- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101181387
感想・レビュー・書評
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マキャベリズムという言葉からは、想像もつかないような、マキアヴェッリの人となりや歩んだ人生を描いている。
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(3)にまとめて
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初めは読んでても、誰が親子で誰が兄弟なのかなど、わからないことだらけで読みづらかったが、家系図を書きながら読み進めていくと理解しやすかった。
とにかくこの「わが友マキアヴェッリ」の1冊目は、マキアヴェッリのことについて直接は書かれておらず、マキアヴェッリが育った環境やその時代のフィレンツェの状況などが書かれていた。
(コシモ→ピエロ→ロレンツォという流れを踏まえつつ、パッツィ家の陰謀がどのように起きたのか、ロレンツォが無くなった後の修道士サヴォナローラの時代の状況などが書かれている。)
おそらく、マキアヴェッリは2冊目から登場するのだろうと思う。
解説の佐藤優(元外務省官僚)の文章も良かった。
P.37
この彼の怒りは、生計の道を断たれただけの者が感ずる怒りとは、強さも質も、違うものではなかったであろうか。
人間には誰にも、その人だけが特に必要とする何かがあるものである。それを奪い取られた時、それに無関心な者からすれば納得いかないほど、奪い取られた本人の怒りは凄まじい。
マキアヴェッリにも、彼にとっては特に必要な何かが、あったのであろう。それを理解するかしないかが、彼その人を理解するかしないかにつながり、「君主論」をはじめとする、彼の著作にあらわれた思想を、理解できるかどうかにもつながるのではないだろうか。
P.78
海の都ヴェネツィア共和国は、一個人一家族の力量によって国家の進路が左右されることのない体制を完成させるが、花の都では、全く反対だった。マキアヴェッリも、ヴェネツィアとフィレンツェを比較して、性格の完全に違う二人の人間のようだ、と書いている。
P.82
ジョヴァンニの、良質・善良
コシモの、賢明
ピエロの、人間性
ロレンツォの、偉大・華麗、慎重・冷静
P.140
芸術家は、意外と忍耐強いものなのだ。自分が意図したことを実現させるのに、常人ならば想像もつかない様な忍耐力を発揮する。といって、ただただ手をこまねいて待つわけではない。待ち続けながら、何が敵を逡巡させているかを突き止め、それを見つけたとたんに勝負に出る。
P.141
要するに、ロレンツォは、ナポリ王の顔を立てたのだ。だが、相手の顔を立てつつ自分が実を取るのは、外交の基本でもある。
P.147
人間は、運に恵まれない人に対して同情はするが、幸運に恵まれ続ける者の方を好むものである。
それはなにも、寄らば大樹の陰、などという安易な気持からではない。個人個人は諸々の「神のくだされる試練」と闘う毎日を送っている彼らにしてみれば、それをしないで済んでいるらしい「神の愛したもう者」を見る方が、救われる気分になるからである。
ナポレオンは、同程度の才能を持つ将軍が二人いれば、運の強い方を登用したそうだが、人間が何かをしようとする場合、いかに優れていても才能だけでは十分でなく、運というものが大きくものを言うことを理解している者は、マイノリティに過ぎない。
P.150
人間には、いかに幸運に恵まれたスタートをした者でも、才能もないし野心もない人物がいる。また、才能はないが野心だけはある人物もいる。そして、才能もあれば野心もある人物が最後にくる。
P.151
莫大な額を有効に使うのは、それ自体ですでに立派な才能である。
P.157
青春とは 何と美しいものか
とはいえ みるまに過ぎ去ってしまう
愉しみたい者は さあ すぐに
確かな明日は ないのだから
↓
いのち短し 恋せよ乙女
紅きくちびる あせぬまに
熱き血潮の 冷めぬまに
明日の月日は ないものを
P.168
マキアヴェッリは、君主に、モラルを求めてはいない。モラリスティックに振る舞う方が民衆操作に有効ならば、その振りをせよ、と言っているだけである。また、ロレンツォの恵まれた環境とスタートに、以後の業績も割り引いて評価すべきである等という、凡百の政治学者や歴史家の偏見からも、マキアヴェッリは自由であった。他より恵まれた環境は、その人の幸運のひとつであると思っていた。幸運に恵まれながらも、力量を持たなかったがゆえに幸運さえ活用できなかった人間を、あまりにも多く知っていたからであろう。
P.224 解説
イタリアにおいて、マキアヴェッリは、コルプス・クリスチアヌム(キリスト教共同体)を脱構築し、古代のローマの祖霊を呼び起こし、国民(民族)によって形成されるイタリア国家への道を敷いたのである。
P.227
マキアヴェッリが見たのは、国家(と官僚)は生き物で、そこには独自の文法があるということだ。 -
塩野七生氏に出会った作品です。これがなかったら、ローマ人の物語も読むことはなかったでしょう。それくらい、おもしろく、考えさせられた、、、とういうか、自分の歴史感のなさが分かったしまったような作品です。
教科書に載っている文章だけでほとんどを判断していたことが、情けなくなってしましました。読み終わった時は、本当に読んでしまうのが惜しくて惜しくたまりませんでした。そのために、ローマ人の物語を読み始めたのでしょう。また、読み直さないといけないかもしれませんね、、、世の中がざわついているようなんで、、、、、、。 -
この巻はマキアヴェッリの生きた頃のフィレンツェが書かれていて、先に読んでいたヴェネツィアを書いた『海の都の物語』と比較して読むことが出来た。
まるで性格の正反対な二人の人物のようだ、と言うようなことが書かれていますが本当にそう思う。
個人の突出を排除して栄えたヴェネツィアとメディチ一族の技量で繁栄したフィレンツェ。フィレンツェを国内外政治・文化共に花開かせたロレンツォ・デ・メディチの記述がこの本の大半を占められているけれど飽きることなく楽しめた。
多少、読後に「あれ?タイトルのマキアヴェッリはどこだ?」とは思いましたが(笑) -
文庫版は全3巻。表紙が出てるのは1巻。
実を言うと、この人の文章の流れなどはあまり好みではないのだけれど、自分とはまったく違うものの見方をする人の考えを(すこしばかり)トレースすることができる、というのも読書の良さなんじゃ、とも思っているのもあって、この人の本、たまに読みたくなるのでは、と考えたりも。
ただ、この本に関して言えば、きっとこの人がとても好きな人なんでしょう、マキアヴェッリさん、だからこそちょっと入れこみすぎたのかな、という印象も。 -
「塩野七生ルネサンス著作集」にも収められていた『わが友マキアヴェッリ』の文庫版。
分冊の結果、この第一巻はまるまる一冊が序章のごとくなっています。1のタイトルが「フィレンツェ存亡」、2の帯に「フィレンツェ共和国第二書記局書記官(マキアヴェッリのこと)、ただいま参上!」とあることからだいたい想像はつきますね。
去年の夏には同著者の「海の都の物語」を読んでいました。そこではヴェネツィアの直接のライバルは同じ海運国であるジェノヴァであったけれど、気質の上で正反対だったのは花の都フィレンツェ、と書かれていたように思います。同じことが、この第一巻にも出てきますが、というのもこの二都をさして「性格の完全に違う二人の人間のよう」と言ったのはマキアヴェッリなのだそう(p.79)。
個人の(あるいは一つの家の)力によって、栄華を極めたかと思えば瞬く間に空中分解する、熱しやすく冷めやすいのがフィレンツェ気質と言われれば、なるほどヴェネツィアとは真逆です。卑近な言い方をすれば、よりキャラ萌えできるのがフィレンツェってところですかね。
第一巻の大部分を使ってその生涯を語られるロレンツォ・デ・メディチの人物像に大いに心ときめいたわたしは、マキアヴェッリがほとんど登場しないこともまったく気になりませんでした。
長く電車になるというのにうっかり本を忘れて家を出てしまい、駅の本屋さんに駆け込んで引っつかんだのがこれで幸せだったと思います。 -
フィレンツェ存亡文庫版全3巻における序章的内容。
15世紀前後のフィレンツェの歴史的背景や当時の人物についての言及がほとんどで「あれ?マキアヴェッリはどうしたよ」状態。 -
フィレンツェに対する印象が色々と変化した気がする。
正直今までは、花の都なんて言われつつもあまり良い印象は抱いていなかった。
メディチ家にしても、芸術を保護しつつフィレンツェを支配していた一族、
くらいにしか思っていなかったけれど、その裏には色々事情や才能があったりしたんだなぁ…と思った。
フランスがイタリアに侵攻してきた際のフィレンツェの事情なども少し解った。
第一巻はマキアヴェッリは殆ど出てこず、終始フィレンツェについて語られている。
時代の背景なども解るので丁寧だと思う。
先に塩野七生さんの、「神の代理人」や「チェーザレ・ボルジア~あるいは優雅なる冷酷~」を読んでいると、
登場人物(と言うか時代)が被るところがあるので、より楽しめると思う。
★が4つなのは、まだマキアヴェッリが出てきていないし、
今★を5つつけるときっとこの先全部5つをつけないといけなくなるから。
わくわくするような展開と言うのはあまり無く、
ただ淡々と状況・情勢・時代説明がほとんどだった。
それでも楽しくないと言うことは決して無いけど!