ゆうじょこう (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101203515

感想・レビュー・書評

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  • けしからん!の一冊。
    廓ものは惹かれるけれど心に吹き荒ぶような悲哀がつらい。
    その中で幼くして売られてきた主人公のイチがまさに"小鹿"の名のように跳ね回る元気な明るさに救われた。
    イチの日記に綴られた真っさらな思いはどれも真っ直ぐストレートに心に伝わり響く。心の結びつきのない交わり、商売道具、どれだけの女性が心を殺し"諦め"を生きていたのだろう。
    その中で娼妓たちへの深い想いを懐に抱く鐵子さんの姿にもまた救われた。

    親の借金もけしからん!鐵子さんによって明かされた福沢諭吉の知られざる一面もかなりけしからん!

  • 熊本の遊郭に売られた15才の少女の物語。

    主人公のイチは硫黄島の漁村で生まれ育った。
    しかし、生活が苦しい家族によって熊本の遊郭に売られてしまう。
    彼女は、これまで自然豊かな島でどちらかというとプリミティブな生活を送ってきており、教育も受けたことが無い。
    元々は健康ですごくピュアな感性を持っている明るい子である。
    それがいきなり慣れ親しんだ故郷の島を離れ、熊本の遊郭で働くことになる。
    悲劇以外の何物でもない。

    イチを通して描写される遊郭という世界。
    舞台は現代からたかだか100年ちょっと前の時代である。
    貧しい家から娘達が売られてきて、毎日のように体を売り10年程の年季明けるまで遊郭という世間と切り離された世界で生きてゆく。
    人としての権利なんかは、とっくに蹂躙されていて、病気、犯罪、絶望による自殺で若くして命を失っていくものも多い。
    想像を絶しているとしか言いようがない。

    物語では、当時の遊郭での娼妓達の生活がリアリティー豊かに描かれている。
    (当時の彼女達の生活感が伝わってくるほどであり、著者の入念なリサーチには感服する)
    当時大きな遊郭では、読み書き計算を教える学校(女紅場)があり、娼妓達はそこで勉強していたらしい。
    イチは女紅場で勉強するのが大好きで、ほぼ毎日通っていた。
    中でも作文が好きで、訛がすごくて文章が拙いため中々読みにくい文を書くが、内容は彼女のピュアな感性が光るものである。
    この小説の各章の題名はイチの作文から採った文で、各章のハードな内容と彼女の子供っぽい文章のコントラストが強く、年端もいかない子供が過酷

    な環境で生き抜いていかなければならない状況が鮮明になり哀愁を誘う。

    個人的に一番やりきれなかったシーンがあった。
    父親が訪ねてくると聞いて喜んでいたイチは、なけなしのお金で姉の為の手鏡を買い、父親に会ったら渡そうと楽しみにしていたのだが、実は父親は更なる借金を申し込む為に来たのであり、イチが働いて返さなければならない借金はさらに大きくなったのであった。
    しかも父親は、イチに会うことなくさっさと島へ帰ってしまう。
    イチは、自分の将来に絶望感を持ってしまう。
    イチが拙い文章で作文に父も母もいらないと書いていたのが、あまりにも哀れだった。
    15才の娘を遊郭に売り、親の借金を返すために信じられない様な苦労をしている彼女を労いもせず、平気で更に借金をしていく親。
    ちょっと酷過ぎやしないだろうか・・・
    彼女の辛さを思うと涙が止まらなかった。

    またこの作品には、元武家の娘で、吉原の遊郭に売られが年季が明けた為、女紅場で教師をしている鐵子さんいう40代半ばの女性が登場する。
    彼女は、教育がある女性なので最初は、福沢諭吉の思想に感銘を受け新しい時代の息吹を感じていたが、徐々に福沢諭吉の持つ思想が社会的弱者に対

    する配慮を欠いていることに気付き絶望する事になる。
    私も今まで福沢諭吉は「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」なんて事を言ってるので非常に啓蒙的な人物と考えていた。
    しかし、鐵子さんが指摘したように、彼の思想は社会的弱者を明らかに考慮していない。
    彼に対する評価が私の中で少し変わった。

    最後にイチと娼妓達(廃業することを望んだ)は遊郭から抜け出す事ができ、外の世界で新しい人生をつかむチャンスを得る。
    イチの今後の人生が幸せなものになる事をを切に願う。

    歴史の中に消えてしまったが、確かに存在した世界を活写してくれた著者に感謝したい。

  • 明治中期、硫黄島で生まれ育ち、当時全国有数の花街だったという熊本のなかでも最上格の廓に親によって売られたイチの1年ばかりの日々。明治の空気か女紅場のような一応の教育施設もあり、そこでイチはお師匠さんの指導のもと自分の気持ちを文章にすることに没頭する。そこここにその文章がはさまれるんだけど、硫黄島のことばそのままに文字になったようなその文章にイチの素直な喜怒哀楽がほとばしっているようで、昔が舞台の物語に生き生きとした勢いをつけている。
    ことさらに遊女の不幸を語りたてることなく、おそらくそうであったように、当時その場にいれば誰もが生きていた毎日として描かれているのも好感。イチ自身は最上格の遊郭で最上位の花魁・東雲さんに面倒をみてもらうというなかでも恵まれた状況にあり、その一方で挿話的に転売されたり、病んでいつの間にかいなくなったり、妊娠する女たちの模様も描かれる。こんなんで遊女としてやっていけるのかなと思うようなイチの直情さが、それぞれの出来事に対して反応する様子をとおして深々と遊女たちの過酷な生き方が伝わってくる。
    最後は遊郭を出たイチだけど、この後どうやって生きていけるだろうか。父親によって二重に借金を背負わされたこと以外は、これといって過酷な目に遭っていないようだし、周りについていくかのように遊郭を出たイチの先行きが不安。

  • 硫黄島育ちのイチのカラッとした芯の強さと、遊女という切ない仕事のギャップが素敵。
    遊廓の話といえば江戸時代ですが、明治という設定も斬新。
    福沢諭吉は、嫌いになりました。

  • よくある花魁モノとは全然違う。
    作者はこの時代この場所におったんか?ってくらい細かい描写が廓の地獄をよりリアルにする。
    でも主人公の性格のせいか、地獄の描写が暗くない。カラッとした不幸、滔々たる不遇。
    絶対だった物の崩壊と、女達の闘い。学問の必要性。

  • 明治の熊本の遊郭を舞台にした作品。
    「吉原炎上」やら、荷風その他の男性作家の作品と大きく違う。
    硫黄島から、両親に売り飛ばされた娘、イチ。
    その境遇は苛酷だけれど、「かわいそうな女性」と、ヘンに美化されない。
    その体の上に起こる様々な状況、生々しい身体感覚も、意外とドライに描かれる。
    だからこそ、心を動かされる。
    イチの一本気な性格によるところもあるのかもしれない。

    イチの人柄は、彼女が女紅場で師匠の鐵子さんに出す日記によく表れている。
    皮肉なことに、彼女は遊郭に売られて、始めて文字を覚えた。
    それ以来、書くことに憑かれたようになる。
    鐵子さんも没落士族の娘で、かつて遊郭に売られた身。
    イチたちを案じつつも、見守るしかないこの人も、教養のある人ながら、娼妓であったことで社会的に蔑まれてきた。
    野生児のようなイチと、鐵子さんがつながる。
    このことによって、物語が終盤、大きく動いていく。
    読んでいて、わくわくするところだ。

    イチの売られた娼館、東雲楼は、熊本きっての名店。
    楼主も、それほど阿漕な人ではなく、比較的娼妓を大事に扱う。
    娼妓同士の諍いも少ない。
    えげつないプロレタリア文学は、これでもか、といわんばかりに、その悲惨さを強調するところだが、この作品ではそうではない。
    だからこそ、最後に娼妓たちがストライキをして出ていくところが胸を打つ。
    暴力に余儀なくされて逃げるのでなく、自らの考えで出ていくことを選び取っているように感じられる。
    夜通しの「遊女の大行進」を、応援したくなってくる。

  • 女性だから書ける、女の世界。シビアで甘ったるさがない。でも主人公の生命力と言葉で最後まで引っ張られる。20代で読んでいたら自分の女性性の捉え方が変わったのかもなあ。感覚や描写は男性が読むと生々しいかも。

  • 硫黄島の海女の娘・青井イチ。困窮する家を救ふために、熊本の郭に売られてしまひます。15歳。時代は明治中期くらゐでせうか。当時は貧しさゆゑに、娘を売る家は珍しくなかつたと聞きます。
    イチが売られたのは、熊本一番の遊郭である「東雲楼」。楼主の羽島茂平は、大阪堂島の米相場を牛耳る実力者。
    ここでイチをはじめとする娘たちは、各花魁に遊女としての教育を徹底して仕込まれるのであります。イチは「小鹿」なる源氏名を与へられました。
    イチが預けられた花魁は、一番の稼ぎ頭である東雲さん。聖母のやうに、後輩たちを温かく見守ります。

    当初のイチは、島ことば丸出しで、「けー、こー、こけー、こー」などと、ニワトリみたい。現在でもネイティヴの鹿児島弁は、耳で聴くだけでは理解出来ぬ事が多い。まして当時の、しかも島ことばになりますと、本土の人にとつては外国語そのものでしたらう。
    郭には「学校」もあり、「女紅場(じょこうば)」といふ名前。ここで一人前の娼妓としての技能知識を身に付けるのです。先生に相当する「お師匠さん」は、赤江鐵子さんといふ中年女性。キリッとタスキをかけてゐます。
    女紅場でイチが書く日記が面白い。島ことばで書くので、文字で見ても理解不能。それで標準語のルビが振つてあり、やうやく理解できるのであります。

    鐵子さん自身も勉強家とお見受けしました。福沢諭吉の欺瞞を指摘する箇所などは、快哉を叫びたいところでした。さうなんですよ、著書を読めば分かるが、この福沢翁は、徹底した差別論者であります。しかも自身の自覚はどうやら無い。なぜ未だに神格化され、お札の顔なんかになつてゐるのか、わたくしには首肯しかねるのであります。まあいいけど。

    女としても成長してゆく青井イチ。郭の中では様様な出来事が起き、その都度新しい発見や悲しみが。逃亡する女郎、妊娠する花魁、刃傷沙汰......そして天神(花魁に次ぐ位)の夕浪さんの一言をきつかけに、物語は大きく展開してゆくのです......
    生々しい女だけの世界を描きながら、ドロドロした感じは全くなく、寧ろ爽やかな感動を呼ぶ長篇小説であります。面白いよ!

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-711.html

  • 粗にして野だが率直で利発、磨かれる前の原石そのもののイチがどう成長していくのか、廓の天国と地獄の狭間でハラハラしつつ興味が尽きない。
    「踏みしめる足場のない所」で垣間見える鐵子さんや東雲さんの優しさにホロッとくる。三人の心が交流する紅絹の休みの話が好きだなぁ。
    反面、娼妓を取り巻く世間や環境は怒りが湧くことばかり。
    火山の溶岩が海へ流れ出すような静かに燃える熱いラスト、彼女たちのあまりに険しい前途を思うと若干気持ちは暗くなる。それでもこの選択が報われることを祈らずにはいられなかった。

  • 先日花魁道中を見に行った。
    これがあの八文字かと胸を高鳴らせた。
    混み合っている中、そばにいた中年女性が連れに言った。
    「女なら憧れるわよねえ。綺麗な着物着てさ」

    確かに綺麗な着物には憧れるけれど、実際の花魁に憧れを持つかといえば、どうだろう?
    身体を売ることに抵抗がある(だからと言ってその職にいる人を貶めるつもりはない)だけではなく、病になっても医者に見せてもらえずそのまま命を落としたり、誇りを踏みにじられたり、親に借金をどんどん増やされたり......。
    苦界そのものだ。

    男たちの作った世界、彼らが思い描き、その思い通りの時間が流れる中で、女たちはどれほど犠牲を払い辛い目にあってきたのだろう。


    本書は明治になってからの熊本。
    硫黄島から売られてきた青井イチ(子鹿)の目から見た廓の物語だ。
    太夫の妊娠、出産、位の低い遊女の逃亡、転売。
    その中で生きるよすがとなるのが女紅場と呼ばれる遊女たちの学校だ。
    教師役の鐡子は元武家にして元遊女。
    彼女が遊女たちの背中を押す。
    誇りを持て生きよ、と。
    鐡子は福沢諭吉の『女大学』に希望を持つが、次第に諭吉の不平等、不公平の思想を見、失望し、怒りを覚えるようになる。
    そして遊女たちに知恵を授け、ストライキを起こさせるのだ。

    福沢諭吉の不公平の思想は当時からすれば、それでも画期的なものだったのかもしれない。
    しかし私も受験生の頃にその違和感を感じたのを覚えている。
    天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずといへり、そう語ったのと同じ人物とは思えなかった。

    東雲太夫の言葉が胸に残る。
    楼主は決して悪人ではなかった。
    遊女を騙したり、酷いように扱ったりはしなかった。
    「それでも」「それでもお前様は、人を売り買いしなさんした」

    美化された言葉ではこの太夫の言葉は伝わるまい。

著者プロフィール

1945(昭和20)年、福岡県北九州市八幡生まれ。1987年「鍋の中」で芥川賞を受賞。1990年『白い山』で女流文学賞、1992年『真夜中の自転車』で平林たい子文学賞、1997年『蟹女』で紫式部文学賞、1998年「望潮」で川端康成文学賞、1999年『龍秘御天歌』で芸術選奨文部大臣賞、2010年『故郷のわが家』で野間文芸賞、2014年『ゆうじょこう』で読売文学賞、2019年『飛族』で谷崎潤一郎賞、2021年『姉の島』で泉鏡花文学賞をそれぞれ受賞。ほかに『蕨野行』『光線』『八幡炎炎記』『屋根屋』『火環』『エリザベスの友達』『偏愛ムラタ美術館 発掘篇』など著書多数。

「2022年 『耳の叔母』 で使われていた紹介文から引用しています。」

村田喜代子の作品

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