- Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101133188
感想・レビュー・書評
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ドキュメンタリーに近い感じ。小説的に物語的に楽しみたかったので、そこは違った。風が吹いたら風車は回り続けなければいけない。
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東京裁判で唯一、文官で有罪となった広田弘毅の生涯を描いた作品。自ら計らず、の人。
流れに身をまかせる、その信条に首尾一貫してはいる。が、責任ある立場の人として、それはどうなんだろうと思う。 -
羽田空港で搭乗中の読み物として購入。ようやく読み終わる。
戦前の軍部は傲慢で戦争に突っ走っていたのかもしれないが、広田弘毅をあまりに同情的に描きすぎているせいか、内容に深みが感じられなかった。 -
この夏、テレビドラマで城山三郎原作の「官僚たちの夏」が放送され、大変な好評を博したという。ちょうど、総選挙から民主党政権に変わる時期で、民主党が「脱官僚」を旗印にしていただけに、逆説的な意味で注目もされたようだ。
官僚たちが、日本の手痛い敗戦を受け、日本の復興、さらには、高度成長時代に日本のますますの発展のために、まさに、我を忘れて、仕事に没頭した気骨を表した作品といえよう。
もっとも、テレビのない我が家である。残念ながら私はそのドラマを見てはいないが、雑誌やネットで、その人気ぶりは理解していたつもりである。
そういう空気もあり、先般の出張の折、なんとなく城山作品を持って行こうと思い、改めて、本棚を見る。
「落日燃ゆ」文庫本を鞄の中に放り込む。
城山作品としては、「男児の本懐」が一番印象に残っている。「粗にして野だが卑ではない」は、この題名に惹かれて一気に読み終えたことを覚えている。「落日燃ゆ」は、いつ読んだのか。とりあえず、本棚に転がっていた。
アマゾンでのブックレビュー。
「東京裁判で絞首刑を宣告された七人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった元総理、外相広田弘毅。戦争防止に努めながら、その努力に水をさし続けた軍人たちと共に処刑されるという運命に直面させられた広田。そしてそれを従容として受け入れ一切の弁解をしなかった広田の生涯を、激動の昭和史と重ねながら抑制した筆致で克明にたどる。」
その通りであるが、実は、そうでもない。「抑制した筆致で克明にたどる」とあるが、それでいて、明らかに、城山の歴史観が色濃く反映されている。城山の歴史観を、必ずしも「抑制」することなく、決して「克明」とは言えない、乱暴な筆致も散見される作品だ。
「盧溝橋事件」、及び、「いわゆる南京事件」に触れるくだりなんぞは思わず、一度、本を膝の上に置いてしまった。この小説は、昭和49年にに出版されたという。昭和40年代後半という時代を考えると、いわゆる知識人の中で、城山三郎のような歴史観、社会観を持った方のほうが多かったのだろうか。
極めつけは、広田が絞首刑にあう場面である。
絞首刑は、いわゆるA級戦犯とされる者のうち4人づつ二回に分けて行われた。広田は二組目。最初の組の4人が万歳を行った。
次、広田たちの組の番。広田は、教誨師でもある花山信勝に、「今、マンザイをやっていたでしょう」と述べ、その後、広田はその「万歳」に加わらなかったと、城山三郎は書いている。
しかも、城山は、広田は、それを意識して「漫才」と言い、最後の痛烈な皮肉と書いてもいる。さらに、「広田には、寒気を感じさせる声である。生涯自分を苦しめてきた軍部そのものである人たちと、心ならずもいっしょに殺されていく。このこともまた、悲しい漫才でしかない」とまで記述している。
しかし、このことは、既にいくつか指摘もされているが、全くもって、城山三郎の創作である。いや、この箇所に、引用著作として、花山信勝の著書を挙げていることを考えると、少々悪趣味な、意図を持った創作、言葉悪く言えば、でっち上げとまでも言えるかもしれない。
花山の著書では、「今、マンザイをやっていたでしょう」という広田の言葉はあったようだが、広田が、万歳を一緒にやらなかったという記述はない。
いや、むしろ、「板垣さんの音頭で、大きな、まるで割れるような声で一同は「天皇陛下万歳」を三唱された」という記述からすれば、広田も万歳に加わっていたとみるのが普通ではないか。
もちろん、広田の心の中は分かりはしない。確かに、城山が忖度しているように、自分が、外相、総理時代に苦しめられた軍部と一緒に処刑されることに関しては、何らかの思いはあってであろうことは、想像に難くはない。だからと言って、城山の、広田は万歳をしなかったという記述は乱暴である。
これも、城山の歴史観であろうか。
少々、後味の悪い、「落日燃ゆ」の再読であった。 -
歴史を学ぶことの大切さを再発見
物事の見方は決して一様ではない、
否、一様であってはならないはず、と。
20世紀の前半分で繰り返された「戦争」
愚かであった事は100%間違いない、間違いなく。
ただ、教科書が伝える「戦争」は、あまりにも表面的。