- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101181677
感想・レビュー・書評
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ティベリウスの孤独。アウグストゥスも孤独だったなぁと思うが、ティベリウスもまた、孤独だったと思う。皇帝という誰にも担えない役職に伴うものが孤独なのかな。
そして、ただでさえ孤独なのに、家族の問題。アグリッピーナの激しさと思い込みの強さにはちょっと引いてしまうほど。気持ちは分からぬわけではないが、そこまで?と思ってしまう。
同時代の人には全く理解されない言動にも同情してしまう。
アウグストゥスといいティベリウスといい、読んでいるとしんどくなる程の周囲からの理解のなさ。特に家族からの理解が得られぬことに心底胸が痛む。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
正常な良き皇帝時代のティベリウスのはなし。
表題の悪名高き皇帝には、まだ当てはまらない。
次作から狂っていくのだろう。 -
「悪名高き…」というタイトルの中身を作者は最初に解説しています。後世の歴史家の悪評に、ホントにそうなのか?という懐疑的な見方を述べているとあります。
ローマ帝国の事実上のアウグストゥスの後を引き継いだティベリウスは、イメージとして孤愁を滲ませる姿があると作者は書いています。ティベリウスは、晩年を風光明媚なナポリ湾にある小島、カプリ島に居て帝国を統治したようです。別邸の図面も載っていてこれを読むと一度は訪れて見たいという思いに駆られます。しかし、この風景とは裏腹の孤独な生き方をティベリウスは、統治姿勢にも貫きます。
彼はアウグストゥスの築いた帝国の基礎を更に盤石にする為に、様々な政策を実行していきます。庶民の人気取りとは離れた、地味で苦労のある政策でした。公衆安全、緊縮財政、隣合ったゲルマニアの防衛ラインの撤退など平和な暮らしには欠かせないものでした。名門の血筋でありながら、アウグストゥスの血筋を引き継いでいないというハンディキャップのあったティベリウスでしたが、更に不幸に見舞われます。次期皇帝として公認されていた息子に64歳にして死なれます。それでも悲哀に負けることなく、適材適所の人事を当て任務を着実に遂行していきます。
この一連の出来事を読むと、2000年後の現代にあって、一国のリーダーの資質は劣化しているのではないかと思うしかありません。歴史に学ぶ姿を持って欲しいと切に願います。 -
2代皇帝ティベリウスの物語。アウグストゥスから受け継いだ帝国経営は、皇帝の絶対的な支配権によるものではなく、元老院の承認のもとに支配を委託された矛盾に満ちた形態であった。しかも皇帝ティベリウスはこの元老院階級の名門出身のせいもあってか元老院制下の皇帝というい責務を果たそうと真摯に果たしたが、その結果、元老院が責務に及び腰になる。カエサルが描き、アウグストゥスが建てたローマ帝国は、ティベリウスによって仕上げられたのであった。
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タキトゥスはティベリウスのことを嫌いという話だが、「そんなタキトゥスでもこう書かざるを得なかった。『○○(ティベリウスを賞賛する言葉)」という引用が多く、タキトゥスにツンデレ感が漂っていた。
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第7巻は事実上の帝政期にはいって初代アウグストゥスに続く4人の皇帝、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロのお話。悪名高き皇帝たちという表題で、暴君ネロが含まれるので、悪いやつらが続いたのだなと思わされるが、実態はちょっといや大いに違う。著者の筆によれば、ティベリウスとクラウディウスは全然悪くないし、カリグラとネロにしても、軽はずみな若者がはめを外したというだけだ。そうか悪名は高いが実際は...という意味なのか。親を殺したり、宗教弾圧したりというなら日本の戦国時代だって珍しくないし、だいたいあの母親も悪い。惜しいとすれば周囲に人を得なかったということだろう。あのアウグストゥスだってアグリッパ、マエケナスという腹心がいたからこその治世だったのだから。若者には荷が重くて当たり前だ。しかし、本巻に限らず著者の目は温かい。彼らは皇帝である以前に人間であり、人間は弱いものだから。とはいえ、皇帝という立場を考えるならそれでは困るのも事実。もちろん大統領、首相もしかり。現代でもだ。
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ティベリウスのお話し。
結構好き
2、ティベリウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス -
20巻に記載
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帝政ローマの2代皇帝ティベリウスが、紀元14年に皇位を継いでからカプリ島に隠遁する紀元27年までを扱う。
カエサルが始め、アウグストゥスが整えた帝政というシステムを、ティベリウスは盤石なものに固めていく。庶民や後世の歴史家からは人気のないティベリウスだが、実務的な継承者としての能力は高かったという評価。