悲しみの歌 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101123141

感想・レビュー・書評

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  • 戦時中、米兵捕虜の生体実験に参加した過去をもつ中年開業医。彼を正義の名のもとに追い詰める新聞記者。彼らの話を軸にして無気力な大学生、お人よしの外国人ガストン、建前と本音の乖離をいっこうに気にしないエセ文化人の大学教授、と様々な人たちが関係を織り成す構成と内容。

    読みながらふと思った。
    戦犯の過去をもつ開業医を執拗に追い詰める新聞記者の姿に、いまの時代で、ネットやSNSで、当たり前のように行われていることや人たちのこと。

    叩きやすい悪を「正義」の名のもとに糾弾する。世の中の問題や課題に何が善で何が悪かと、方程式のように簡単に線引きし答えを出すことができると思い込んでいる傲岸さ。正義の名のもとでなにをしても許されると勘違いした傲慢な姿勢。相手が反論できないと思えば徹底的に追いつめ責め立てる。叩きやすいから叩く。非難しやすいときだけ声高に非難する。自分は絶対に傷つくことがないと分かりきった絶対安全圏からの誹謗。その非当事者性。

    タイトルの’悲しみ‘とは、こういった(僕も含めた)合理で説明できない人間のさがや意のままにならない卑しい感情に対する諦めが込めれているように思う。

  • 海と毒薬の続きというよりは、第二部といった風です。
    人間の宿命「愚劣で悲しく辛い人生」を描き、正義と罰とを問う小説。
    全体的に70年代を風刺しているように感じられました。

    戦犯を激しく追及した、戦後社会の正義とジャーナリズムへの猜疑も窺えます。
    「三十分や一時間のインタヴューで人間の心がわかるのかなあ」
    「絶対的な正義なんてこの社会にないということさ。戦争と戦後のおかげて、ぼくたちは、どんな正しい考えも、限度を越えると悪になることを、たっぷり知らされたじゃないか」
    折戸が憤慨する「戦後三十年の民主主義の結果」の中に、折戸も含まれているようです。戦中を否定することから始まった戦後の民主主義を象徴したような人間に見えます。

    海と毒薬に通じるのは、人々が周囲や時代の風潮に流され、それに諦観しているところでしょうか。
    海と毒薬では、世界や日本の情勢、教授たちの権勢争いが捕虜実験に繋がったように、
    悲しみの歌でも、戦中批判と民主主義の高揚する社会の中、折戸や教授や大学生等の保身を図る人間に周囲の人は振り回され、同じ穴の狢になったり犠牲になったりする。矢野や大学生の保身のために愚劣になった娘、親の生活を救うために中絶された胎児、折戸の出世の踏み台となる勝呂。
    二作とも、保身を図る人間を哀れっぽく、愚物として描いているところにまた悲哀があります。

    命を救う医師でありながら親の為に堕胎をさせ、末期癌患者の死なせてくれという望みを叶える勝呂に、罪と罰があるだろうか。
    戦中は捕虜実験に加担し、裁判と懲役を受け社会的に罪を償っても、戦後の社会正義は罰を与え続ける。戦後に作られた正義で戦中を断罪することは本当に正しいのか。
    とはいえ、折戸のような正義を、形はどうあれ、多くの人が持っていると思います。

    「宮沢賢治の詩のような男に私はなりたかった」の詩とは雨ニモマケズを指しているのでしょうが、勝呂の優しさを見るに付け、そんなささやかで優しい願いも叶わない、欠片も救済のない運命が悲しい。

    イエスに擬するガストンが、人びとを憐れむだけで何の役にも立たず誰も救えない人間として描かれているのに皮肉を感じます。

  • 人が人を裁く資格なんてない。40年経った今も、当然それは変わらない。
    追い求める正義は、果たして誰にとっても正義なのか。自分がその立場に立った時、絶対に起こらないと断言できるのか。
    生きることに付随する悲しみが、あまりに多すぎる。もう苦しまなくていい、もう辛いことはない。誰もが死に向かう中で、死を求めることが「良くない」ことだと断言ができなくなる。
    人間の悲しみを知らないように振る舞う人間は、眩しい。し、暴力的だ。

  • 一貫して哀しみの歌がこの小説には流れている。

    奉仕の心が大切なのは間違いないが、それが実際に他人への救いとなることがいかに困難かを知らされる。

    救われることへの諦念に僕は息を止めたくなった。

  • 新宿を舞台にした群像劇。
    「海と毒薬」に登場した医師の勝呂が、あの後どんな人生を過ごしてきたのかが分かる作品となっていた。
    それとガストンも。ガストンはここではイエス的な役割を担っていて、かなりの重要人物。彼の言動は突拍子もないように見え、自分も暮らしが立ち行かないのに人助けばかりして、破滅的すぎて時には滑稽ですらある。他人のためになぜここまで出来るのかと不思議でならないのだが、ラストでガストンの他人への気持ちや、心の声が聞こえた瞬間に号泣してしまった。
    その前の、勝呂の自殺でもすごく苦しんだ。そんな道を選ばず、最後の最後まで生きてほしかったのだ。
    癌の末期患者のケアを無償でやっていたのだって、人間性が表れているなと思う。病人に優しい言葉しかかけなかったところも切なかった。
    他人の苦しみは受け止めても、自分の真の苦しみは誰にも共有できなかったのかもしれないなと思うと、涙が止まらない。

  • 久しぶりに「海と毒薬」を読み返し、映画版も再視聴した上で、続編と言われる本作品があると知り、いの一番に読んでみました。

    新宿歌舞伎町、百人町辺り(かな?)でつながり合う登場人物たち(ちょっとそのコネクションがいかにも創作っぽいところもある)の運命はだいたい予想がついてしまう展開(勝呂はおじいさん楽にしてあげて、自分も死ぬだろうな、このウザい新聞記者の恋愛は上手くいかないな、この喰い逃げ女はいつか仕返しを食うな、等々)なのだけど、一般的に本でも映画でもガッカリ度の可能性の高い続編としたら、登場人物も増えた要因も相まって、飽きることはなかった。

    勝呂は死にたくない命を見殺しにした(と言っても実質その場に居ただけ)代わりに、死にたい命を殺してあげて、それは帳消しというか相殺にはならないけど、自分の中で一区切りついて自死して、ある意味良かったと思う。

    私は「海と毒薬」から戸田が気になる人物なので、戸田のその後版を先生がどう捉えるか描いた作品を読みたかったなと思う。

  • 『海と毒薬』の続編的な位置付け。これを読むことで「海と毒薬』への理解も深まったような気がする。誰しも不安、迷い、弱さ、後悔、孤独を抱えている。一見、交わることのなさそうな登場人物たちが何かしら勝呂医院と繋がりながら交錯し、すれ違っていく。虚栄や欲望に飲み込まれていく中で、頼りなくもピュアで無償の優しさを持ったガストンの存在が微笑ましく救いになっているような気がする。勝呂も彼にだけは心を開こうとしていた。人を救うために医者になったのに、結局人の命を奪ってばかりいると自らを省みる勝呂。罪の意識がありながらも救いや許しを求めている訳ではない。理解されない寂しさ、悲しさ、諦めによる辛い結末。牧師や聖書の言葉に耳を傾けていたら少しは救われていたのだろうか。神を信じることで救われる部分もあれば、やっぱりそれだけで全てが解決する訳ではなくて、心のしこりのような負の感情は簡単には消せないということを表したかったのかな。80年代初頭の作品だけど描かれる人間の内面は今でも変わらない。何でもバッサリと善悪や明暗で切り分けられがちな今こそ、改めて考えされられる作品。

  • 2021/06/30-07/04

  • "正義"とはなんだろう・・・?

    言論の自由が保障されていて、何を考えていても、誰かに処罰されることなどない世界。一方で、世間の考えに反する意見を持つ者は、暴力をふるわれ、白い目を向けられる世界。

    両者は同じ世界でも、そこで発言することの重みは違うと思う。殴られたり、家族に危害を加えられたり、職を失う可能性があったりすることがある場所で、その一線を踏み越えてはいけないと抵抗できる人はどれだけいるのだろう・・・。

    「そんなこと、普通だったらしない。」口で言うのは簡単。ましてや、その状況にいなかった人ならなおさら。

    同じ命を奪うことに対して、葛藤し、背負った重さを胸に秘め続けて生きていく人もいれば、自分の地位が脅かされることを恐れ、命の芽を潰し、その事を忘れて、同じ過ちを繰り返して生きている人もいる。

    他者の心の中なんて、誰にも分からない。自分の中の"正義"を振りかざして、苦しみ、もがいている誰かを追いつめることだけはしたくないし、してはいけない。そんなことを感じた。

  • 『海と毒薬』の続編のような小説。
    生きることに付き纏う悲しみ。
    弱さと強さの境界でもがいてもがいている人々。
    正義感をふりかざす自己満足。
    無償の愛。
    薄闇と霧にまみれた世界で、生きるとは何か?を激しく問われる。
    多くの登場人物が少しずつリンクしながら繋がってゆく様は、新宿の雑踏を思わせつつも惑うことなく描き分けられ、その描写や緩やかに流れる時間軸が凄まじい悲壮感を極だたせている。
    素晴らしい筆力。
    愚直なゆえ力強く生きる若者たちが光なのか?
    ガストンだけが光だったのか?
    そしてやはりそこに正解を見出せないまま、物語は終わる。
    くるしい。
    悲しい。
    悲しみの歌。

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著者プロフィール

1923年東京に生まれる。母・郁は音楽家。12歳でカトリックの洗礼を受ける。慶應義塾大学仏文科卒。50~53年戦後最初のフランスへの留学生となる。55年「白い人」で芥川賞を、58年『海と毒薬』で毎日出版文化賞を、66年『沈黙』で谷崎潤一郎賞受賞。『沈黙』は、海外翻訳も多数。79年『キリストの誕生』で読売文学賞を、80年『侍』で野間文芸賞を受賞。著書多数。


「2016年 『『沈黙』をめぐる短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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