国盗り物語(二) (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 2990
感想 : 176
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  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101152059

感想・レビュー・書評

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  • 前編で弾けまくった主役の庄九郎こと斎藤道三。その魅力的なキャラにガッチリとハートを鷲づかみにされた私は即、後編も読み切った。
    戦に初めて鉄砲を用いたのはなんと庄九郎からではないか。長篠の戦いからと思ってたけど。
    その信長の父信秀もマムシの道三に劣らずインパクトのあるキャラ。その2人の戦での駆け引きが面白くてぐいぐい引き込まれる。さあ次は成長していく信長の物語が始まります。

  • とうとう有名な斎藤道三としての人物がでてきた。

    美濃の蝮として有名だが、どうやってなっていったのかについて内容が濃く書かれているため物語として人物像を追って行けるのが面白い。

    次はどうなるのか

  • 美濃において国主・土岐頼芸の信頼を得て着実に力を高めていく庄九郎。腐敗と内紛、侵略の危機を見事に乗りこなしついには国を「盗る」。
    前巻は才気と切れ味で活路を見出す印象のあった庄九郎が洞察力と胆力を身に付け、周到に狡猾に美濃を飲み込んでいく。まさしく「蝮」の道三そのもの。
    ライバル・織田信秀との知恵比べやこれまでの常識を覆す自由市場の建設。充実の時を迎えながらも「天下」の野望を達成するには残り時間がないことを自覚する庄九郎にこれまで見られなかった弱さが見え隠れし哀愁ある姿がなんとも切ない。
    その野望と理想を受け継ぎ体現するのがしのぎを削った信秀の子・信長というのがまた歴史の皮肉でありロマン。

  • 【動山】
    小説です。
    つづきが楽しみです。

  • 美濃を我が手中に収めるべく様々な陰謀を図り人を陥れていく庄九郎は、物語が進むにつれて悪人の面が濃くなっていき、理解に苦しんだ。しかし、時が経ち、天下統一という人生の指標が寿命の壁に阻まれ始めると、次第に人の一生とは儚いものであると受け入れていく。蝮と呼ばれた道三が純粋無垢な庄九郎としての一面をふと覗かせる場面では、哀愁が感じられて切ない気持ちになった。二巻の後半では幼少期の織田信長と明智光秀も描かれている。次巻へ更に展開が加速していきそうで、読み進めるのが楽しみである。

  • 斎藤動三編(第一巻、二巻)の方が、道三の自由奔放な活躍が描かれていて面白かった。
    また、司馬遼太郎の仏教宗派に対する解釈にはなるほどと思った。
    織田信長編(第三巻、四巻)は、信長と明智光秀の二人が主人公であるが、話が進むにつれ光秀への同情が強くなった。信長の冷淡な性格には、大河ドラマ「巧妙が辻」の信長役である舘ひろしがほんとによく似合っている感じだ。(2006.7.18HPの日記より)
    ※2006年購入
     売却済み、kindleで購入

  • 斎藤道三編の後編。
    前半に比べるとサクっと過ぎてしまった感があり。
    創作できる部分が減って、道三さんの業績をなぞらなければならないからなのかな。

    旦那さんとベッタリ物理的にいつも一緒ではないけれど、旦那さんが好きでサバサバしていて、旦那さんが美濃で別の女を複数囲っていても瑞々しく生きていられる京の油やのお万阿さんのキャラは良いな。

    だからこそ、お万阿さんが複数の暴漢にかどわかされる話は必要だったのか、微妙に思いました。
    男性読者向けかなぁ…。

  • 斎藤道三〈後編〉読了。

    道三の“国盗り”がいよいよクライマックス。
    あの、織田信長の父・信秀が手も足も出ないとは、道三強いですなぁ。
    吉法師(信長)、桃丸(光秀)も登場し、ますます今後の展開が楽しみです。

  • いよいよ庄九郎(斎藤道三)は美濃一国略奪する。庄九郎の夢は征夷大将軍になることであり、未だ完成形ではない。しかし、サクセスストーリーを着々と歩んできた庄九郎も、それは将軍就任は叶わぬ夢であり、美濃一国が限界だと気付く。以降は次編の主人公:織田信長と明智光秀に引き継がれることになる。本作品ではこの二人が庄九郎の政策を引き継ぐ相弟子であると定義する。信長は娘帰蝶の婿、光秀は妻小見の方の甥という親族同士というのも面白い。そしてその二人が本能寺の変で向かい合うというのも運命的である。
    斎藤道三編は本巻で終了なのだが、嫡男の義龍と争って長良川で討ち死にするところまでは描かれておらず、美濃一国を平定した後、将軍になる夢を諦めたところで幕を閉じる。この点、単なる伝記ではない司馬作品らしさが出ている。「新史太閤記」において秀吉の晩年を描かなかったことと共通である。

    さて、今回も以下に、興味深かった記述を引用したい。

    ・「世に仕事ほどおもしろいものはない」と思っていた。それが庄九郎を疲れさせないのであろう。
    →仕事をそう思えるのは理想である。こうありたいものだ。

    ・「人の世にしくじりというものはないぞよ。すべて因果にすぎぬ。なるほどわしの場合、昨日の悪因が今日の悪果になったが、それを悪因悪果とみるのは愚人のことよ。絶対悪というものは、わしが妙覚寺で学んだ唯識論、華厳論という学問にはない。悪といい善というも、モノの片面ずつに過ぎぬ。善の中に悪あり、悪の中に善あり、悪因悪果をひるがえして善因善果にする者こそ、真に勇気、智力ある英雄というわい」
    →私の好きな概念である。人生、このように前向きに生きていきたいものだ。

    ・「斎藤」という苗字は、平安初期に鎮守府将軍になった藤原利仁の子、叙用が祖である。藤原叙用が伊勢の斎宮の世話をする役所の長官になった。延臣の中で藤原氏が多く紛らわしいため、京都の屋敷の所在地の町名で呼んだり(近衛、一条、三条など)、地方に住んだ者は例えば加賀なら加藤と呼んだりした。斎藤は叙用が斎宮の長官になったため斎藤と略して呼ばれた。
    →日本史トリビア。これから言えば、「藤」が付く姓は藤原氏の末裔である可能性があるということだ。佐藤さんや伊藤さんもこの類いだろう。もちろん、斎藤道三のように、勝手に斎藤姓を名乗ったということもあるから、あくまで可能性に留まるのだが。姓の由来というものは実に面白い。

    さて、次は織田信長編!

    • ykeikoさん
      いつも感心させられるレビューです。ただ単なる読書レビューではなく、色々なことと関連付けて書かれているのが興味深いです。実は、私は岐阜出身で、...
      いつも感心させられるレビューです。ただ単なる読書レビューではなく、色々なことと関連付けて書かれているのが興味深いです。実は、私は岐阜出身で、斎藤道三をはじめ、このいわゆる戦国時代には思い入れがあります。 私の旧姓が近藤で、やはり近江に住んでいた藤原氏の流れと聞いたことがあります。  次のレビューも楽しみにしています。
      2011/06/24
  • 戦国時代は、実力本位の時代というイメージがあるが、実際には、家柄、官位が重んじられ、だから信長は異端だったという事なのだろう。斎藤道三が、美濃を手中に収める過程で当地の名家を継ぐ形で改名を繰り返す様は、現代の感覚では理解し難いが、歌舞伎役者や落語家が名跡を継ぐようなものか?

著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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