箱男 (新潮文庫)

著者 :
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101121161

感想・レビュー・書評

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  • いつか読もうとずっと思っていた一冊。
    「見られずに見たい」という人間の潜在的?な欲求を、箱男による不在証明(存在証明の放棄)で浮き彫りにしていて、すごく興味をそそられる話と展開ではあるんだけど、小説を読んで久しぶりに頭がこんがらがった。
    めまぐるしい場面の遷移に、何度も置いてけぼりをくらった。難解で、きっちり読み込めた気がしないけど、でも面白かったと思う。

    現代はSNSの普及もあって、自身の匿名性を保ちつつ相手の思考や行動を知ることが可能になった。
    発信者であったとしても受信者であったとしても、この関係性の構図は多分同じ。
    匿名である、ということは心が安らぐ。私はこの本を程良いざわめきのあるカフェで読んでいたけれど、そこでは自分も景色と一体化している気がしてむしょうに落ち着いた。景色の一部になって悠然と周囲を見渡すことができた。
    あるいは私がよくやってしまう、ベランダから通りを見下ろして行き交う人間をぼーっと観察してしまうあれも、似たような事なのかもしれない。

    見ること、見られること、匿名性、覗き、露出、透明人間、もっと深く掘り下げて追求してみたいテーマだ。

  • 初読は高1の頃だったが、「なんじゃこれー」と、すごい衝撃を受けたのを覚えている。このなんじゃこれーを理解したくて安部公房にハマったきっかけの本でもある。実験的な小説というのだろうか。何が書いてあるのか、個々の記述間の繋がり、物語の筋がよく分からなかったのだ。文庫版の平岡氏の解説を読んで、何となく分かったような気にはなったのだが。

    それから4年経って、今回で3読目。特に終盤に顕著だが、読者に、目まぐるしく転換する場面を次へ次へと読ませようとする勢い、物語を駆動させようとする勢いが圧倒的だと感じた。流石に本物は違う。

    物語の核となる、見る者と見られる者の非対称な関係。
    “見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。”
    自分自身の実感から言っても、こういうことは確かにあると思う。町中でも、誰かの視線を意識すると途端に居心地が悪くなるものだ。冬などにマスクをして、顔を隠すとどこか気が楽になるというのもその類型だろう。顔を見返されることなく、一方的に相手を見ることができるのだから。見る(見返す)ことができずに見られるという状況は、背中を相手に晒すという状況にも対応するだろうが、背中にはその人の無意識が現れているからどこか危うさがある、という小池昌代のエッセイを思い出した。

    追記(2020/9/29)
    「見るー見られる」の非対称性をミシェル・フーコーも研究していたことを知った(文脈は多少違うかも知れないが)。以下、『現代思想のパフォーマンス』(内田樹)p.168より。
    “観察する側は、あえて実力(たとえば暴力)を使わなくても、相手を「見る」だけで、その言動をコントロールできること。(略)観察される側もまた、すぐに観察される側にまわってしまうこと。”

  • 「考えてみると、しじゅう覗き屋でいつづけるために、箱男になったような気もしてくる。あらゆる場所を覗いてまわりたいが、かと言って、世間を穴だらけにするわけにもいかず、そこで思いついた携帯用の穴が箱だったのかもしれない。」

    この文章にさしかかったとき、わたしの脳裏には『窓辺で手紙を読む女』(女が手紙を読み更けている情景をカーテン越しに覗く鑑賞者ーフェルメールの筆によって、鑑賞者は墓場まで隠し通すはずだった欲求をまんまと暴露される)があった。あるいはディアーヌの沐浴、それならスザンヌの沐浴・・・この際主題はなんであろうとかまわないが、人類は繰り返し自身の覗き癖を告白してきた。「箱男」は、普通なら隠しておきたいその欲求を着て歩く露出狂なのだ。「箱」とはすなわち、彼の身体の延長であり、ファロスなのかもしれない。

  • 初めて読んだ安部公房。
    面白い!けど、覗き覗かれる視点が錯綜していて混乱する!
    段ボール箱をかぶってみたいと思ったけど、
    本を開いて物語を読んでいる自分も既に覗くという行為をしているのか...?
    と思ったらゾッとした。

    かなり実験的で初めて読んだタイプの本。かっこいい。
    しばらく時間を置いてからもう1度読み返したい。

  • ストーリーを楽しむものではなかった。実験的というか、前衛的というか。見られることと見ることが入れ替わり、本物と贋物が入れ替わり、書き手と書かれる側が入れ替わる。ものすごーくかみ砕かないと、もしくは箱に入った男というところだけを取り上げないと、映画にならないのではなかろうか?

  • 安部公房って変人だと思う。それを興味深く読んじゃう僕も変人なのか。

  • 2017.3.11
    たまにはさらっと小説でも読もうと思ったらびっくり。めちゃくちゃ難しい。結局なんのことかさっぱりわからなかった。
    しかし、「見る」と「見られる」ということに関してなら、確かになんとなく、その底にある恐怖は理解できる。特に数年前に対人恐怖で外を出歩くのもきつかった時は、まさに見られることの恐怖というものを全身で感じていたし、今でもその傾向が弱まったとはいえ、人の中を歩くのはきつい。深夜に散歩するのは楽しい。私を見るものが誰もいないからである。
    話が飛んだり、よくわからない挿入があったりで、ほんとなんのこっちゃという小説なんだけども、面白くないわけではないのである。この魅力というのは、一体なんなのだろうか。
    対人恐怖症がきつかった時、サンブラスをかけていればきつくないことに気がつき、しばらくサングラスをかけて過ごしていたことがある。あれは一種の、箱男現象だったのではないだろうか。こちらの視線は相手には見えない、しかし私からは相手が見えるのである。一方的な関係、見られることなく、見るものである。だとするならば、私は見ていることが見られるということを恐れていたということになる。しかし箱男はもっと、徹底している。社会的属性も捨てて、何者でもなくなり、何者としても見られなくなり、ただ見るという立場に立つ。全てを捨てて得た特権階級。そのそこには、見られているという恐怖がある、他者の視線を浴びせられているという恐怖がある、他者の視線により判断されるという恐怖がある。
    「他者の視線が無を分泌する」「地獄とは他人である」と言ったのは、サルトルである。私のこの経験と、サルトルとの対話を通せば、もう少しこの小説が、腹に落ちてくるかもしれない。

  • やっぱり安部公房難しい〜〜〜!
    でも、「壁」よりはなんとなくわかった気になれた(気がする)

    • リョさん
      今のものも、傑作古典もしっかり読まれてる方で是非本選びの参考にしたく、勝手にフォローさせていただきました。
      宜しくお願いします。
      箱男読んで...
      今のものも、傑作古典もしっかり読まれてる方で是非本選びの参考にしたく、勝手にフォローさせていただきました。
      宜しくお願いします。
      箱男読んでるひとが周りにいないもんでちょっと嬉しく思いました。
      2024/01/06
    • 茉央さん
      リョさん、初めまして!
      フォローして頂きありがとうございます( ᴗ̤ .̮ ᴗ̤人)
      自分の興味があるものを気ままに読んでいるだけなので、参...
      リョさん、初めまして!
      フォローして頂きありがとうございます( ᴗ̤ .̮ ᴗ̤人)
      自分の興味があるものを気ままに読んでいるだけなので、参考になるかはわかりませんがこちらこそよろしくお願いします…!
      安倍公房は何冊かチャレンジしたんですが、私にはなかなか難しかった記憶です( ˙˙ ; )
      でもハマる人は本当にハマる作家さんですよね!
      いつかまた機会があれば読めたらなあと思っています☺︎
      2024/01/07
  • これはかなり難解なのでは。
    カンガルー・ノートや、人間そっくりも割と訳が分からないが、箱男はそれ以上では。

    視点がぐるぐる変わる。最初の箱男(Aに狙撃された箱男)が退場し、Aが新たな箱男に成り代わる。ただ、その後からがややこしい。
    Aの視点なのか、それとも医者(こいつもあとから箱男になりたがる、A曰く贋箱男)なのか。はたまた別の人物なのか。医者は何者だったのか。浜辺に打ち上げられた変死体は?
    読んでいるうちに、ぐるぐるしてきて、動悸がしてくる。
    丁度、水流によって出来た渦の中に飲み込まれるよう。

    "見る"ものと"見られる"もの。
    それが変われば、視点も変わる。
    が…この作品では"見る"側の匿名性がより際立つなと思った。
    箱の中から"見る"箱男は、覗き穴から見ているため、中身は全く外からは分からない。
    だけど、箱男のノートには、色々なことが書き記されている。
    この辺に、作品の何とも言えない不気味さを感じた…

    解説も是非読んで欲しい。
    箱男を気にすれば、箱に魅入られ、自らも箱男になりかねない。箱男に感染する、と言う表現に寒気がした。


    余談だが、私は幼い頃、ダンボールの箱に入って遊ぶのが好きだった。あの甘いような不思議な匂い、触ると何故か温かい。そして、閉じた蓋の隙間から漏れる光。
    ちょっと隠れてみたい、でも見つけて欲しい。そんな気持ちだった気がする。
    本書を読んで、ふと思い出した。

  • 主体と客体が入り乱れ、
    主観と空想と現実が、
    どれも定まらずに定位置に置かれる。

    とてつもなく粘ついて臭いのに、
    とてつもなく無味無臭な感覚が宿り、
    文学なのに視覚的で、
    静止画なのに動画の反乱のようだし、
    小説なのに舞台のよう。

    だから安部公房に惹かれてやまない。

    言葉がわかりやすいことと、
    内容がわかりやすいこととは同義ではない。

    「言葉の壁と 官能の海」

    こんなことをさらりと並べてしまえる人はいるか?

    突き詰めて、実存の物語。

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著者プロフィール

安部公房
大正十三(一九二四)年、東京に生まれる。少年期を旧満州の奉天(現在の藩陽)で過ごす。昭和二十三(一九四八)年、東京大学医学部卒業。同二十六年『壁』で芥川賞受賞。『砂の女』で読売文学賞、戯曲『友達』で谷崎賞受賞。その他の主著に『燃えつきた地図』『内なる辺境』『箱男』『方舟さくら丸』など。平成五(一九九三)年没。

「2019年 『内なる辺境/都市への回路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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