小説に書けなかった自伝 (新潮文庫 に 2-29)

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  • Amazon.co.jp ・本 (289ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101122298

感想・レビュー・書評

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  • 作家デビューに至るまでの経験を総括しているのではないかと思います。
    二足の草鞋を履く・・・本名:藤原寛人さんは、気象庁の技術者でありながら、小説を書き続けました。富士山頂の測候所に携わっています。中でも、以下の文言が印象的です。
    この小説は、昭和52年1月に発行(今は絶版になっています)されており実に戦後30年以上を経てから発表となります。何故、この体験を書かなかったのか?については不明ですが、「小説に書けなかった自伝」には、こう記されています。

    ※以下引用
    『「望郷」のでき不出来よりも私はこれを書くことによって憑きものを落としたかった。
    私にとっての終戦後の一か年間は十年にも値するほど長かった。引き揚げてきてもなにかの折にその当時の夢を見てうなされた。(中略)「望郷」を書いている最中には毎夜のように当時の夢を見た。しかしこれを書き終えてしまえば夢は見ないだろうと思った。その期待は見事に裏切られた。憑きものは落ちないどころかむしろ忘れかけていた苦しい思い出がよみがえって、夢見はいっそう悪くなった。』
    ※引用終わり

  • 新田作品は、雑誌で映画の紹介をしていたのを見て「劒岳〜点の記」を手に取ったのが初めてです。それから数冊読んで、この本に至りました。
    新田氏の文学の歴史が詰まったような作品であって、氏の人柄が垣間見えるものだと感じます。
    処女作からまた作品を読み返してみたら、最初に読んだ時と違う情景が浮かぶかもしれません。
    特に退職前後の話が印象に残りました。

  • 「強力伝」で直木賞を受賞し、代表作は「孤高の人」。山に関する多くの小説を残してきた著者の自伝。小説家と編集者との関係を赤裸々に書いているのがおもしろい。

    著者は直木賞受賞後も、役所勤めと小説家の2足の草鞋を20年間はき続ける。17時に退社し、帰宅して19時から書斎にこもる生活。小説家になるには、技術や才能もさることながら、本人の作品に向かう集中力と職場や家族の理解が何よりも重要だ。

    小説家としては、全集を発表するほどの作品を残し、気象庁職員としては、富士山気象台に巨大レーダー建設の実績を残す。そして、父としては、ベストセラー「国家の品格」の著者である数学者の藤原正彦を子孫に残す。この自伝からは自身を誇る感情を表してはいないが、実直に自分の役割を果たす古き良き時代の日本男子の精神を感じる。

著者プロフィール

新田次郎
一九一二年、長野県上諏訪生まれ。無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等を経験する。五六年『強力伝』で直木賞を受賞。『縦走路』『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』など山岳小説の分野を拓く。次いで歴史小説にも力を注ぎ、七四年『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受ける。八〇年、死去。その遺志により新田次郎文学賞が設けられた。

「2022年 『まぼろしの軍師 新田次郎歴史短篇選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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