- Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101152059
作品紹介・あらすじ
気運が来るまで気長く待ちつつ準備する者が智者。気運が来るや、それをつかんでひと息に駆けあがる者が英雄。-それが庄九郎の信念であった。そして庄九郎こそ、智者であり英雄だった。内紛と侵略に明け暮れる美濃ノ国には英雄の出現は翹望する気運が満ちていた。"蝮"の異名にふさわしく、周到に執拗に自らの勢力を拡大し、ついに美濃の太守となった斎藤道三の生涯。
感想・レビュー・書評
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前編で弾けまくった主役の庄九郎こと斎藤道三。その魅力的なキャラにガッチリとハートを鷲づかみにされた私は即、後編も読み切った。
戦に初めて鉄砲を用いたのはなんと庄九郎からではないか。長篠の戦いからと思ってたけど。
その信長の父信秀もマムシの道三に劣らずインパクトのあるキャラ。その2人の戦での駆け引きが面白くてぐいぐい引き込まれる。さあ次は成長していく信長の物語が始まります。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【感想】
斉藤道三編の後半。
この時代で既にPDCAをしっかり遂行し、権謀術数で巧みにのし上がって行く姿は本当にロマンに溢れる。
斉藤道三の凄いところは、上記のとおりPDCAだろう。
目的に向かってしっかりと段階を踏んで準備を行ない、色んな策を弄して遂行していく。
素晴らしい目的意識の高さとその手段の選定センスは、自分への揺るぎない自信と能力に裏打ちされているのだろうが、個人的には非常に参考になる部分も多いと思う。
やはり事を成すにあたり、PDCAを明確にすることは今も昔も大切なことなんだろう。
斉藤道三においてもう一つ注目する点は、目的遂行の為にまわりくどいほどに我慢強い事だと思った。
決して急かす事なく徐々に美濃で謙虚かつ確実にステップアップしていき、真の目的である国主になる為に抜けている点を装って敵(土岐頼芸)に一切の警戒心を与えない。
かつて油屋になった際も、同じくまわりくどい程に準備をして店主になった点から見ても、斉藤道三の用意周到さはズバ抜けている。
(普通なら我慢しきれずに奮発し、結局は少ない利しか得られないようなものだが・・・)
今まで名前しか知らなかったが、斉藤道三は戦国時代でも屈指の英雄の1人なのだと強く思った。
次巻にて斉藤道三の死没について読んだが、最期の最期まで「英雄」だった。
ロマンに溢れ、神出鬼没、しかし決して勢いだけではない「英雄」斉藤道三は、個人的に戦国時代で1番好きだ。
【あらすじ】
気運が来るまで気長く待ちつつ準備する者が智者。
気運が来るや、それをつかんでひと息に駆けあがる者が英雄。
―それが庄九郎の信念であった。そして庄九郎こそ、智者であり英雄だった。
内紛と侵略に明け暮れる美濃ノ国には英雄の出現は翹望する気運が満ちていた。
“蝮”の異名にふさわしく、周到に執拗に自らの勢力を拡大し、ついに美濃の太守となった斎藤道三の生涯。
【引用】
p98
「人の世の面白さよ」
人は、群れて暮らしている。
群れてもなお互いに暮らしていけるように、道徳ができ、法律ができた。
道徳に支配され、法律に支配され、それでもなお支配され足りぬのか、神仏まで作ってひれ伏しつつ暮らしている。
(しかしわしだけは)と庄九郎はおもうのだ。
庄九郎にとってなにが面白いといっても、権謀術数ほど面白いものはない。
権ははかりごと、謀もはかりごと、術もはかりごと、数もはかりごと。
この四つの文字ほど庄九郎の好きな文字はない。
p138
出家は本気であった。
この男なりに、今まですべてのことを本気でやってきた。
が、単なる本気ではない。本気の裏側で、いつも計数・策略が自動的に動いている男である。
p255
歴史が、英傑を要求するときがある、ときに。
時に、でしかない。なぜならば、英雄豪傑といった変革人は、安定した社会が必要としないからだ。
むしろ、安定した秩序のなかでは百世にひとりという異常児は毒物でしかない。
が、秩序は常に古びる。
秩序が古び、ほころびて旧来の支配組織が担当能力を失ったとき、その毒物が救世の薬物として翹望される。
p259
当時は、天下のどこへ行っても、商業はいっさい許可営業制であった。専売制といってもさしつかえはない。
もし勝手に販売する者があれば、その許可権を持つ社寺その他が打ちこわしの制裁を加えるか、ときには売人を殺した。
これほど不合理なものはない。
「せめてわしが領内だけでも楽市楽座にしたい」とかねがね言っていた。
p379
ひとは、「美濃の蝮」と庄九郎のことをいう。
自分の家来を厚く遇し、領民には他領よりも租税を安くし、領民のために医者を差し向けたり薬草園を作ったり、美濃はじまって以来の善政家といってもいい。
人間は欲の固まりである。
だからこそ、庄九郎は善政を布く。
(乱世では、ほとけもマムシの姿をしているものさ)と思っている。
p382
ニコロ・マキャヴェリの「人間とは」五箇条
1.恩を忘れやすく
2.移り気で
3.偽善的であり
4.危険に際しては臆病で
5.利にのぞんでは貪欲である
人間は常に偽善的であり、名分がほしい。
つまり、行動の裏付けになる「正義」がほしいのである。
地侍たちにそのような「正義」を与え、美濃の皇太子である小次郎頼秀を追っ払った。
また、国内の辻々に高札を立て、「誅殺した者には褒美を取らせる」と布告したため、この国の正当な相続者であるはずの小次郎頼秀は越前まで逃亡した。
その執拗さが、「蝮」と呼ばれる本性である。
その後、美濃征服の最後の仕上げとして、酒色にふけっている「お屋形様」こと土岐頼芸をほうりだす。
p402
「わしはもともと、国を奪るためにこの美濃にきた。人に仕えて忠義をつくすために来たのではない。
ただの人間とは、人生の目的が違っている以上、ただの人間の感傷などは、お屋形様に対しては無い。」
p404
「お暇乞いに参りました。」
「いや、それがし、京へは帰りませぬ。お屋形様に去って頂こうというわけでございます。
あ、いや、お待ちを。去って頂く、と申してもこの美濃をではござりませぬ。
守護職からご勇退ねがわしゅうございます。
あ、お待ちを。つまり、ご隠居なされませ、と申すのでございます。」
「お屋形様に、お覚えがございましょう。その御子、わが屋敷に16年間おあずかり申しておりまする。」
「義竜(よしたつ)か」
といったのは、頼芸の不覚であった。その子が自分のたねであることを認めたことになるのである。
これほどに才智に長けた男でも、この天然の不思議だけはわからぬものか、と頼芸はひそかに庄九郎をあなどっていた。
それもあって、あれよあれよというまに勢力を増大していった庄九郎を、害になるとも思わなかったのである。
p409
「人の一生も、詩と同じだ。なかでも、転が大事である。」
「この転をうまくやれるかやれないかで、人生の勝利者であるか、ないかのわかれみちになる。」
「起」
土岐頼芸に智恵と力を貸して、兄・政頼を守護職の地位から追い、頼芸をその地位に据えて自らは頼芸の執事になった。
「承」
成功を拡大し、自身の権勢を高める一方、頼芸を酒色におぼれさせて美濃人に国防上の不安を与える。
これには20年かかった。
第3段階は「転」である。
頼芸を追って、一転して自分自身が美濃の国主になることであった。
p419
・神出鬼没
この異能な男は、指揮ぶりについても風変わりであった。
大将である彼が普通のように一定の場所に位置せず、そこここを身軽に飛び回り、所々に飛び込んでは直接兵を叱咤し指揮した。
「あの男は、一体何人いるのだ。」
敵軍だけでなく、味方の諸将さえも戸惑うほどだった。
p460
信秀を斎藤道三は「尾張の短気者」と見ていたが、信秀はそれほど短気ではなく、むしろ豪気であった。
待つことも知っていた。
妙案が浮かばぬ以上、いらいらして傷を深めるよりもむしろ持久の策をとり、機が熟し条件が好転するのを待とうとした。 -
とうとう有名な斎藤道三としての人物がでてきた。
美濃の蝮として有名だが、どうやってなっていったのかについて内容が濃く書かれているため物語として人物像を追って行けるのが面白い。
次はどうなるのか -
日本のマキュアベリ、楽市・楽座の創始者、下剋上時代の革命家、“蝮”の異名をもつ【斎藤道三】の物語の後編。“神仏などは人間の臆病につけ入るものだ”と言い放ち、神仏をも畏れず戦国の世を駆け抜けて、美濃を手中にした英雄のロマン溢れる快作。築城の工匠・岡部又右エ門が登場するのもご愛嬌。
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美濃において国主・土岐頼芸の信頼を得て着実に力を高めていく庄九郎。腐敗と内紛、侵略の危機を見事に乗りこなしついには国を「盗る」。
前巻は才気と切れ味で活路を見出す印象のあった庄九郎が洞察力と胆力を身に付け、周到に狡猾に美濃を飲み込んでいく。まさしく「蝮」の道三そのもの。
ライバル・織田信秀との知恵比べやこれまでの常識を覆す自由市場の建設。充実の時を迎えながらも「天下」の野望を達成するには残り時間がないことを自覚する庄九郎にこれまで見られなかった弱さが見え隠れし哀愁ある姿がなんとも切ない。
その野望と理想を受け継ぎ体現するのがしのぎを削った信秀の子・信長というのがまた歴史の皮肉でありロマン。 -
【動山】
小説です。
つづきが楽しみです。 -
美濃を我が手中に収めるべく様々な陰謀を図り人を陥れていく庄九郎は、物語が進むにつれて悪人の面が濃くなっていき、理解に苦しんだ。しかし、時が経ち、天下統一という人生の指標が寿命の壁に阻まれ始めると、次第に人の一生とは儚いものであると受け入れていく。蝮と呼ばれた道三が純粋無垢な庄九郎としての一面をふと覗かせる場面では、哀愁が感じられて切ない気持ちになった。二巻の後半では幼少期の織田信長と明智光秀も描かれている。次巻へ更に展開が加速していきそうで、読み進めるのが楽しみである。
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斎藤動三編(第一巻、二巻)の方が、道三の自由奔放な活躍が描かれていて面白かった。
また、司馬遼太郎の仏教宗派に対する解釈にはなるほどと思った。
織田信長編(第三巻、四巻)は、信長と明智光秀の二人が主人公であるが、話が進むにつれ光秀への同情が強くなった。信長の冷淡な性格には、大河ドラマ「巧妙が辻」の信長役である舘ひろしがほんとによく似合っている感じだ。(2006.7.18HPの日記より)
※2006年購入
売却済み、kindleで購入 -
1巻、2巻は斎藤道三の物語。寺を飛び出した一人の男が、やがて京都の油商となり店を乗っ取り、美濃に進出してとうとう守護職を追い出して自分が国王になってしまう。まさに戦国時代の英雄物語である。道三の活躍する数々の戦のストーリーもすごいが、女性を次々と我が物にしていく展開もすさまじい。しかし、2巻の最後、道三編のラストでの、彼に人生を変えられた女性たちとのシーンはしみじみとしていて、それまでの道三のイケイケ物語から急にトーンが変わる。ここに道三の老いの悲しみが見事に表現されている。
司馬遼太郎の戦国物は、史実を細かく追わずに、ストーリー中心にグイグイ引っ張っていくところが魅力的だ。 -
道三の美濃強奪という、当初の目的が果たされる時が近づきつつある。
二十年がかりの大事業である。
外堀から徐々に埋め、本丸へ。
正に蝮に相応しい。
戦場での冷徹な道三と、平生の人間臭い道三のギャップが良い。