫折と苦難と波乱に満ちたものであったかもしれない。
    しかしながら、僕は芥川の芸術は本当の意味で完成されていないと思う。
    死によっては何も生み出せないからで、生命あってこそ芸術の評価を知り得るのです。
    尚且つ、敢えて僕は断言します。芥川の自殺は決して美しくない。
    何故なら、決意してから『或旧友へ送る手記』の中で、死に方を暴露しているからです。
    「僕の第一に考へたことはどうしたら苦しまずに死ぬかと云うことだった。(中略)贅沢にも美的嫌悪を感じた」確かに用意周到に自殺計画を進行させているかが窺える。
    結局、薬物にて死にますが、旧友に自殺の方法を告白しているのは潔くないのです。
    じゃあ、切腹でもすれば!と言いたいところだ。まだ生への拘りを捨てきれていないでしょう。
    それなら、生きなければ駄目です。生まれて存在する価値を考えなければなりません。
    死によって完成する芸術としての文学は、完全否定します。
    芥川の『遺書』の中には、「僕は勿論死にたくない・・・云々」「けれども今になって見ると、畢竟気違ひの子だったのであらう。僕は現在は僕自身には勿論、あらゆるものに嫌悪を感じてゐる。」とありますが、それでも生きて下さいと言いたい。

  • 「蜃気楼」と「歯車」が好み。「蜃気楼」には日常の中に不安が潜んでいて、淡いタッチなのに怖い。「歯車」はもう何十回も読み返した。芥川の懐疑心が極められていて、最後の一文で諦めにも似た絶望感が突き付けられる。

  • 『歯車』は統合失調症の症状をよく表していると聞いたので  
    そういう視点で読むからだろうか、ここに収められた短編はどれもこれも危うい

  • 「或阿呆の一生」という名前に惹かれて、芥川の鬱屈とした世界に浸りたくて学校の図書館から譲ってもらった。個人的には「河童」が好き。河童世界って凄く合理的なのに、人間世界では受け入れられそうにないのはどうしてだろうね?………「河童」「或阿呆の一生」「歯車」の流れを深夜に読んだら案の定疲れた。「歯車」の最後の三行、なんとも晩年の芥川っぽくて好き。

  • <河童>人間社会に対する風刺。
    <或阿呆の一生>芥川龍之介の苦しみ。

  • きりきりとしていて、切実で、強迫観念に追い詰められているようで。
    目の前に横たわり聳え立つ1つの問題に全て囚われてしまっているような。

    小説、として面白かったのは玄鶴山房と河童。

  • 河童ひでぇ。或る阿呆の一生は芥川の中で一番好き。本当に短いフレーズのみだが、この場面ではこの表現が美しい!って作者が思う、もしくはこう書きたい!って言う部分だけが書き出されているから、なんていうかAVのヌキどころ総集編みたいなさぁ。表現がサイテーだわ。

  • 芥川龍之介の最晩年の作品集。
    信輔の一生、歯車は、芥川の苦しみを如実に表し、読んでいるこちらもつらくなってくる。
    彼の作品を少しでも理解できるようになりたいと思った。

  • 2012.5.23.wed

    【経路】
    図書館。
    そういや芥川は「羅生門」「蜘蛛の糸」しか読んでなかったなと思って。

    【感想】
    芥川の自叙伝的なエッセンスの多い著書。
    途中「暗夜行路」を読んで重なって辛かったという表記があって、そんなん病んでるときに読んだらあかん本の筆頭やろー!!と突っ込んで読んでた。
    哲学好きの無信仰は病んだときに救いが無くて辛い!
    日本人は無信仰多いんだけどさ。。
    でも宗教に素直になれたら生きやすいんだろなって思った。


    【内容メモ】
    ■大道寺信輔の半生
    ・初の自叙伝的作品
    ●本所
    ●牛乳
    ●貧困
    ●学校
    ●本
    ・買った本の愛しさ←うんうん
    ●友だち

    ■玄鶴山房
    ・家庭内部での人生の暗さ
    ・他人の苦痛を享楽する看護婦
    ・客観視できるなら昼ドラ風。

    ■蜃気楼
    ・へんてつのない日常のさりげなさ
    ・筋のない美しさ?

    ■河童
    ・社会、政治、宗教、道徳、習慣の風刺と鬱憤。
    ・無信仰の告白。
    ・河童の恋愛観が面白い。女の追いかけるのと、追いかけさせるのと。とても皮肉!

    ■或阿呆の一生
    ・死後発表作品
    ・不安の解剖
    ・芥川の芸術と生涯

    ■歯車
    ・死後発表作品
    ・迫害の妄想=歯車

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著者プロフィール

1892年(明治25)3月1日東京生れ。日本の小説家。東京帝大大学中から創作を始める。作品の多くは短編小説である。『芋粥』『藪の中』『地獄変』など古典から題材を取ったものが多い。また、『蜘蛛の糸』『杜子春』など児童向け作品も書いている。1927年(昭和2)7月24日没。

「2021年 『芥川龍之介大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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