ローマ人の物語 (42) ローマ世界の終焉(中) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181929

感想・レビュー・書評

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  • 「一国の最高権力者がしばしば変わるのは、痛みに耐えかねるあまりに寝床で身体の向きを終始変える病人に似ている。」

  • 栄枯必衰。その原因は2世紀前のマルクスアウレリウスの時代からじわじわと崩壊がはじまった。

  • 屈辱的な首都の劫掠の後、帝国の本国たるイタリア半島には一時的な平和が訪れた。ガリアでの地歩を固めた蛮族が共食い状態になったためだ。しかし、ホノリウスが長い治世を無為に過ごして死んだのち、権力は皇女や軍司令官の手を転々と渡り、二年にもわたる内戦状態にさえ陥った。そして運命の476年、皇帝が蛮族の手によって廃位され、西ローマ帝国は偉大なる終わりの瞬間をもつこともなく、滅亡の時を迎えることになったー。

  •  1回目の「ローマ劫掠」から紀元476年の西ローマ帝国滅亡までの物語です。坂を転がり落ちていたローマも,フン族のアッティラなどの度重なる侵入を受け,「消え失せる」ときを迎えます。侵入という外的な要因だけではなく,坂を転がっている5世紀に入っても,内乱などの内的要因で,転がり落ちるスピードを増している様子を読んでいると,混乱の衰亡の時期とは,指揮系統や戦略がはっきりせず,外的要因と内的要員の双方から「消え失せる」ところまで,坂を下っていったというようにも思います。ローマという国家に限らずとも,多くの場面で見られることなのかもしれません。

     塩野さんが15年をかけて出版され,執筆はそれよりも長い時間をかけられた「ローマ人の物語」ですが,その中でも,西ローマ帝国の滅亡という重要な場面の描写は,冷静な叙述になっていて,とても塩野さんらしい場面だと思います。

  • ローマ帝国が遂に滅んでしまった。誰一人気づかないうちに…
    それにしても、ローマの危機というのに、それなりにローマを守ってきたアエティウスが無能な皇帝にキレられて、殺されてしまうというのはどういうことだろう…そもそもその前に、有能な武将の二人を争わせて一方を殺させるなんて、自滅ではないか。
    東ローマ帝国と西ローマ帝国の違いは、対処する人が腰を落ち着かせて対処 できたこと、というのも、なんだかタッチの差というか、運命というか。
    また、どちらも、分かれ道となる重要な時期を女が支配していたというのも興味深い。
    東ローマ帝国の実力者だった、皇帝の姉のプルケリアが、それなりに上手く対処し、しかも、弟の皇帝が死んだあとは、自分の権力の障害にならない無能な男を選んだのではなく、それなりの男を選んで、自分の夫として、神意による正統性を裏付けて皇帝にしたのだからなかなかだ。
    唯一の条件が、自分は神に貞潔の誓いをした身だから寝床を共にすることはできない、というのは、ちょっと笑った。
    しかし、全般的キリスト教の雰囲気がして、その派閥の争いも絡んでいたりして、なんだかやはり、もはやローマという感じがしないなぁ…

  • 蛮族による「ローマの劫掠」が行われ、国境はおろか、首都ローマさえもその略奪の対象となった紀元4世紀中ごろ。西ローマ帝国に限れば、ここから476年の滅亡までにひっきりなしに皇帝が変わり、でも今までのような皇帝の役割を果たすものは誰一人といなく、混乱に混乱を重ねた状態になる。
    明確なローマ帝国滅亡の年は定まってはいないが、それは蛮族に侵略されて陥落したものではなく、属州の反乱で国が瓦解したものでもない。自然と、誰も意識することなく、ローマという1200年以上の覇権国家はその姿を消した。
    カルタゴを滅亡させたローマ総司令官スキピオ・エミリアヌスの言葉が象徴的。

  • ついに滅亡した・・・

  • 20130528

  • 476年の西ローマ帝国の滅亡までを書いている。ローマ劫掠後、ガリアは蛮族の共食い状態で、イタリアはかろうじて命脈を保っていた。テオドシウス以後、皇帝は飾りとなり、「軍司令官の時代」となっている。西ローマの将軍、ボニファティウスは有能な指揮官で北アフリカを統治していたが、皇母ガッラ・プラチディアの猜疑をうけ、討伐軍を差し向けられる。これに対抗するため、イベリア半島にいたヴァンダル族から兵を借り、アフリカによびよせたが、ヴァンダル族は北アフリカの異端ドナティウス派と結束し、侵攻することになった。ちなみに、ドナティウス派排斥の急先鋒だった教父アウグスティヌスはヒッポ陥落前に自然死している。ボニファティウスはカルタゴを放棄、イタリアに帰還し、そこでアエティウスと戦うことになった。アエティウスは若いころフン族へ人質にだされ、蛮族を知り尽くした将軍だった。蛮族との同盟・裏切りを繰り返し、互いにつぶしあいをさせていた。ボニファティウスとアエティウスはイタリアで戦い、司令官どうしの一騎うちでボニファティウスが落命した。フン族はアッティラを頭目とし、ガリアを略奪したが、アエティウス・西ゴート連合軍とフン・蛮族連合軍はシャンパーニュで戦う。混戦となったがツメが甘く、アッティラを取り逃し、のちに北イタリアが略奪されることになる。アッティラは略奪はできるが、組織だった戦争はできない男で、なにより気まぐれだった。アエティウスは軍団編成ができないのを理由に、北イタリア略奪を傍観した。アッティラが死んで、フン族が統率を失うと、皇帝ヴァレンティアヌス3世はローマに行き、そこでアエティウスと会う。アッティラの略奪時に身の危険を感じていた皇帝はアエティウスが詫びを入れると思いきや、アエティウスは皇女との結婚を申し入れた。皇帝は逆上、丸腰の将軍を刺し殺した。アエティウス亡き後、こんどは北アフリカを征服したヴァンダル族が海賊となり、地中海沿岸都市を略奪、ローマも二度目の略奪をうける。法王レオ一世が話をつけ、ローマ人が自ら神殿の金メッキ瓦まで差し出した。以後、東西ローマ共闘でヴァンダルを討伐しにいき、あっさり船団を焼き討ちされ敗北するということも起こったが、基本的には西ローマは皇帝の乱立を繰り返し、ロムルス・アウグストゥスを最後にもはや皇帝すら立てなくなり、溶解してしまった。ローマの最期はカルタゴのように「偉大なる瞬間」をもつことはなかった。

  • ロムルス・アウグストゥスが退位させられたあと、誰も皇帝即位しなかったことで、あまりにもあっさりと西ローマ帝国は滅びてしまった。今日はたまたま台北までのフライト中にテルマエ・ロマエを見たのだけれど、帝国全盛のハドリアヌスの時代の話なのですね。ローマ人の最後と落差大きすぎです。

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