ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82)
- 新潮社 (2008年8月28日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101181820
感想・レビュー・書評
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セヴェルス朝の皇帝達。テルマエで有名なカラカラ。軍人マクリヌスをはさんでヘラガパルス、アレクサンデルまでの約20年ほどの話。
パルティアそしてササン朝ペルシャとの対峙に役不足な皇帝達だった。仲間をまとめられず、戦機を掴めない、言ってみれば自分本位な井の中の蛙。
さらに混乱をきたす軍人皇帝時代に突入する。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
カラカラ帝。思っていたよりも、後世から見たらやらかしてしまっていた。誰でもローマ市民は、やはりやり過ぎだ。その後のアレクサンデルの法もじわじわとローマをローマらしさから離していく。法を変えるということの影響を考えさせられる32巻だった。
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[評価]
★★★☆☆ 星3つ
[感想]
短命な政権が連続すると国力の低下につながるというのは古代でも現代でも同様なようだ。
また、ローマ市民権の開放も現代の難民問題、不法滞在の問題と関連しているようで興味深い。 -
カラカラ帝そして短命な皇帝たち。
どんどん良くない方へ進んでいく。
残念。。 -
ローマが、だんだんだめになってきて、寂しい。
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73年間に22人もの皇帝。
これはさすがにひどすぎる。
そして、もちろんそのほとんどが謀殺。
ローマ帝国、世も末です。
長い間賃上げの無かった兵たちの処遇改善は、皇帝セプティミウス・セヴェルスの善意であったはず。
しかしそれが、兵たちが、自分たちの気に入る皇帝を担ぎ出すための、自分たちが気に入らない皇帝を排除するためのきっかけになるなんて、当の皇帝も思わなかっただろう。
セプティミウス・セヴェルスの息子カラカラはそのうえ、ローマの属州民をすべてローマ市民へと繰り入れた。
一見差がなくなってよかったように思えるが、既得権であった市民権を既得権にしてしまったことは、同じローマ市民の中に新しい分断を生んだ。
誰でもが持っているということは、誰も持っていないと同じ価値しかないから。
”ギリシア人にとっての市民権は、生まれたときから持っている「既得権」であった。反対にローマ人の考えていた市民権は、意志とその成果に与えられる「既得権」であったのだ。後者の方が、他者に対して門戸が開かれていたのも当然だろう。”
目の前の人々に対するよい政策が、遠い将来にも良い結果を生むとは限らない。
というか、長い間に目的が見失われるのは往々にして起こり得ることだ。
”政策とは、将来にわたっていかなる影響をもたらすかも洞察したうえで、考えられ実施されるべきものと思う。そして、深い洞察とは反対の極にあるのが浅慮である。”
ああ、耳が痛いねえ、未だに。
この時代の残念なところは、皇帝の資質がないものが帝位についた例が多かったこと。
そして、たまに資質のあるものが帝位についても、時代が許さないというか、兵士に殺されてしまって長くは統治できなかったこと。
それは、元老院の力が形骸化していたせいでもあると思う。
”権力者は、たとえ憎まれようとも軽蔑されることだけは絶対に避けねばならない。”
これもまた、耳が痛いねえ。
しかし、既に皇帝の権威も元老院の権威も地に落ちて、あるのは直接武器にものを言わせる兵士たちだけってことか。 -
徳川ではないけれども、長きに渡ればどうしたってこうなるものなのかも。
カエサルびいきのこのお方には納得しがたいかもしれないけれども、時の運も少しはあったんだろうなぁと思います。 -
73年間で22人の皇帝が、しかもそのほとんどが謀殺により代替わりする三世紀の始まり。
皇帝が健全に交代できる仕組みが存在しない以上、僅かな失敗であっても、隙を見せれば殺されるしかない。
しかし、即席の皇帝が広大な版図を長期間収められるはずもなく。
今巻では、カラカラとマクリヌスはパルティア戦役で、アレクサンデル・セヴェルスはゲルマン戦役にて、弱気な姿勢を見せたために配下の兵に殺される。
かつての共和制ローマにおいては、敗将であっても職を辞すことなく再戦を許されたものであったのだが、
帝政ローマにおいては、"皇帝"とは最高軍事指揮官として全ての将兵の代表者でなければいけなかったのであろう。
その将兵たちに選ばれる次の皇帝とは、すなわち全ての将兵の擁護者でなければらならず。
必然的に誕生した軍事政権に、混迷の時代を生き延びることができるのだろうか。
長らく適度な敵役として存在したパルティアは既になく、本気で領土拡大を狙うササン朝ペルシアと、苛烈さを増して国境を脅かすゲルマン民族がせまる。 -
迷走の始まり。良かれと思ったことなのに、ローマの良さを殺してしまったカラカラの「アントニヌス勅令」、悪人でも賢明な女ユリア・メサなど、興味深かった。カエサルとアレクサンデルの言葉の選択の違いについての考察も面白い。「人間の心理への深く鋭い洞察と、自分の体験していないことでも理解するのに欠かせない想像力と感受性、このうちの1つでも欠ければ、かつては成功した例も、失敗例になり得るということを、このエピソードは教示してくれていると思う。」