響きあう脳と身体 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101299549

感想・レビュー・書評

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  • 脳科学者・茂木健一郎(モギケンイチロウ)さんと、武術家・
    甲野善紀(コウノヨシノリ)さんによる脳と身体をテーマにした対談。

    ・人間の最大の強みであり同時に欠点なのは「知識がある」ということ。
    ・運命は完璧に決まっていると同時に完璧に自由である。
    などなど、印象に残っている言葉がいくつかあります。

    養老孟司さんの言葉をかりますが、この本は「バカの壁の取扱説明書」という言葉がしっくりくる。


    この本を読む前にバカの壁を読むことをおすすめします。

  • 解説の養老さんいわく、二人とも野蛮人とのことです。どちらも非常に変わっており、一般の人から見れば、野蛮人というよりも変人ですかね。議論は噛み合っておらず、お二人の著書を知らない人が読むと、分かり辛いかも知れないですね。

  • 途中で眠くなった(^^;;

  • お二方共、脳のほんの一部分の直線的なシリアルな論理思考しか使ってない現代人にアラートをあげているところは一致しているが、それ以外は嚙み合ってるのかちょっとあやしい感じの微妙な均衡のやりとりがなかなかどうして面白い対談。
    茂木さんの要約力に脱帽。

  • 甲野氏の主張は他書でも述べられているものとの重複が多かった。
    茂木氏の文章は初めて読んだが、哲学的な抽象的な論調が多いように感じた。
    脳も身体も身体なのだ。

  • ものすごい対談本!
    今身体というテーマに関して自分なりにこだわりがあるし、ものすごい興味があることもその一因にあるとは思うが、それを抜きにしてもこの対談で見られる二人の哲学、身体感、現在の社会への問題意識、自分の研究分野への情熱、こだわり その他様々な表現が筆舌に尽くし難い。
    もうこの対談そのものが本で読んだとしても普通の本以上に内容の詰まったものになっているし、その言葉の選択のセンスと構成力とそれこそ同時並行性というものは頭の良さというレベルを超えてある種の芸術のようにも感じられる。
    対談だからこその話の脱線やテーマの多様性、同じ事をいうにしてもそれぞれが別角度からといった部分からこの本はものすごい意味の含有率で出来上がっている。
    まさに会話の偶然性による奇跡の一冊。

  • 野中郁次郎『経営は哲学なり』では、響きあう脳と身体を引用しつつ、技術伝承を論及!

  • 「単純なもの」というのはそうあるように限定されているものであって、ありとあらゆるものの本質はもっと複雑で無限ともいえる可能性を秘めている。
    また、一点集中よりも拡散的に、正確には並行して色々なことに興味を持って刺激を受けていくことが大切。

  • 身体の同時並列性からみた、科学の「論文主義」に対する違和感、疑問からはじまる第1章から、知識人も同時並列的に「全体をトータルに動かしたらどうなるのか」といったことを考えなくてはならないという結論に至る、第4章までが大きな流れになるとおもう。最初と最後をつなぎ合わせれば、問題→結論となっている。
    ただし、疑問なのは「同時並列的」な知性というのは他への伝達が不可能だということ。記述可能な知性のよいところは伝達ができるということ。たとえ、得られる情報量が圧倒的に違うものであっても、つたえられなきゃどうしょうもないんじゃないかと思う。(あえて口語風に書きました)

    ところで「クオリア」ってなに?
    それと、「できない」うちはまったくできず。「できる」ようになれば苦もなく「できる」とは自転車とかお手玉のようなイメージか?

  • 脳科学者の茂木氏と古武術研究家の甲野氏の対談である。養老氏が「バカの壁」の取扱説明書とのまとめをしている。内容は「興味」や「身体」の力を復権しようということで、ロボット製作の問題、引きこもり問題や、教育問題や、文明の問題に及ぶ。科学は限定的な知識しかもたらさない。正直によくわからないことを告白せよとする。これはよくある観点だ。筋トレは、部分的な筋力を偏って鍛えることで、かえって全身のネットワークを破壊しているなどの観点はなかなか面白い。ただ、「真に受けてしまう人」が多いとか、身体観が矮小化しているということに関して、どうしてそうなのかという社会的考察が(したくないのかもしれないが)弱い。両者の議論をみていると、現代はおかしい人が多いという見方が共通しているが、それはそれで理由があるんだろう。だが、あえていえば、一般人は、武道の達人になろうとは思わないし、腦のクオリアの疑問に転んだりはしないのである。正直にいって、生活に支障はない。つまり、そういうことをやっておれるヒマ人の放談といえなくもない。マニュアル化をきらう両者の対談は面白いもので、刺激をうける内容である。だが、彼らに敬意を表して、頭の片隅に残しておきつつ、アホらしいと思うことも大事である。身体観の矮小化は中国の古典を学ぶことが少なくなっているのが関係しているのだろう。武道の極意が、荘子にいう輪人(車輪職人)の技のようなもので、たとえ親子であっても伝達不能であることは、古典の素用があれば、見やすい道理だ。

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著者プロフィール

1949年、東京生まれ。
20代はじめに「人間にとっての自然とは何か」を探究するために武の道へ。
1978年、松聲館道場を設立。
以来、日本古来の武術を伝書と技の両面から独自に研究し、2000年頃から、その成果がスポーツや音楽、介護、ロボット工学などの分野からも関心を持たれるようになり、海外からも指導を依頼されている。
2007年から3年間、神戸女学院大学で客員教授も務めた。
2009年、独立数学者の森田真生氏と「この日の学校」を開講。
現在、夜間飛行からメールマガジン『風の先・風の跡』を発行している。
おもな著書に、『剣の精神誌』(ちくま学芸文庫)、『できない理由は、その頑張りと努力にあった』(聞き手・平尾文氏/PHP研究所)、『ヒモトレ革命』(小関勲氏共著/日貿出版社)、『古の武術に学ぶ無意識のちから』(前野隆司氏共著/ワニブックス)などがある。

「2020年 『巧拙無二 近代職人の道徳と美意識』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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