燃えつきた地図 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.58
  • (104)
  • (113)
  • (251)
  • (20)
  • (7)
本棚登録 : 1681
感想 : 106
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121147

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 1967年(解説ドナルド・キーン)

    探偵が、ある失踪人を探す依頼を受けて、調査を始めるのだが、誰の話からも、特に際立った手掛かりを得られず、むしろ、話を聞けば聞くほどに混迷していくかのよう。なんだかずっと煙に巻かれる感じで話は進んでいく。はっきりとした問題の糸口すら見えてこず、話が進めば進むほど、はっきりしないもやもやした空気間が世界を包んでいく。

    NOTE記録
    https://note.com/nabechoo/n/n19ed791743b4

    読みながら、不思議と、探偵(ぼく)と同じような感覚を共有するかのように、なんとも不安定な世界の不安定な存在となり、奇妙な不安感を感じたり、感じなかったり笑。

    探偵が失踪人と重なってしまう。探す人が探される人に。「追う者が、追われる者となり……。」探偵の世界と、失踪人の世界を隔てる壁が、不確かになり、一体化してしまったかのよう。

    よくわからないけど、何かを追い求め過ぎると、自分を見失ってしまうかもしれない。その見失った自分はどこへ行ったのか?自分を失った殻の中には何が入るのか?実は、もうすでに本当の自分ではないのかもしれない…。

  • 手掛りを辿れども辿れども、真実に近付きも遠のきもしない感じが、失踪人の周囲を同心円上にぐるぐる回っているだけのようで徒労感と無力感が延々と繰り返される。それでも次は何かがわかるかも知れない!という期待を込めてページを捲る手が止まらない。
    通常の推理小説ならラスト一気に真実の一点へ駆け込むが、そうは問屋が卸さないのが安部公房。不確実で掴みどころのない手掛りを次々に無くし、結果として唯一確実な存在だった自分自身すら見失う。地図は燃えつきた。お見事。

    草臥れたような「場末」の表現が抜群に上手くて笑える。大抵の場合古本から煙草の匂いがするとハズレ籤を引いた気になるが、安部公房だと逆に煙草の匂いがアジになる。マッチがタダで手に入った時代の空気の匂いのようで悪くない。

  • 安部文学には珍しいミステリー調のストーリー。疾走の依頼の調査が思いもよらないような複雑な展開に…
    こういうのも悪くない!めちゃくちゃ面白い…と思いきや、やはり最後はしっかり安部ワールドに。
    人が何故社会から逃避するのか?失踪者を調査しながら自らも失踪者に同化していく。安部公房は一貫して現代社会からの逃避や自己の喪失をテーマとしているが、今回は自らの意志での逃避ではなく、見えない因果の渦に巻き込まれ逃避者と化していくパターン。壮大な布石からの宿命的なクライマックス。超現実でありながらストーリーがしっかりしていて読み応えがあります。

  • 安部公房(1924-1993)の長編小説、1967年。

    安部公房の小説の主題として、しばしば「自己喪失」ということが云われる。では逆に、「自己」が「自己」を「獲得」しているのはどのような情況か。それは、「世界」の内で何者かとして在ることができるとき。則ち、「世界」が"存在の秩序(ontic logos)"として一つの安定した価値体系を成し、その内部において「自己」が意味を付与され在るべき場所に位置づけられているとき。しかし、近代以降、「自己」の存在根拠を基礎づけようとするのは当の「自己」自身となる。このような【超越論的】機制から次のことが帰結する。

    □ 自己喪失は不可避である。

    なぜなら、超越論的主観性は「自己」の存在根拠をその都度毎に対象化し否定し続けることで無限に遡及していこうとするのであり、ついに最終的な基礎づけへの到達は無限遠の彼方に遅延されることになるから。「けっきょく、この見馴れた感覚も、じつは真の記憶ではなく、いかにもそれらしくよそおわれた、偽の既知感にすぎなかったとすると……いまぼくが帰宅の途中だという、この判断だって、おなじく既知感を合理化するための、口実にしかすぎなかったことになり……そうなれば、自分自身さえ、もはや自分とは呼べない、疑わしいものになってしまうのだ」。

    自己は喪失するものとして在るしかない。こうした自己存在の無根拠性・虚無性に対する自覚が、欺瞞的な自己規定に安逸している日常性への頽落からの実存的覚醒の契機となる。それは、あらゆる概念的規定を虚偽として峻拒しようとするロマン主義的な自由への意志として現れる。「緊張感で、ぼくはほとんど点のようになる……暦に出ていないある日、地図にのっていない何処かで、ふと目を覚ましたような感じ……この充足を、どうしても脱走と呼びたいのなら、勝手に呼ぶがいい……海賊が、海賊になって、未知の大海めざして帆をあげるとき、あるいは盗賊が、盗賊になって、無人の砂漠や、森林や、都会の底へ、身をひそめるとき、彼等もおそらく、どこかで一度は、この点になった自分をくぐり抜けたに相違ないのだ……誰でもないぼくに、同情なんて、まっぴらさ……」。

    自由とは、自己を断片化しようとするあらゆる欺瞞的な意味の絶対的拒絶という不可能性においてのみ、無限遠における成就ならざる成就としてのみ、可能となる。「「彼」……どんな祭りへの期待にも、完全に背を向けてしまった、この人生の整理棚から、あえて脱出をこころみた「彼」……もしかしたら、決して実現されることのない、永遠の祝祭日に向って、旅立つつもりだったのではあるまいか」

    このような自己喪失の事態に対して、超越的な何かを仮構して喪失した自己を回復することは不可能である。なぜなら、あらゆる存在が超越論的主観性への表象として在る以外には在り得ないのであるから。一切の外部が無い。いかなる形而上学的逃避も予めその可能性は閉ざされている。この意味においてもまた、自己喪失は不可避である。取り戻すべき自己を探し求めるなどということは、全く無意味であるから。「だから君は、道を見失っても、迷うことはできないのだ」。道を見失っている、という情況から逃れることは永遠に不可能である。それ以外の情況は在り得ないのであるから。

    そして、失踪者を追う者がついに当の失踪者それ自体に反転することは不可避である。失踪者を追うという超越論的主観性の【超越論的】機制そのものが、失踪者を何者かたらしめようとする不可能性に不可避的に撞着する以外にないという点において、失踪者それ自体の在り方に他ならないのであるから。追う者の姿は失踪者の姿そのものである。こうして、失踪者は増殖していく以外にない。

    「探し出されたところで、なんの解決にもなりはしないのだ。今ぼくに必要なのは、自分で選んだ世界。自分の意志で選んだ、自分の世界でなければならないのだ」

    しかしその「世界」とは、決して肯定的に規定し得ないものではないか。掴み取っては投げ捨てるという無限の否定運動の裡においてしか在り得ないものではないか。

  • 非現実な現実と自己が喪失していく不安が主人公に迫り苦しめていく。2018.11.21

  • 興信所の調査員が、失踪した男を捜すいっけん推理小説のような物語です。決定的に違うのは失踪の謎だけでなく、調査員の男の存在すらも最終的にあやふやになることです。
    結末はかなり不条理ですが、読後に1人の人間の存在とは何なのだろうという思いが、深く心に残りました。

  • 正確かもわからない地図、報告書、嘘かもしれない嘘、そういうものたちにしか立脚することのできない存在の不安が描かれる。ロブ=グリエの『消しゴム』をやたらと思い出させる、裏返しのモチーフが何度も出てくる。ただまあ個人的に文体があまり馴染まなかった。

  • レモン色の窓、女を部分に解体して女でなくしてしまおうという意思が働いている写真。
    後日、安部公房がロブ・グリエの「消しゴム」という作品が好きだったと聞いて読んでみたのだが、それを読むとなんとなくこの作品だけでなく、安部公房の世界に広がる閉塞的な空気感がさらに理解できる感じがする。
    燃えつきた地図、出口のない、まち。

  • 夫が失踪した、という女性からの依頼を受けた調査員が巻き込まれる不可思議すぎる出来事のあれこれ。
    弟も謎なら夫も謎だし、決着つくかと思いきや、ラストますます迷子になるという……やはり安部公房であった。

  • 安部公房は好きだけれど余り入り込めなかった作品でした。当時の町の様子や時代を知っている大人が読むと、もっと感じる事が出来るのかもしれない。
    当時とかけ離れた街に住む僕ら世代には、理解できない事が多いのかもしれない。それほど街は変化したのだと思う。
    安部公房は演劇にも力を入れていて、演劇での要素が徐々に小説にも表れている気がする。

全106件中 21 - 30件を表示

著者プロフィール

安部公房
大正十三(一九二四)年、東京に生まれる。少年期を旧満州の奉天(現在の藩陽)で過ごす。昭和二十三(一九四八)年、東京大学医学部卒業。同二十六年『壁』で芥川賞受賞。『砂の女』で読売文学賞、戯曲『友達』で谷崎賞受賞。その他の主著に『燃えつきた地図』『内なる辺境』『箱男』『方舟さくら丸』など。平成五(一九九三)年没。

「2019年 『内なる辺境/都市への回路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

安部公房の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
フランツ・カフカ
三島由紀夫
安部公房
三島由紀夫
G. ガルシア=...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×