真田太平記(十)大坂入城 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (557ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101156439

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  • 勝てぬ戦

  • 真田幸村が九度山を脱出、大阪城に入る。大坂冬の陣。出城真田丸が突出した割には、話題が少なかった。2015.2.13

  • 真田信繁(幸村)は九度山を抜けて大阪城へ入る。そして真田丸と言う出丸を設け徳川軍を散々に打ちすえる。幸村の名前は天下に轟くことに・・・。
    しかし、老活な家康は大阪城を落とすことは容易ではないとみて和睦を仕掛ける・・・。

  • 真田丸って、もっと凄い活躍をしたのかと思っていた。
    (実際に、味方の軍勢から突き出すように砦を造って戦ったのはすごいことだと思う。しかし、その描写が思いのほか少なかった…)
    次が本当のクライマックスになると思う。
    一気に読みたい!

  • 大阪冬の陣は、和睦となった。後藤又兵衛、幸村らは烏合の衆の牢人をまとめ、東軍に痛打を与える。でも、肝心の大阪城方は軍を知らない者達ばかりで、このあたりの様子は情けなくて仕方ない。

  • 沼田を抜け出して、大坂の幸村の元へ向かう佐平次にグッときました。
    そして、大坂冬の陣・真田丸での戦です。
    今までの巻では、どちらかというと“信之(信幸)上げ”の印象があったのですが、ここへきてようやく幸村を上げてくれたので、もうちょい幸村のカッコいいとこ見せてほしい。次巻に期待。

  • 真田丸の活躍が意外と短い。

  • 大坂冬の陣です。
    しかし、豊臣秀吉さんの晩年もヒドかったけれど、徳川家康さんの晩年もキレイではないよね。
    そんで、二人とも総領息子はダメっぽい…と。

    紀州九度山を抜け出して大坂城に入った真田幸村さん。
    彼とともに死ぬべく沼田を抜け出した向井佐平次さんとの男の友情が美しい♪

    しかし、関ヶ原にしても大坂の陣にしても、西軍はトップがダメダメだったっぽい。
    理想論ばっかりで現実無視ってのが一番ダメなんだね。
    これって、今の世の中にも通じるなぁ…。

    あと、猫田与助さん。
    なんか、あっさりと死んでしまいましたね。

  • 73歳となり焦る家康.『家康が,後水尾天皇へ,「豊臣秀頼征討の勅命をいただきたい」と,願い出たが,(何ゆえ,大阪を討たねばならぬのじゃ?)いくら考えても,天皇は納得ができない.』
    いよいよ東と西が手切れとなり,幸村は九度山を脱出して大阪城に入城する.久々に幸村が物語の前面に出てきて,グダグダの西軍の中で孤軍奮闘する.ご存じ「大坂冬の陣」での真田丸のくだりが痛快だが,結構あっさり書いちゃうのね,池波先生.お江の「淀の方,織田有楽,大野長治を討っては」という提案は,読者の声.

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著者プロフィール

大正十二(一九二三)年一月二十五日、東京市浅草区聖天町生まれ。昭和十(一九三五)年、下谷区西町小学校卒業、株式仲買店勤務。昭和十四年より三年ほど証券取引所にあった剣道場へ通い、初段を得る。旋盤機械工を経て昭和十九年、横須賀海兵団入団。敗戦の翌年、東京都職員として下谷区役所の衛生課に勤務。昭和二十三年、長谷川伸門下に入る。昭和二十五年、片岡豊子と結婚。昭和二十六年、戯曲「鈍牛」を発表し上演。新国劇の脚本と演出を担当する一方、小説も執筆。昭和三十年、転勤先の目黒税務事務所で都庁職員を辞し、作家業に専念。昭和三十五年、『錯乱』で直木三十五賞受賞。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』の三大シリーズや『真田太平記』等、数々の小説で人気を博す一方、食や映画、旅に関する著作物も多く上梓した。受賞歴はほか吉川英治文学賞、大谷竹次郎賞、菊池寛賞等。平成二(一九九〇)年五月三日、入院していた東京都千代田区神田和泉町の三井記念病院で死去。小社では同じく単行本未収録のエッセイ集『一升桝の度量』(二〇一一)と初期戯曲集『銀座並木通り』(二〇一三)を刊行している。

「2022年 『人生の滋味 池波正太郎かく語りき』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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